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おぼろげに輝く

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 そういえばこいつらは新婚旅行に行くとか言う話はないんだろうか。今のところ話題には上らない。行くならフランスでも推してみようと思ったのだが。
 みそ汁の椀に残ったねぎを箸でつまみ上げる。くたくたに煮てあるネギは、箸を支点として左右に折れ、くっついた。
「ねぇ、鍋パーティでもやろうよ! 曽根山さんも呼んで四人で」
 突如大声をあげた矢部君に驚き、俺のネギは一回転をした。
「あぁ、いいな、それ。この前の結婚式のお礼もきちんとしたいし。塁はどうよ?」
 俺は箸に残ったネギを口に突っ込み「曽根ちゃんに聞いてみないとわかんないもん」と口を尖らせる。「今すぐ電話しろ」と言われてしまい、俺はみそ汁を飲み干すと、曽根ちゃんの番号を呼び出し、電話をかけた。
『もしもし塁?』
「あ、曽根ちゃん。今電話大丈夫?」
 この時点で智樹が腹を抱えて笑いをこらえているのが目に入り、気に入らない。俺が好きな女に電話をかけているという光景が、きっと物珍しくてネタになっているのだろう。
『うん、私も今かけようと思ってたところ』
「何、どうしたの?」
『充が、この前いた奴、あいつが今からうちに来るって言うからその.....助け』
「今から行くから。鍵、開けちゃ駄目だよ」
 俺はそれだけ言うと電話を一方的に切り、夫妻に「ちょっと用事」と言って食後の緑茶を一気に飲み干して上着を引っ掴み、走って玄関を出た。曽根ちゃんの家までは電車で三十分はかかる。俺は一本でも早い電車に乗るために走った。
 こんなには走ったのは高校の野球部の引退試合、9回一死で一塁走者だった俺がワイルドピッチを見て二塁に走ったとき以来だ。さすがに息が切れて、矢部君が作った生姜焼きが喉のそこまでこんにちわしていたが、何とか飲み下し、電車に飛び乗った。
 電車がいちいち駅に停車するのが苛立たしく、俺は座っていられなかった。上谷戸駅に着くと俺はまた走った。こんな走りじゃボールを拾ったキャッチャーが二塁に投げて二死間違いなしだ。それぐらい、俺は疲れていた。アパートに到着した時は二十一時近かった。俺は階段をトントンと駆け上がり、上り切る寸前で曽根ちゃんが住む角部屋のドアに目をやった。
 走りすぎて幻覚が見えているのだと思った。思わずにはいられなかった。
 玄関の外に出た曽根ちゃんは、師走の空の下、薄い部屋着のままで玄関の前にいる。立たされているようにも見えた。腕をだらんと身体の横にぶら下げて、足なんて殆どつま先立ちだ。サンダルが斜めに浮いている。その身体を受け止めているのは富樫とかいう、スケボーの兄ちゃんだった。要は、富樫が曽根ちゃんを強く抱きしめていた、と言う事だ。
「あのー、曽根ちゃんに呼ばれて来たんですけど」
 俺の声にハッとして顔を寄越したのは曽根ちゃんで、つま先立ちの足をばたつかせると、サンダルが乾いた音を立てて転がる。富樫は腕の力を緩めて彼女を解放した。彼女が埋もれていた部分のダウンがくしゃっとつぶれていて、それがゆっくりと空気を含みながら戻って行った。
「何をしてんですか、人の彼女に」
 俺は階段を二段下がったところから言ったから、背の高い富樫を見上げるようだった。富樫はニットキャップを被った頭を少し傾げて「俺の女に手出ししてんじゃねぇよ糞ガキ」と言う。全く俺の目を見ようとしないが、俺は逆に富樫の目をじっと見た。彼の瞳には後ろめたさが露骨に見えて、目は口程に物を言うとはよく言った物だなぁと感心せざるを得ない。
 富樫は俺の横を、わざと肩をぶつけるようにしてすり抜けて行き、俺は寸でのところで手すりに掴まり、身体を支えた。身体もでかいけど力も強いようだ。俺なんてへし折られてしまいかねない。
「遅くなっちゃって悪いな」
 苦笑しながら階段をのぼりきり彼女を見ると、俯いたまま動けないでいる。俺はなんと声をかけたら良いのか分からなくて、とりあえず彼女が声を発するまで待った。何も起こらないまま五分は経過しようとしていた。彼女の薄着が気になって、俺は着ていたダウンを脱いで肩から掛けてやると、それを切欠に彼女は動いた。俺に凭れた。俺の胸の中で口を開いた。
「玄関、開けちゃった。ごめん」
 俺は自分の手の平を、目の前でぎこちなく開いたり閉じたりした後、彼女の頭をゆっくりと撫でた。さっきまで富樫に抱きしめられていた名残なのか、髪が乱れているのを手櫛で直してやる。
「理由は中で聞く。入ってもいい?」
 泣いているのか、寒いからなのか、一度鼻をすすると「うん」と言って俯いたまま玄関を開けた。部屋の中は暑いぐらいにエアコンがかかっていて、彼女が薄着だった理由が分かる。
「これ、ありがとう」
 ダウンをハンガーに掛けながらそう言う彼女はやはり顔を伏せたままで、目を合わせようとしない。俺はとりあえずラグに座って彼女の言葉を待つ事にした。
 彼女はやかんで湯を沸かし、大きさがちぐはぐなマグカップに紅茶を入れてくれた。大きい方を俺に、小さい方は曽根ちゃんに。
「どうしても会いたいって言われて。でも部屋には入れたくなかったから玄関の外に出て。そしたらあんな感じになって」
 淡々と起きた事を順番に話す彼女の目には何も映っていなかった。まるで異空間を見つめているようで、俺は口を挟むタイミングを計れなかった。
「放っておけなかったんだ。寒いし、寂しいって言うし」
「寂しい?」
 その言葉に何か引っかかる物があり、俺はやっと口を開く事が出来た。
「寂しいって何? 寂しいからって俺の彼女を抱きしめるって、そりゃちょっとおかしいよなぁ」
 俺は首を捻る。大きく息を吸った曽根ちゃんが握りこぶしを作るのが視界に入った。
「そうじゃないんだ、ただの寂しさじゃないんだよ」
 逆に富樫をかばうような言い方をする曽根ちゃんに驚き、「え?」と訊き返してしまった。
「普通の人には想像つかないんだよ。富樫、親がいないんだ」
 急速に目の前が狭くなって行く気がして、俺は一度目を強く瞑り、首を振った。再度目を開いた時には、何も映らない彼女の瞳が、こちらを向いていた。俺は、頭に浮かんだ言葉をパラパラと蒔いた。
「曽根ちゃんのお母さんに、知らない子が、さみしいよぉって抱きついてたら、曽根ちゃん、どう思う?」
「嫌だ」
「そう言う事だ」
 俺は大きなマグカップを手に持ち、紅茶を一口飲んだ。少し砂糖を入れたいと思ったが、我慢した。そのままマグカップを手にして、手の平を暖めた。それから隣に座っている曽根ちゃんの両手を持った。思った通り、手の平全体が氷のように冷たくなっていた。俺の手の平で挟み込み、何とか暖める。彼女の体温と俺の体温が均一化されるまで、俺はずっとそうしているつもりだった。
「あの男が孤児だろうがなんだろうが、今のところ俺は、曽根ちゃんをあいつに渡してやるつもりはないんだ。曽根ちゃんも、あいつのところに行くつもりがないんだったら、もう会うのやめなよ。あいつの事が気になるなら、俺の事なんて置いて行きなよ。欲張ると、いい事ないよ」
 挟んでいた手がだいぶ暖まったから、俺はそっと手を離す。
作品名:おぼろげに輝く 作家名:はち