短編集 1
とある日。
とある夏の日、少女と少年が出会った。
その日、二人は互いの秘密を交換した。
次の日、二人は互いの好きな物を教え合った。
とある日、二人は小さな小さな約束をした。
そして、二人は別れた。
「久しぶり…ご無沙汰してたわねぇ」
「いえいえ、こちらこそ。遠いところをわざわざありがとう。…ささ、上がって。夏君もおっきくなって…」
「どうも」
とある八月の暑い日。雲も点々と広がり、太陽が燦々(サンサン)とこれでもかというほどに存在を主張している。そのせいもあり、すぐ目の前にも関わらず空気が揺れているように見える。小道の両脇に広がる畑には大小様々なひまわりが生えていて、盆地に綺麗な黄色の絨毯を彩っているようだった。
その美しい景色に目を奪われるでもなく、少年の夏は、母親と叔母に連れられてある山小屋に到着した。気乗りしない表情をしながら、彼はその小屋の敷居をくぐる。
毎年恒例のこの家族行事。父親がいない夏の家族は、毎年夏になると父親の妹である「榊のおばさん」の元へと泊まりに行く。そして、いつも暑い夏の日に山登りをしたり農作物の収穫の手伝いやらをやらされる。だから毎年、この時期を迎えると憂鬱になる。楽しめていたのは本当に幼い頃だけの話で、今になっては大して面白みも感じることもなく、やりがいも感じることもなく。唯単に「面倒くさい作業」としか捉えられなくなっていた。
「あ、そうそう。今日はね近所の友達が遊びに来てるのよ」
「…そっすか」
近所の友達というのは、大抵が小さな子供。小学校に入るか入らないかほどの年齢の子供達。子守も大抵は夏の仕事で、願ってはいない。
溜息を吐きながらその子供達がいる座敷へと移動すると、そこに座っていたのは小さな子供達だけではなく、今まで見たことのないような顔立ちをした、自分と同い年くらいの少女。その少女に群がるのが毎年見かける、手のかかる子供。優しげな笑みで女の子や男の子と接していた。
彼女は夏を見つけると、顔を向けた。
「ぁ、えっと…初めまして」
照れたように首をかしげる姿がまた可愛らしくて。自然と体が熱くなっていくのがわかった。理由はまだ知る由もない。
「あー!!夏だぁ!!今年もきたぁ!!」
「ほんとだほんとだ!!夏がいる!」
「あー…えーっと…ユリに岳か?」
うっすらと覚えている名前を挙げると、満足そうに頷く女の子と男の子。どうやら当たっていたようだ。一年に一度しか会うことのない子供の名前を覚えているのは、かなり珍しい方だと自分では思っている。しかし、目の前にいる少女を、見たことはなかった。この暑い夏の日、白いワンピースを着て透けるような白い肌をした少女が、こんな活気しかない山の麓に来ること自体、そうそうないだろう。
「夏さんって言うんですか?」
「え、ああ、はい」
普段慣れないはずの敬語を、つられて言ってしまう。
「私は桜って言います。少しの間だけ榊さんのおうちにお邪魔させてもらうことになってますので…」
「そう、なんだ。よろしく」
無愛想な人間だと思われたのだろうか。心の隅でそう不安に思っていると、桜は小さく微笑んで「はい」と、一言だけ言った。
それから、色々な話をした。
近くの川のこと、山のこと。桜のことや、自分のこと。会ったばかりだというのに、昔からの馴染みでもあるような気さえしてきた。その日、一日中子供の子守をしながら話をしていた。
「それでな、俺の秘密の場所があるんだよ」
「そうなの?今度行ってみたいなぁ。あ!私もね、ここに来る途中で良いところ見つけたの」
「どんなとこ?」
「とても綺麗な川でね、おばさんに聞くと夜には蛍が現れるんだって」
「へぇ…それは俺も初耳かも。見てみたいな」
古びた襖に寄りかかりながら、二人は夜遅くまで話し込んだ。天井から下がっている電気ではいささか心許ないが、それもまた味が出ていて面白いと感じでしまう。二人でこんな家の中で小さな声で話していると、内緒話をしているようでどきどきしてくる。どんな話にも興味津々に聞いてくれる桜は、話すときも生き生きとしていて、無邪気だった。
かといって、子守をしたような小さい子供のような無邪気さではなく、好奇心と世界の羨望に溢れたような目で、言葉で、見て表現していた。夏はどこか他人事のようにそう考えながら、桜の話に耳を傾けていた。
「あのね、ここだけの話なんだけどね…」
「ん?何なに?」
「私、桜って花があまり好きじゃないの」
「え?何で?」
「すぐ、散っちゃうから…寂しいじゃない。せっかく綺麗に咲いたんだから、ゆっくりとゆっくりと時間をかけて散って欲しいなって思ったの」
「…そうなんだ。俺はその名前も、花も好きだけど」
「そう…かな?ありがとう」
視線を上へと移動させてから、はにかんだように笑った。ひまわりまで明るくはない、けれどすみれのように小さくもない、ちょうど桜のような淡く柔らかい笑顔だった。
「正直、俺は夏が嫌い」
「私は好きだよ」
互いに顔を見合わせて、どちらからというわけでもなく、笑い合う。
次の日、農作物を収穫することになった。軍手を手にはめ、溜息を吐きながら広い畑を眺めていると、後ろから桜の声が聞こえた。後ろを振り向いてみると、汚れてもいいような作業着を着て、彼女の手には既に軍手がはめられていた。
「手伝ってもいい?」
「もちろん!」
夏のその言葉を聞いて嬉しそうに笑ってから、一番近くにあったトマトに手を伸ばしてみる。とても熟(ウ)れていて、しかし身はしっかりとしていた。よく、興味のある物を目の前にしたとき「目が輝いている」という表現を用いるが、目の前の彼女がまさにその言葉を具現化したようだった。
「こういうの採ったりするの初めて?」
「うん、初めて。潰さないかな…」
「大丈夫だろ。そんな身構えないで気楽に採れば」
「それもそうだね」
小さく笑ってから、桜はぷちっと音を鳴らせて大きなトマトを手に取った。
「かぶりつけば?」
「えぇ!!ダメでしょ、おばさんのなんだから」
「俺毎年やってるんだけど」
「悪い子なんだね」
「どうせみんなで食べるんだしそうでもないよ。食べちゃえ」
桜は少し迷って、ちらっと夏の方を見てからかぷりと小さい口でトマトにかぶりついた。中からジェル状に種が桜のあごを伝って落ちそうになる。慌てて指ですくう彼女を見て、夏は声を出して笑ってしまう。
「トマト美味しいね」
「好きなの?」
「うん。トマトも好きだけど、ナスとかトウモロコシも好きだよ」
「へぇ、一番好きな食べ物は?」
「…笑わない?」
「何で?笑わないけど」
「……じゃがいも」
「………ぶはっ」
「あー!!笑った!ひどーい」
「俺もじゃがいも好きだけどまさか…って」