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「舞台裏の仲間たち」 22~24

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 叔母に佐々城豊寿、従姉妹には信子がいました。
この信子は、後に国木田独歩の妻となります。
父・喜四郎は同藩の多田郡之助の四男で、星家の養子となった人です。
父方の伯母・兼はキリスト教徒で、その孫・佐藤とみの夫は郭沫若でした。


 ■郭沫若(かく まつじゃく)は中華民国、中華人民共和国の政治家、
 文学者、詩人、歴史家。
 原名は郭開貞で、開貞は諱、沫若は号にあたります。



 良は、仙台で片平丁の小学校に通いました。
この小学校は、明治6年には”五番小学校”、明治7年に”片平丁”、
そして良の生まれた年の9年には”育才小学校”、12年に”片平丁小学校”と
次々に校名が変わり、現在に残る仙台市立片平丁小学校は、昭和22年(1947)からのことでした。
ちなみに大正3年(1914)に校歌が制定されましたが、
校歌の作詞者は、詩人の土井晩翠です。



■土井 晩翠(どい ばんすい))は、日本の詩人、英文学者。
 本名は、林吉(りんきち)。本来の姓は「つちい」でしたが、1932年(昭和7年)に改称。
 東京帝国大学在学中に 『帝国文学』を編集し、多くの詩を発表。
 男性的な漢詩調詩風で、第一詩集『天地有情』に対する評価では、
 島崎藤村に並ぶと称されました。
 代表作に『星落秋風五丈原』や、滝廉太郎の作曲で知られる『荒城の月』などがあり、
 校歌、寮歌なども数多く作詞しました。




 明治19年(1886)9月18日、
アメリカから派遣された宣教師と日本人によってキリスト教主義の「宮城女学校」が創設され、
同月の24日から、10名の生徒での授業がはじまりました。
なお、「仙台神学校」は、これに先立つ5月にすでに開設をされています。
翌、明治20年(1887)5月になると、
東二番丁の本願寺別院跡を取得して、仙台教会と仙台神学校がここへ
移転してきました。


 良が通っていた小学校の隣接地です。


 子ども向けの日曜学校に、
良は誘われるままに参加をして、賛美歌を歌い、
そこで東京の明治女学校の生徒・齋藤冬らが英語で話すことに大変な刺激を受けました。
帰省のたびに教会に出席する先輩、なかでも久保春代(青柳有美夫人)の、
明治女学校の様子や『女学雑誌』のことや、校長の巖本善治と夫人の若松賤子のことを聞くにつれ
良の中で、東京への憧れと諦めが錯綜をします。



 この頃に良は、
仙台で日曜学校を開いていた神学生・島貫兵太夫と出会います。
父を早く失った良にとって、島貫は「深い精神的親身の兄」となりました。
こうした中で、良は若干12歳にして洗礼を受けます。
この当時、島貫兵太夫はすでに良の非凡な才能を認めており、
「アンビシャスガール」と敬意をこめて呼んでいた、
と記録に残されています。