おぼろげに輝く
15
平日は午後からしか面会ができない。午前中、百貨店に出向いた。
革製品のお店に立ち寄ると、俺の顔を覚えていたらしく、店員さんが手を上げて迎えてくれた。俺は真っすぐ店員さんの元へ歩いた。
「急で悪いんですけど、このブレスレットって、すぐに作れます?」
片方の眉を上げて、無言で頷く店員さんに「女物、ひとつ作ってください」とお願いした。
俺はレジの横にあるミニサイズの革工房のカウンターに頬杖をつきながら、店員さんの手元を見ていた。途中から、革がどう結びついたのか分からなくなって「そこ、巻き戻し」と声を掛けたけれど「無理だよ」と笑われてしまった。俺の腕についているブレスレットより幾分色の淡い感じのブレスレットが完成した。
「誰かに贈り物?」
俺は手渡されたブレスレットを一通り眺め、レジのトレイまで持って行った。
「この前の、ネットショップの子にあげようかと」
ほほー、と感心したような顔で頷き、笑う。ベージュの箱に入れてくれようとしたので「包装はいいです」と断った。
「ネットショップの子に、この前の件、話した?」
透明のビニールに、形が崩れないようにブレスレットを入れ、シールをぺたっと張りながら、店員は顔を上げ俺に言う。何と返答しようか、頭が働かない。
「あぁ、まだ。今ちょっと彼女、仕事ができる状態じゃなくて」
「そうか、ちょっと期待してるんだけどな」
俺は苦笑するに止め、彼女が意識不明である事は話さないでおいた。ビジネスにおいて、情けは無意味だ。曽根ちゃんに待たされた末に、店員さんが「もうやめだ」と言えばそれまでだし、待ってくれても作品を気に入らないかも知れない。待てないと言った癖に曽根ちゃんの作品を見たら話を蒸し返すかも知れない。未知数だ。
俺はブレスレットの代金を払い、店を後にした。コンビニでパンを買って、店の外で座り込んで食べた。
「こんにちはー」
仕切りのカーテンから顔を覗かせると、お母さんが座っていた。眠り姫は眠ったままだ。看護師が何かをチェックして、去って行った。
「いつもありがとうね」
いえいえ、と言って対面に座った。
「僕、完全にフリーの仕事してるんで、時間なら沢山あるんです」
フリーの?と首を傾げている。その動きは少し、曽根ちゃんに似ている気がする。やはり親子なのだなぁと思う。
「絵描き関係の仕事をしてます」
「じゃあ大学でこうと知り合ったの?」
そう言う訳じゃないんですけど、と口ごもる。何か説明をする切欠を探す。
「あ、鍵! どうしました? 曽根山さんのアパートの鍵」
俺の突然のフリにお母さんは驚いたような顔を見せ、それから茶色い上質そうな鞄のポケットから鍵を取り出し、俺に見せた。
「そこに下がってる白いアクセサリー、それを一緒に作ったのが縁で」
お母さんは、へぇ、と笑顔でヘッドを愛でるように指で撫でている。何だか嬉しくて「へへ」とまるで少年のような笑い方をしてしまって思わず口を噤む。
眠り姫の手元に目を遣る。左手は指先に何か器具が取り付けられていて、そこからコードが伸びている。右手は腕に点滴の針が刺さっていて、管に視線を移すと、機械を経由して点滴の袋に辿り着く。
「お母さん、曽根山さんの右手に、これ、つけていいですか?」
ポケットに入れていて少し暖まっている透明のビニールを取り出し、お母さんに手渡すと、お母さんはそれをまじまじと見つめ「ブレスレット?」と小首を傾げる。俺は左の袖をまくって、色違いのブレスレットを見せた。
「あぁ、お揃いなの。どうぞどうぞ、こうも喜ぶだろうし」
そう言って俺にブレスレットを戻してきた。俺は金色のシールを剥がし、中身を取り出すと、透明のビニールは足元にあったくずかごに入れた。ブレスレットを少し緩め、ベッドに乗り出すようにして俺の方にある彼女の右手を通した。ちらっと彼女を見て、この瞬間に目が合ったらいいのに、と思う。
それから彼女の手首に、きつくない程度に紐を締め体裁を整えると、もう一度、顔を見た。
目が合ったらいいのに。
目が合ったら。
目が。合った。
鈍く光るその目は間違いなく、曽根ちゃんの目だ。
「曽根、ちゃん」
「......塁」
瞬間的に時間が止まったように思えた。何も聞こえなくなった。呼吸さえしていなかったかもしれない。こんな風に真顔で見つめ合ったのは、付き合い始めて初めてかもしれない。
「こう? 分かる? お母さんと太田君だよ?」
俺は慌てて彼女の右手を離し、ナースコールを押した。お母さんは必死で曽根ちゃんに話しかけている。その声は聞こえるが内容が理解できない。俺の頭の中はパニック状態だった。
曽根ちゃんがこちらを向いて「塁? 塁?」と呼ぶ声が聞こえてやっと、俺は正気に戻る事ができた。が「ふぇ?」とあらぬ声が出てしまった。
直後に駆けつけた医師が、曽根ちゃんに声を掛けたり機械の数値を確認したりと忙しそうにしているのを、椅子に座ってぼーっと眺めた。
戻ってきた。曽根ちゃんが向こうからこっちに、戻ってきた。眠りの森から気怠気な女が、踵を擦りながら歩いてご帰還なさった。
泣いていいのか笑っていいのか分からなくて俺は顔を覆う。お母さんはベッドに突っ伏して、完全に泣いていた。
俺は泣かない。だって、こっちに戻ってくるのは分かっていた事だから。信じていた通りになった。ただそれだけだ。彼女は長い昼寝から目覚めたようなものなのだから。目に光を宿す事は、約束されていた事なのだから。
顔を覆っていた手の平には、俺の目から出た何かが午後の日差しを受けてきらりと光っているが、断じて涙ではない。
医師と看護師が部屋を出て行くと、お母さんは「お父さんに電話してくる」と言って部屋を出て行った。俺は曽根ちゃんと二人になった。
「私、生きてたんだね」
喜びも悲しみも現れないその語り口は、間違いなく曽根ちゃんの物だ。俺は嬉しくて、曽根ちゃんに沢山喋ってもらいたくて、でもこういう時は、ゆっくりさせてあげた方が良いのかも知れなくて、頭の中でせめぎ合いが続く。
「刺されたのは覚えてんの?」
「うん」
曽根ちゃんは目線を右の脇腹にやった。痛み止めの点滴はされているのだろうか。それでも痛みはあるだろうか。
「刺されて暫く意識があったけど、電話する力はなかった。私ここまでどうやって来たの?」
「救急車に決まってんじゃん」
曽根ちゃんは少し怪訝な顔をして「もしかして塁が呼んだとか?」と言う。
「もしかしなくても俺だ。神様がつけた胸騒ぎとかいう機能が発動してな。曽根ちゃんの家まで行ったら、裸の曽根ちゃんが脇腹からナイフ生やしてた。どんなガーデニングかと思ったぞ」
眩しそうに顔を伏せて短く笑う曽根ちゃんが、「笑う」という仕草を眠りの森に置いて来なくて良かったと心から思う。やっぱり笑って欲しいんだ。俺は贅沢物だ。目覚めてくれただけでも嬉しいのに、時折見せてくれていたキラキラした笑みを、俺に向けて欲しいんだ。そう考えると、今の控えめな笑みだってキラキラの笑顔への第一歩だ。