男性支配
対関係の初期は重要だ。あとで修正するのは困難だ。
たとえば
明日のデートで二人の初めてのセックス、という夜にあなたは電話する。話しておきたいことがあるの、と言う。
「あなたのことが大好き。心もからだもつながりたい。でも、先のこと、考えると・・・」
男は電話口で座り直す。ここでうまく振る舞わないと、明日、やれない。
「だって、このままいけば、私たち結婚することになるかもしれないでしょ。」
「あ、ああ。」
「わたしのユリって言う名前、死んだ父が付けてくれたの。山野ユリ、ね、お父さんのプレゼントなの、山の百合のように生きろ、って。でも、あなたの姓にもし変えたら、わたし、志田ユリになっちゃうでしょ。もうすぐ枯れそう。それがいやで。」
「あ、そ、それは分かる、でも、俺の方が姓を変える、っていうのも・・・・・。ど、どうしたらいいだろう。」
「わたし、一人で悩んでいたの。」
「あ、ごめん、気がつかなかった。ほら、男にはその問題がないものだから。」
「どうしてないのかしら。」
「ああ、どうしてだろうね。ねえ、どうしたらいいか、これから二人で一緒に考えていかないか、まだ、すぐっていうわけじゃないんだし。」
「一緒に考えてくれるのね、嬉しい。」
これだけの手続きをふんでようやくあなたは民法の「結婚後の姓は両性の合意による」という規定を自分の手に入れられるのだ。いったいこの国で何%の夫婦がこのことを話し合ってから結婚しただろうか。
相手が誠実な男だったら、考え続けてくれるかもしれない、今まで考えたこともなかったが、「なぜ、女だけなんだろう。」
一つが変われば、ほかのことも変えやすいのだ。運がよければ彼はあなたの職場でのたたかい、学校とのたたかいを強力に支えてくれるようにさえなるかもしれない。
正論を押しつけ、こぶしを振り上げる男たち同士のたたかいから学んではならない。それは支配と隷属をなくす道ではない。支配と支配のたたかいなのだから。
そうでない戦い方は、ある。