Savior 第一部 救世主と魔女Ⅰ
話し振りから察するに、ティリーが悪魔研究家であることは聞いていないらしい。サニアが言わなかったのか、ウィルツが聞いていないのかは知らないが。
「ま、とりあえず、まずおまえを捕まえるか」
「ウィルツ、お前と戦いたくはない」
剣の柄に手をかけたまま、アルベルトは言った。仮にも元同僚で、神学校時代には机を並べた相手でもある。さして仲が良いとはいえなかったが、アルベルトとしては剣を交えたくはなかった。
「同期の誼みってか? 悪魔堕ちしても優等生なのは変わらねぇのな」
相変わらずウィルツの口調は軽い。
「ついでに言うと魔女捕縛に協力したらお前の罪はチャラになるんだぜ? その辺分かってるか?」
「それは分かってる」
「へえ、じゃなんでやらない? 悪魔祓い師は辞めたのか?」
「いいや、俺は今でも悪魔祓い師のつもりだ。それに教会に戻りたくない訳じゃない。ただ今戻って何が出来るのか、何をすべきなのかまだ分からない。こんな状態なのに、彼女を売ってまで戻りたいとは思わない。それに、彼女は悪人じゃない。教会が彼女を処刑するというなら、俺は黙っているつもりはない」
アルベルトはきっぱりそう言った。
「あんな色気のない女にたぶらかされたのか。真面目なのも考えものだな」
すっかり呆れた様子でウィルツは言った。
「おまえの親父さんが嘆くだろうな。ああ、あとあいつもか。おまえみたいな優等生が誓願(きまりごと)を破るなんて」
「誓願、か」
悪魔祓い師には必ず守るべき三つの誓願がある。
悪魔に惑わされぬ『清廉』さ。心身を清浄に保つ『純潔』。神と教会への絶対的な『服従』。これを破ることはすなわち神に逆らうこと。神に逆らう者はたとえ悪魔祓い師であろうと許されない。いや、悪魔祓い師であるが故にその罪は重い。
「悪魔堕ちした悪魔祓い師は魔女と一緒で火刑台行きだ。おまえはそれでもあの魔女を庇うのかよ」
「彼女は『人に害をなす者』じゃない。むしろ悪魔を祓う力で、大勢の悪魔憑きを救っているんだ。正しい事を為す人間を処刑することが、果たして神の御心に適うことなのか? 俺はそうは思わない」
「そうかよ。魔女を殺すことは神の御心ってやつに適う事だと、おれは思うがな」
ウィルツはあの白い炎を生み出す杖を担ぎ直し、まるで世間話でもするかのように言った。
「マリークレージュが滅びた理由、知ってるか?」
「悪魔召喚の犠牲になったからだろう。地震ではなく」
「その通り。じゃあ、悪魔召喚をやったのは誰だと思う? 魔女だ。それもたった一人のな」
「詳しいな」
「おれはマリークレージュに住んでたんだよ。二十一年前、この街が滅びる前にな。知ってて当然だろ」
アルベルトは驚いて目を見張った。公式記録には、原因こそ地震と記載していたものの、生存者は一人もいないと書いてあったのに。
「何で無事だったんだ?」
「街が滅びる直前、親父がおれを連れてマリークレージュを出たんだよ。運が良いことにな。その時見たんだ。赤い髪の魔女を」
「赤い髪の魔女・・・・?」
「そう。魔術使って、自警団の連中を蹴散らしてやがったから間違いない。悪魔召喚したその瞬間を見た訳じゃないが、間違いなくあの魔女がやったんだ。なあアルベルト。街一個滅ぼすような奴を放置しておく方がよほど問題だと思わねえか?」
「・・・・故郷を滅ぼした魔女は許せない。そういうことなのか? だからお前は彼女を殺すべきだと―――」
「んな訳ねえだろ」
アルベルトの言葉をウィルツはあっさりと否定した。
「赤ん坊の頃住んでただけの、ロクに覚えてもいない街を故郷だなんて思うはずがないだろ。マティアにも『二十年前と今と関係があると思ってるのか』って訊かれたが、マリークレージュを滅ぼした魔女とあのくそ生意気な魔女に関係があろうがなかろうが、そんなことは重要じゃない」
ウィルツは杖の先をアルベルトに向けた。
「おれはあの緋色の髪の魔女が嫌いなんだよ。それだけだ」
ずかん、という音がした。
音は後ろの方――つまり今来た方から聞こえてきた。ティリーは少し走るスピードを落とすと、振り返って後ろを見る。やや大きめの建物の向こうに、白い光がちらついているのが見えた。どうやら派手に交戦しているようだ。
(こんな狭い場所でよくやりますわね)
自分だったら願い下げた。こんな場所、暴れにくいことこの上ない。どちらにせよ悪魔祓い師がいるので、暴れることはできないが。
(にしても、アルベルトがわたくしを逃がしてくれるなんて思いませんでしたわ)
あのウィルツとかいう悪魔祓い師。言葉遣いは全く悪魔祓い師らしくないが、腕前はそこそこ良いようだ。なんせ、あの白い炎――それ相応の技量がなければ使えないという神の炎を自在に操っていたのである。さすがに魔術を使わずに済ますのは無理だと思ったのだが――アルベルトのおかげでそれは杞憂に終わった。
まあ、あいつらには魔女の仲間扱いされてるし、結構な数の騎士達をしばき倒しているので、今さらな気もするが。
「でも、これは正当防衛ですわよね。罪のない一般人に斬りかかるなんて、失礼にも程がありますわ。・・・・・・・あら?」
通りの角を曲がったティリーの視界に入ってきたのは、地面に転がって呻き声を上げる騎士達だった(なかなか不気味な光景ではある)。氷の魔術を使った跡が残っているし、これは間違いなく――
「ビンゴですわ」
とりあえずティリーは手近な騎士に駆け寄ると、胸倉を引っつかんで乱暴に揺さ振った。
「もしもし? 大丈夫ですの?」
「うう・・・魔女め・・・許せん・・・」
騎士は目を覚ますなり恨み言を言った。同情するわけではないが、下半身氷漬け状態なので、恨み言の一つや二つ、言いたくもなるのかもしれない。
「大変な目に会ったんですのね・・・ところで、彼女は一体どちらに?」
「向こうに・・・はっ!? き、きさまっ! 魔女と一緒にいた女だな!? きさまも捕まえてや――」
「きゃあ! 手が滑っちゃったあ!」
わざとらしい台詞を吐きつつ、騎士の脳天に本の角を振り下ろす。どかっという痛そうな音と共に、騎士は目を回して昏倒した。
「さぁて。向こうの方ですわね」
ティリーは何事もなかったかのように立ち上がると、騎士の言った方向へ向けて走り出した。倒れた騎士達を飛び越えつつ、軽快な足取りで進む。
(それにしても・・・どれだけいるんですの・・・?)
どうやらかなりの数の騎士がリゼを追いかけているらしい。路地はまさに死屍累々である(死んでないが)。ある者は氷漬けになり、ある者は地面に倒れて目を回している。これだけいてたった一人を捕まえられないのは、こいつらが無能なのかリゼが強すぎるのか、判断がつきかねるところだ。
そんな事を考えながら路地を進んでいくと、程なくして開けた場所に出た。正面には大きな池。貯水池のようなものらしく、茶色く濁った水が轟々と流れ込んでいる。その向こうには街の内と外を仕切る塀と、川から水を引き込むための水門が見えた。そしてそこには、
「リゼ! ・・・・とグラント!?」
二人の姿を発見したティリーは、思いがけない人物の登場に驚きの声を上げた。
「ちょ、あなた、どうしてこんなところに?」
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅰ 作家名:紫苑