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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅰ

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「救世主様はね。すっごくかっこいいんだ。ぼくもみんなもあっという間に治してくれたし、悪魔祓い師みたいにえらそうにしないし。あ、アル兄は別だよ? アル兄はほかの悪魔祓い師とちがってやさしいもん」
 貧民街の人々は教会や悪魔祓い師を信用していない。『神は全て人を分け隔てなく救う』と説いておきながら、一向に助けてくれないのだから当然だろう。何度も来ているアルベルトですら、敵意と不信の目を向けられることが少なくない。ショーンはこの貧民街で友好的に接してくれる数少ない人間の一人だった。
 ショーンに連れられて向かった広場には貧民街中の人が集まっていた。家族で笑いあう者、涙を流し歓喜にふるえる者。そのどこにも悪魔の影はない。喜びと希望に溢れる人々の間をアルベルトは進んでいった。
 人だかりの中心に救世主はいた。
 その姿を見た瞬間、アルベルトは言葉を失った。救世主が女性だったからではない。自分とそう変わらない歳だからでもない。緋色の髪に青い瞳の、見た目は普通の女性。けれどアルベルトの目は、彼女が持つどこか『普通』でないものを捉えていた。
「悪魔祓い師が何しに来たんだ?」
 住民の誰かが声をあげた。途端に人々の視線がアルベルトに集中する。彼女もそちらに目を向け、住民達の中で一人異質な格好をした青年を見た。
「悪魔祓い師、ね。私に何か用かしら?」
 用ならとっくに済んでしまった。詐欺師かどうか確かめるという用は。この人はただの詐欺師ではなく、まして悪魔祓い師でもない。確かめることはあと一つ。
「君はここの人たちに救世主と呼ばれている。けど、本当にここの人達を癒しているのか? もしそうならどうやっている?」
 彼女は答えるべきか考えているようだった。沈黙がその場を支配する。何か言おうとアルベルトが口を開くと、突然、悲鳴と呻き声が上がった。
 呻き声の主は異様な風体をした一人の少女だった。肌はどす黒く、右目と左目が別々の方向を見ている。口からは舌がだらりとたれ、叫ぶたびに釘や石を吐き出した。悪魔に憑かれた少女は、人に有り得ぬ咆哮を上げ暴れまわる。血走った瞳に救世主を映すと、奇怪な声を上げて飛びかかった。咄嗟にアルベルトは彼女を庇い、すさまじい力で暴れまわる少女を押さえ込んだ。
「大丈夫か?」
 問いかけると、彼女は驚いたような顔をした。
「自分の心配をした方がいいと思うけど? でも礼は言っておく。ついでにさっきの質問に答えるわ。・・・その子をそのまま押さえておいて」
 彼女は暴れる少女の前に膝を付き、右手をかざす。そして詠うように言葉を紡ぎ始めた。
 びく、と少女が震えた。血走った目を見開き、脅えるような表情を見せる。再び暴れだす少女を押さえながら、アルベルトは彼女の言葉を聞いていた。何を言っているのかはわからない。全く知らない言葉だ。けれど、その言葉は神聖であるが故に冷たいものではなく、静かでありながら荒々しく力強いものであることが感じられた。
 そして最後の言葉が発せられた時、少女の身体から黒い塊が弾丸のように飛び出し、空中で雲散霧消した。少女はおとなしくなり、身体からすっと力が抜けた。異様な雰囲気は消え、穏やかな表情になる。血の気が失せた頬に彼女がそっと触れると、枯れかけていた植物が水を得たかのように少女の身体に生気が戻った。
 その時、人だかりから一人の女性が飛び出してきて少女を抱きしめた。安堵の涙を流す母親の腕の中で少女がにっこりと微笑む。わっと歓声が上がり、人々は口々に救世主をたたえた。
 一方、アルベルトは今自分の目の前で行われたことに対して、信じられない思いでいた。
 悪魔祓いの儀式は連祷に始まり、聖典の朗読、神への嘆願を経てようやく悪魔祓いに移る。ゆえに儀式には相当な時間と手間がかかるし、聖水など必要な物も多い。アルベルトが独断で悪魔祓いを行わないのは、彼自身が悪魔祓い師として未熟なためと、儀式は一人ではできないためだ。
 ところが彼女はややこしい儀式も道具もなし。祈りの言葉(と思われるもの)だけで悪魔を祓ってしまった。詐欺でも手品でもなく、本当に。
 次はわたしの娘を! いや俺を! まだ自分や自分の家族が悪魔に取り憑かれている人が口々に嘆願する。その渦中で彼女は当惑しながらも悪魔憑きを癒していく。それはまさしく奇蹟の業だ。
 彼女は本物の救世主なのだろうか。だとすれば、もうすぐ――
「騎士だ!」
 突然、誰かが声をあげた。住民達の声がピタリとやんだところに、規則正しい鎧の音が広場に入ってくる。教会の守護騎士の一団だった。
彼らは統率の取れた動きで住民達を包囲した。不安と緊張が広場を満たし、どよめきがざわざわと広がっていく。
 馬に乗った騎士が進み出てきた。騎士は通り道にいる人々のことなど意に介さず、相手が避けるのが当然という態度で進み、集団の真ん中に立つ者を見下ろした。
「おまえが救世主と呼ばれている女だな?」
 彼女は答えない。ただ冷え切った瞳で騎士を見ているだけだ。その態度が気に食わなかったのか騎士は憎々しげに彼女を睨むと、懐から一枚の書状を取り出して声高に宣言した。
「救世主の名を騙り、悪魔の術を行使することは神を冒涜する行いである。邪法を操る魔女よ。おまえを第一級涜神罪で拘束する」
 騎士の言葉が終わる前に、住民達の沈黙は怒りの声へと変わっていた。自分達の恩人を犯罪者扱いされれば当然だ。彼らは自分達の救世主を守るように囲み、騎士達の行く手を阻む。馬上の騎士はその剣幕に押されて後退を余儀なくされた。
「邪悪な悪魔の手先から市民を守るのが我ら騎士の務め。邪魔する者は全て悪魔の手先とみなすぞ!」
「何が務めだい。教会はいつもあたしらを見捨ててきたくせに!」
「教会(あんたら)が救うのは金のある連中ばかりじゃないか! 貧乏人(おれたち)だって救われたいんだよ!」
「背徳者どもめ。魔女に味方する者は全て切り捨てよ!」
 あちこちで剣を抜く音が聞こえた。悲鳴が上がり、怒りと混乱がますます酷くなる。人ごみをようやく抜け出したアルベルトは、書状を持った騎士の元へ急いだ。
「騎士長殿、一般人相手に剣を抜くなど正気ですか!」
 声を張り上げて呼びかけると、騎士長は怪訝そうな顔をした。思えば悪魔祓い師の制服を着ていないのだからわからなくて当然だ。アルベルトは悪魔祓い師の証である聖印を取り出して名乗った。
「私はアルベルト・スターレンです。悪魔祓い師として命じます。今すぐ剣を納めてください」
「こ、これは失礼しました。このようなところに悪魔祓い師様がいらっしゃるとは思わず… しかしながら、これは悪魔祓い師長からの命令ですぞ。魔女およびその周りのものが抵抗する場合、実力行使を許可するとも言われました」
「ファーザー・セラフが?」
 詐欺師を魔女として捕らえることはよくあるが、悪魔祓い師長直々ということは、教会も彼女を詐欺師ではなく本物の魔女だと考えているということだ。門衛もそれを知っていたから詐欺師じゃないかと言いつつも怯えていたのだろう。
 だが、そのことと住人達に危害を加えることは別だ。アルベルトはもう一度、剣を納めるよう言おうとした。