短編集 1
君が私の片翼となって遠い世界を見てきて欲しい
気付いたら一緒にいた。
俺たちは気付いたら一緒にいて、何をするにもどこへ行くにも一緒で、喧嘩しても必ずどちらかがすぐに謝りにきて、すぐに仲直りできた。好きな物も嫌いな物も同じで、怒られる時も考えることも一緒。それが当たり前だった。幼い頃からずっとそれが当たり前で、普通のことで、日常で、それ以外のことなんて考えられなかった。
そんな俺たちがあるものの虜になった。これもまた、同じ瞬間に、同じタイミングで、同じ物に、心奪われた。
きっかけは叔父から譲り受けた、1枚のチケット。なんでもここ数年故郷から離れ外国へ行っていた有名な写真家の女性が日本に帰国し、個展を開くというのだ。叔父は、“自分は写真に興味はないし感銘を受けることもないだろうから、感受性豊かな若かりし君たちにこれをやろう”と言ってきたのだ。要するに、押しつけられた。捨てるのももったいないし、そんなすごい人の個展になら行っても損はないのかも、という軽い気持ちで、妹の繭花と一緒に個展へと足を運んだ。1枚で3人までが入れるというからだ。たった1人でこういう場所に足を踏み入れるのは気が引けたし、丁度繭花の予定も空いていたからよかった。
チケットの発行部数が少なかったのか、有名な人の個展なのに点々としか人が入っていなかった。不思議だなぁ、なんて思いつつ入ってみると、壁一面にある程度の間隔を空けながら貼られている写真の数々に、思わず息を止めた。
「何これやばい」
ふつふつと体の奥から湧き上がってくるような感動を覚えたのは齢15にして初めてで、それは繭花も同じだった。堰を切ったように勢いよく流れ込んで来る感情は、彼女から伝わってきた。自然に口角が上がるのを抑えられずに、不自然な表情になってしまう。けれど、それすら抑えきれずに、2人して顔を見合わせて笑った。やばいな、やばいね、なんて言い合いながら、何がやばいのかよくわからないまま声を押し殺しながら笑っていた。
すぐ目の前にあるような美しい景色。大小様々な写真が飾られていて、ずっと心臓の高鳴りが止まなかった。
樹氷と海。そう名付けるに相応しい作品を見て、思わず身震いした記憶もある。いつ折れるかわからないほどのか細い木々が白く凍り、上からは白い花がふわり、ふわり、と、優雅に降り続けている。そして、白い衣を纏った木々たちは紺碧の水に浸かり、白い花は水の上へと着水していた。花が水へと降り立った時の波紋が、また水の色を少しずつ変えている様子が、また美しかった。写真から伝わってくる寒さに、鳥肌が立った。
それが、3年前のこと。
自動車の運転免許を取った俺は、ワンボックスカーに自転車と妹を乗せて、高速道路を走っていた。県外にある森を取りに行くためだ。太陽が入ると、上から差す木漏れ日がとても綺麗で、あるサイトを見て心躍らせたから、早速行こうということになった。
はぁ、リア充?なんだそれは、美味いのか。と言っても、別に作れないわけじゃない。2年前はいたけど、今以上にカメラに熱中していた時期で、色んなとこ連れ回したら別れ切り出された。それだけの話しだ。話の分かる妹と一緒に出かけた方が、何十倍も楽しい。
あの時期はコンデジを初めて手にして、1年で3万とか4万くらいシャッターを切っていた。学校の授業風景とか、帰り道とか、自転車で今まで行かなかった場所を散策するようにもなって。目を向けなかった場所にも綺麗な風景や、物があるんだって改めて感じた。葉っぱ1枚をとってみても、虫に食われているものとそうでないものだってあるし、色づいているものや枯れかけたもの、形や色が違うものだってある。太陽の光を受けてどれだけ美しく見せられるか、撮れるかっていうことに注目して、これでもかっていうほどに撮っていた。一時、下水道を泳ぐ鯉を死ぬ気で撮ろうとして、本気で落ちそうになったこともあった。カメラは腕にストラップを巻いていたから落とすことはなかったけれど。
今は少しグレードアップして、中古のビギナー用の一眼とマクロレンズを買った。繭花は俺のカメラより色彩の感度が高い本体と、望遠レンズを買っていた。本体を同じメーカーにしたから、互いにマクロレンズと望遠レンズを貸し合うことができるということも含めてだった。
前置きが少し長くなったが、その一眼を持って、今高速道路を滑走中だ。
「楽しみだなぁ…立石寺だっけ」
「そ。目指すは絶壁の立石寺。あの写真きれーだったなー…ああいう写真撮ってみてーよ」
「撮るために行くんでしょ?どっちがより美しく撮れるかな?」
「お前構図巧いからなー…負けてらんね」
「正哉は光の加減が巧いじゃん。絞りとか露光とか露出とか諸々」
「あんなん慣れだ。つか、勘だろ。繭花だってできるって」
「私のは全体的に暗くなるし…なんていうか、センスの違いがここで出てくるね」
「うるせ」
足して2で割れば更に良い写真になると何度言われただろうか。言われる度に何度も何度でも高めてきたけれど、差は埋まるどころか並列になるばかりで。それが心地よくもあり、もどかしくもあった。
今日は晴天だ。青空が広がる中、谷間から見える空と寺を同時に写すことができ、尚且つ繊細な緑を同時に出すことができたらどれほどの作品になるだろう。そう考える度に、背筋にぞくぞくとしたものが走る。武者震いと言えるだろうか。俄然やる気になってきた。
「ね、なんか変な音しない?」
そう、繭花が呟いた時だった。
ドンッという衝撃音の後、パキッというガラスに罅が入る音と、繭花の悲鳴、そして心臓辺りの圧迫を受けて、目の前が真っ白になった。
夢の中で、川を見た。自分の両手足をぶらぶらと意味もなく動かした後、なんだったんだろう、と小さく首を傾げた。何かが起きたような気がする、という漠然としたことしか思い出すことができない。自分自身、何かが起きたという意識すら持っていないに近い。今この場所で、自分は写真を撮るためにいるのではないだろうか、と思い、適当に歩いていた。
すると、川を渡るための船はクルーザーで、シンプルでいてシックな感じの船だった。気付いたら手には自分が愛用しているカメラがあった。こんなにも綺麗な景色を是非とも撮り収めたいと思い、早速起動してファインダーを覗く。俺が持っているカメラの視野率は93%のはずだったのだが、シャッターを切って画像を見てみると、100%で映っていた。
何かが変だ。と、具体性もない疑問を持った瞬間、そういえば繭花と一緒に立石寺に行く約束をしていたことを思い出した。そして、後ろで自分の名前を呼ぶ繭花の声が聞こえて、振り向いた。振り向いて、駆け寄ってくる彼女の姿があった。
「もー、どこ行ってたの。正哉が行くのはあっちじゃなくてこっちだよ」
ふて腐れたような表情を見せて、ぐいぐいっと俺の裾を引っ張っていく。
そうしてふと目が覚めれば、知らない場所。
「正哉…良かった…!無事に目が覚めたのね!」
「心配させて…後できっちり謝ってもらうからな」
「先生、意識が戻りました!!」
「良かった…。すみませんが、ご家族の方は少しだけ…」