短編集 1
永久に続く陽炎の刹那
(注※この小説はボーカロイドのオリジナル曲【カゲロウデイズ】を参考に制作した作品です)
目の前で上がる血飛沫に目を逸らした後、携帯を開いて時計を確認する。そこにはつい先程と同じ時間が表記されていた。あぁ、また繰り返してしまった、そう俺は呟いた。何度目かのこの幻に死角と聴覚を奪われて早数日。ある種見慣れてしまったこの赤い光景はもう何も面白みをなくしてしまって、目にこびり付くような血の色に動揺しなくなっている自分もいた。口から吐かれる生々しく鉄臭い血液が本当に生々しくて、軋む体、剥き出しにされた肉。顔に付いた赤を拭って、爛々と燦々と輝きを増していくその憎たらしい太陽の光に嫌気を差しながら、一つ溜息を漏らした。
もうすぐ14時になる。
目を覚ませば見慣れた部屋の、ベッドの上。少しごわごわし始めた布団の上で、蹴り飛ばしたらしい薄い肌掛けが横でしわくちゃになっていた。外を見てもまだ暗く、時計を見ればまだ夜中の2時と少し。ぐっしょりと濡れたシャツとシーツ。咽せ返るほどの熱気が鬱陶しい。寝る前にクーラーを付けたはずなのに、その冷たさは欠片も残っていなかった。気持ちの悪い蒸し暑さが、大きく溜息をつかせる。込み上げる嘔吐感が更に気分を悪くさせる。グロテスクなものが苦手というわけでもなく、いっそ慣れてしまった毎夜の夢。その描写があまりにもリアルで、目を覚ましたところで実際に体験したわけでもないのに、脳裏にこびり付いている画像。
こんな夢を見始めたのはいつからなのだろうと、自問してみるけれど、答えはいくら経っても出てくることはなかった。夢に見る少女とは、こちらで会ったことはないはずなのに、彼女は俺のことをよく知っている。無邪気な笑顔が似合う少女といつも一緒にいるのはとても小さな、仔猫だった。白と黒の斑模様の入った、とても愛らしいくりくりとした猫。
携帯を開けば、メールの着信が1通あった。すっかりと覚めてしまったので、ぐっしょりとなって肌に張り付いている汗と服を始末するために風呂場へ向かう。窓から月明かりが差し込んできて、その仄かな色と光に、少しだけ癒された。今日の夜はそれほど温度が上がるということはないと、天気予報が言っていたが、まるで嘘のよう。湿度も温度も高く、水分不足なのか頭がくらくらして、足も覚束ない。水を飲むのは風呂場に着いてからでいいか、と息を一つ吸い込み、歩を進める。浅かった呼吸を一気に深いものに変えたせいなのか、心臓が強く脈打つのがわかった。ほんの少し苦しかったのだが、気にせずに階段を下り始める。
そして世界が反転する。
次に目が覚めたその時は、汗は最初からなかったようなほどに、Tシャツが肌を撫でるように滑る感覚が新鮮だった。反転して、今は14時少し前。瞼が下りてくるような眠気が忍び寄るようにゆっくりと近付いてきた。どちらが夢でどちらが現実なのか、いっそわかりやすい線を引いてさえくれれば心の整理はそれなりにつけられるというのに。
「こんにちは、また来たんだね」
少し照れるような笑みを浮かべながら、俺が座っているベンチのすぐ横に座る。ここは公園の中でも心地がいい場所であって、古い木が作っている木陰のおかげでじりじりと肌が直接焼ける感覚を味わうことなく、至って涼しく過ごせるスポット。彼女を見てから疑問に思ったことが一つできた。
「いつもの猫はどうしたの」
そう普通に話しかけるような調子で尋ねれば、訳がわからないと言いたそうに首を傾げられてしまった。
「どこの猫のこと」
その時、太陽の熱と木陰の低い温度でできたのか、ゆらっと一瞬揺れた陽炎が俺のことを嗤うように、みしりという音を立てて、すぐ目の前に木が倒れた。そしてベンチは砕け、俺の腕や足はプラスチック片で切れて血が流れた。ただ、自分の血よりも、目の前を流れる致死量の赤い体液に、意識は向かった。
そして、世界が反転した。
目を覚ませばまたこの暑苦しく居心地の悪い空気が俺を連行していく。時計を確認すれば、やはり2時と少し。日も昇りきらないこの世界を何度描いただろう。どちらかもわからない夢現の状態で何かを考えるということ事態が無駄といえるのだろうな。繰り返し見る夢。はたまた、そんな現実から逃げるために自身が作った逃げ場が、この夢なのだろうか。答えはない。答えを見つける術など持ち合わせていないのだから。
そして世界が反転する。
気付けばまたあの公園のベンチに座っていた。昨日壊れたはずのベンチは、何事もなかったように元通りになっていた。携帯を開けば8月20日の14時丁度。耳を劈くような悲鳴が聞こえた後俺の目の前に映ったのは、店のショーウインドウに体が突っ込んだ状態で、蛇口を捻った後の水道のように流れ出る液体。その遺体の持ち主を完全に視認することはできずにいたけれど、想像できる。きっと、あの子だろうな、と。
そして、世界が反転した。
目を開いてぼやける視界をクリアにするために目を擦れば、手にはほんの少しの湿り気。涙を流していたのか、と頭を抱える。半分自棄になって時計を鷲掴み、電気を付けて確認をすれば、8月19日の2時丁度。
そして世界が反転する。
後ろを振り向けばあの公園。振り返らずにいればそこは交差点。この間の様子が目に浮かぶ。携帯を開いて日付と時間を確認したら、8月19日の14時と少し。大きな音が鳴って顔を上げればトラックの衝突。
そして、世界が反転した。
目を開いて嘔吐感を堪えて時計を見れば、2と示している短針。
そして世界が反転する。
手を伸ばせば君は笑って空から降ってくる鉄柱に体を貫かれた。
そして、世界が反転した。そして世界が反転する。そして、世界が反転した。そして世界が反転する。そして、世界が反転した。そして世界が反転する。そして、世界が反転したそして世界が反転そして、世界が反転そして世界がそして、世界がそして世界がそして、世界がそしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして、そしてそして世界が反転した。