短編集 1
声にならないほどに笑って、桜は拗ねたようにそっぽを向いてトマトにかじりついた。その様子を見て、潤んだ目を服の袖で拭ってからとんとん桜の肩を叩く。くるっと振り向いた彼女は、あからさまに不機嫌そうな表情をしていた。それを見て苦笑いを漏らすと、地面の上に置かれていた籠を持って畑の奥の方を指差した。
それが彼女に伝わったのか、手に持ったトマトの最後の一口を口に入れてから立ち上がった。まるで夏の後ろに着いてくる犬のようだ。
「ぁ、きゅうり」
「きゅうり…とか。不味くない?」
「えぇ!美味しいよ、味噌とかつけて食べると」
「いーや、不味い。無理。食えない、何あの味」
「じゃぁ、好きな物は?」
「とうきび」
「とうきび?」
「トウモロコシのことだよ、あれはマジで美味だ」
「気持ちはわかるけど」
それから日が沈むまで収穫と談笑に没頭し、榊のおばさんに呼ばれるまで時間を気にすることなく楽しんでいた。
「そういえば、夏君はいつ帰るの?」
「俺は…明後日、かな」
突然聞かれたその問いに、戸惑いながらも答える。すると「そっか…じゃぁあと少ししか一緒にいられないんだ」と、残念そうな声が聞こえてきて、その反応に夏は心を躍らせた。けれどそれから、桜とは主立った会話はなくなった。
榊のおばさんの家を出る日になった。あの収穫の日から、桜とはあまり話していない。彼女が一体どんな気持ちでいるのかも、見送りにさえ来てくれないその理由も、なにもわからないまま、夏は車に乗った。後ろには誰も乗らない。だから、彼は後部座席に乗り込みそのまま横になった。すると、トントンと車の窓を叩くような音が聞こえたから、目を開けて起き上がる。そこにいたのは、会ったときと同じ、白いワンピースをきた桜の姿だった。起き上がったことに対してなのか、気づいたことに対してなのか。にっこりと笑っていた。
よくわからないまま、夏は車の窓ガラスを下に下げ、会話ができるようにした。
「あのね、ばいばいする前に、夏君に言いたいことがあったの」
「ぇっと…何?」
「私、来年も来るから、その時にまた、一緒にいたいなって」
「…来年?」
「うん。夏君が今日帰るって聞いて、凄く寂しかったけど…どうしようもないから、また来年。会おうねっていう約束」
今度は、ひまわりのように明るい表情で笑った。
その言葉を聞いて、夏もまたひまわりのように笑った。
「約束する、また来年」
顔を近づけ、こつんと額を合わせる。
どこか照れくさいけれど、この温もりを忘れなければ、秋・冬も越せる気がする。
君と出会えてよかった、そう思えたとある日。
来年もまた、同じ小屋で、同じ畑で、笑えることを描いているよ。
――――――――――…とある日。END(20110731)
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