ミルフィーユ
少女を待つ間、男は少し暇を持て余した。珈琲を一気に飲んでしまったことを、少し後悔した。思い返せば自分の人生はいつもこんな感じだったなと少し笑った。虚しくなった。
からからとベルは軽やかに囀り、ひとりの老人を招き入れた。老人は全てを悟っているかのように窓際のテーブルについた。すると、魔法の様に珈琲が現れた。老人はカップを持ち上げゆったりと香りを楽しみ、一口飲み、置いた。
「お待たせいたしました。当店お勧め、そして義務。ミルフィーユですわ」
男はわけがわからないという顔でかぶりを振った。
「これが、ミルフィーユ」
「ええ、それは、あなたの人生そのもの。これを食べることこそが、あなたへの報い。それを身体へおさめれば、冥土の扉は開きますわ。さあ……是非召し上がってください!」
ミルフィーユは、とても醜いものだった。でろりとかかったソースは懐かしい異臭――彼の部屋のそれ――を放ち……幾重にも重なった繊細な層が今にも崩れ出して襲いかかってきそうだった。
少女はそれをフォークで突き刺した。男はどこかで予想していた。今のは左の太腿だ、脚が痛い!
「はい、あーん」
男は激痛に喘いだ。この少女はどうしてこんなに楽しそうなんだ。
ふと窓際を見ると、老人もミルフィーユを食べていた。時折眉を顰めはするが、口元の微笑みは崩れない。時折目を瞑り、感慨深そうに一口一口味わっている。
こどもの方を見ると、こどもはぼろぼろ泣きながらミルフィーユを食べていた。おかあさんのおてつだいすればよかった、リカちゃんにやさしくすればよかった、ぽつりぽつりとつぶやきながら、スプーンでミルフィーユを食べていた。
男は気付く。そうだ、スプーン。彼らの顔が苦痛に歪むことは無い。スプーンで一層ずつ食べている。なぜ自分は苦しい思いをしなければならない?
ほんとうは、答えがもうでていた。それでも疑問に思うことをやめられない。
「おいしい? おいしい?」
口の中に生地が張り付き気持ち悪い。ああだから珈琲が必要なのかと納得する。
「輪廻転生、あなたがゼロからはじまるために、マイナスを打ち消す必要があるのは当然ですのよ。プラスのひとも当然ゼロにしなければならないわ。全ては平等! 世界は巡る!」
男の視界の隅に、一層食べるごとに足先から光に包まれ消えていくこどもが映った。
「さて、と。最後の一口をこれにしてあげたのですよ。感謝なさいませ」
少女が口に放り込んできたそれは、あまりに甘く、美味しかった。
男は先程からソレの感覚がないことに気付いた。ああこれは、成程――。
「おめでとう。ある意味童貞卒業なんじゃないですの?」
男は目の前の少女を如何にして襲うか妄想した。同時にこりゃだめだ、と思った。おれは来世もだめ人間だ。
「さ、辞世の句は?」
男は痛みをこらえ少しだけ微笑んだ。
「かあちゃん、とうちゃん、ごめん」
ベルは風にそよぎ低い音を鳴らした。