叶えたい
────30年くらい前
一人の男が疲れた面持ちで階段を上っていた。
螺旋状になっているこの階段は、このマンションの3階まで続いている。外見は立派とは言えず、一昔前の建築物のようだ。
男が階段を上り終え、部屋の前に立つ。
そこで男は部屋の中から妙な違和感を感じた。
男は鍵を差し込んで回したが、最初から開いていたようだった。
ドアノブを握ったときに静電気で手が痛かったが気にせずに回して中に入る。
その瞬間に男が見たものは、真っ暗な部屋に佇む一人の青年だった。男が明かりをつけるのと同時に青年が口を開いた。
「どうも。お待ちしておりました」
青年は柔らかい表情で言った。
「お前誰だ?」
極めて穏やかに男が聞く。その声は怒っているでもなく、緊張している様子でもなかった。
「私は……神の使い、とでも言いましょうか」
「神か」
男は、青年が人外だろうと最初から思っていた。確信は無いがそう思ったのだ。
「神サマの使いが何のようだ?」
「はい。単刀直入に言いますと、あなたの願いを叶えに来ました」
「願い?」
そういう話なら昔読んだことがあるなと男は思った。
悪魔が突然現れて、何かの代償と引き換えに願い事を一つ叶えるという話だった筈だ。
あの頃は現実的にありえないと思っていた。
「どうして俺の願いを叶えてくれるんだ?」
「それは私も知りません。上の命令ですので」
上と言うのが我々、人がいう神なのだろうなと男は想像する。
「どんな願いでもいいのか?」
「基本的にはどんな物でも叶えられますが、既に運命が決まってしまったものは変えられません」
「そうか。……本当に叶えてくれるんだろうな」
半信半疑ではあった。誰だってそうだろう。
家に帰ってきたら鍵を閉めたはずの部屋の中に見知らぬ青年がいて、神の使いです。あなたの願いを叶えます。と言われても普通は信じられない。
「えぇ、勿論です。叶えないと私が上に怒られますので」
まだ信じられていない部分はある。でも、言うだけ言ってみようと男は思った。
どうせあと2週間もすれば、同じことを神様に願うことになるのだから。
「対価とかは要るのか?」
これは結構重要なことだった。といっても、今の男には失ってもいいものしか残っていないが。
「それは必要ありません。願いだけ叶えろだそうです」
そういうことなら言ってみてもいいだろう。
男の願いは既に決まっていた。ずっとずっと前からたった一つだけだった。
「そうか……じゃあ、俺の願いは 」
「それでいいですね?」
青年は意外そうな顔をした。
「あぁ」
「わかりました。ですが、この願いにはいくつか条件があります」
そういうと青年は説明し始めた。
────現代
「鉄平、聞いた?」
同僚の葛城学が周りに聞こえないようにか、口元に手を当てて小さな声で話しかけてきた。
鉄平は人に聞かれたくない話なら電車でするなよと思ったが口にはしない。
「何を?」
「ホープレスの話や」
「ホープレス……? あぁ」
ホープレスとは、少し前に会社内で話題になったホームレスの老人の事だ。
ホープレスは各地を転々としながら生活しているらしいが、なんでも、一つだけ願い事を叶えてくれるそうだ(だからホープとホームレスを捩ってホープレスと呼んでいる)。
ホープレスは願いを聞き入れるといつのまにか消えるらしい。そして、翌日になるとその願いが叶っていると言う。
願いによっては数日越しに叶うものもあるらしい。
ホープレスのお陰で恋が叶ったとか、宝くじが当たっただとか、そういう話をネットで見たことがある。
それを鉄平は、誰かが流したただの噂に尾ひれが付いて、みんながそれに便乗しているだけだろうと踏んでいた。
自分で願いを叶えられるのならばホームレスでいるのはおかしいじゃないか。
「それでな、ホープレスっぽい人をみたって奴がおるんやけどさ」
「この辺で?」
「この辺ゆうか、鴨川の近くやって」
「そっちの方か」
鉄平は本当はあまり興味がなかった。このまま流そうと思うのだが……。
「……なぁ鉄平」
嫌な予感がする。学が溜めてから「なぁ鉄平」と言うときは面倒に巻き込まれる前兆だからだ。
学はさっきよりも鉄平に顔を近付けて言った。
「ホープレス、探しに行ってみーひん?」
鉄平は断ることも出来ず、貴重な日曜日を使ってホープレスを探しに行くことになってしまった。
ホープレスには特徴がある。それはホームレスに見えないホームレスと言うことだ。
常に黒のコートを着ていて、歳は恐らく60代半ばくらいなのだが、背筋はしゃんとしていて清潔感まで漂っているそうだ。
そんな中で、唯一ホームレスらしい所は靴だ。
靴を見ればホープレスだと判別出来る。
ずっと使っているであろう革靴は所々破れているらしい。
「どんな願い叶えて貰おかな~」
学はもうホープレスを見つけた気分でいるらしい。仮に見つけたとしても本当に願いを叶えてくれるのかは定かでないのにだ。
鉄平達は取り敢えず目撃情報のあった鴨川沿いを歩くことにした。
途中で数人のホームレスらしき人を見かけたが、どれも黒のコートは着ていなかった。
かと言って彼等に尋ねるのもどうかと思ったのでやめておいた。
しばらく歩いていると学が、疲れた! と言ったので、近くにあった公園で休むことにした。
「はぁ……いねーなーホープレス」
「そんな簡単に願い叶うんやったら神様はいらんわ」
それもそうやけどさ……と言う学は、もう歩くのに飽きかけているようだ。普段はこんなに歩く事がないから余計に疲れたらしい。
「もう帰るか」
学はいつもそうだ。鉄平は思う。だから嫌な予感だと言ったのだ。学は、思いついた事は何も考えずにすぐ実行する。そしてうまくいかなければすぐやめる。これに何度振り回された事だろうか。
ここまでくると、鉄平はもう意地になっていた。大事な日曜を潰してまでしたのに、収穫無しでは帰れなかった。
どうせならホープレスの真相を確かめてやろうじゃないか、と。
「ホープレス見つけたら俺にカノジョが出来るようゆうといてな」
そう言って学は一人で帰ってしまった。呆れたのは当然だが、鉄平はもう慣れてしまっていた。
それから鉄平は一人でホープレスを探し続けた。もしかしたら既に別の所に移ってしまったのかもしれない。噂では、一週間と同じ場所には留まらないらしい。
一人の男が疲れた面持ちで階段を上っていた。
螺旋状になっているこの階段は、このマンションの3階まで続いている。外見は立派とは言えず、一昔前の建築物のようだ。
男が階段を上り終え、部屋の前に立つ。
そこで男は部屋の中から妙な違和感を感じた。
男は鍵を差し込んで回したが、最初から開いていたようだった。
ドアノブを握ったときに静電気で手が痛かったが気にせずに回して中に入る。
その瞬間に男が見たものは、真っ暗な部屋に佇む一人の青年だった。男が明かりをつけるのと同時に青年が口を開いた。
「どうも。お待ちしておりました」
青年は柔らかい表情で言った。
「お前誰だ?」
極めて穏やかに男が聞く。その声は怒っているでもなく、緊張している様子でもなかった。
「私は……神の使い、とでも言いましょうか」
「神か」
男は、青年が人外だろうと最初から思っていた。確信は無いがそう思ったのだ。
「神サマの使いが何のようだ?」
「はい。単刀直入に言いますと、あなたの願いを叶えに来ました」
「願い?」
そういう話なら昔読んだことがあるなと男は思った。
悪魔が突然現れて、何かの代償と引き換えに願い事を一つ叶えるという話だった筈だ。
あの頃は現実的にありえないと思っていた。
「どうして俺の願いを叶えてくれるんだ?」
「それは私も知りません。上の命令ですので」
上と言うのが我々、人がいう神なのだろうなと男は想像する。
「どんな願いでもいいのか?」
「基本的にはどんな物でも叶えられますが、既に運命が決まってしまったものは変えられません」
「そうか。……本当に叶えてくれるんだろうな」
半信半疑ではあった。誰だってそうだろう。
家に帰ってきたら鍵を閉めたはずの部屋の中に見知らぬ青年がいて、神の使いです。あなたの願いを叶えます。と言われても普通は信じられない。
「えぇ、勿論です。叶えないと私が上に怒られますので」
まだ信じられていない部分はある。でも、言うだけ言ってみようと男は思った。
どうせあと2週間もすれば、同じことを神様に願うことになるのだから。
「対価とかは要るのか?」
これは結構重要なことだった。といっても、今の男には失ってもいいものしか残っていないが。
「それは必要ありません。願いだけ叶えろだそうです」
そういうことなら言ってみてもいいだろう。
男の願いは既に決まっていた。ずっとずっと前からたった一つだけだった。
「そうか……じゃあ、俺の願いは 」
「それでいいですね?」
青年は意外そうな顔をした。
「あぁ」
「わかりました。ですが、この願いにはいくつか条件があります」
そういうと青年は説明し始めた。
────現代
「鉄平、聞いた?」
同僚の葛城学が周りに聞こえないようにか、口元に手を当てて小さな声で話しかけてきた。
鉄平は人に聞かれたくない話なら電車でするなよと思ったが口にはしない。
「何を?」
「ホープレスの話や」
「ホープレス……? あぁ」
ホープレスとは、少し前に会社内で話題になったホームレスの老人の事だ。
ホープレスは各地を転々としながら生活しているらしいが、なんでも、一つだけ願い事を叶えてくれるそうだ(だからホープとホームレスを捩ってホープレスと呼んでいる)。
ホープレスは願いを聞き入れるといつのまにか消えるらしい。そして、翌日になるとその願いが叶っていると言う。
願いによっては数日越しに叶うものもあるらしい。
ホープレスのお陰で恋が叶ったとか、宝くじが当たっただとか、そういう話をネットで見たことがある。
それを鉄平は、誰かが流したただの噂に尾ひれが付いて、みんながそれに便乗しているだけだろうと踏んでいた。
自分で願いを叶えられるのならばホームレスでいるのはおかしいじゃないか。
「それでな、ホープレスっぽい人をみたって奴がおるんやけどさ」
「この辺で?」
「この辺ゆうか、鴨川の近くやって」
「そっちの方か」
鉄平は本当はあまり興味がなかった。このまま流そうと思うのだが……。
「……なぁ鉄平」
嫌な予感がする。学が溜めてから「なぁ鉄平」と言うときは面倒に巻き込まれる前兆だからだ。
学はさっきよりも鉄平に顔を近付けて言った。
「ホープレス、探しに行ってみーひん?」
鉄平は断ることも出来ず、貴重な日曜日を使ってホープレスを探しに行くことになってしまった。
ホープレスには特徴がある。それはホームレスに見えないホームレスと言うことだ。
常に黒のコートを着ていて、歳は恐らく60代半ばくらいなのだが、背筋はしゃんとしていて清潔感まで漂っているそうだ。
そんな中で、唯一ホームレスらしい所は靴だ。
靴を見ればホープレスだと判別出来る。
ずっと使っているであろう革靴は所々破れているらしい。
「どんな願い叶えて貰おかな~」
学はもうホープレスを見つけた気分でいるらしい。仮に見つけたとしても本当に願いを叶えてくれるのかは定かでないのにだ。
鉄平達は取り敢えず目撃情報のあった鴨川沿いを歩くことにした。
途中で数人のホームレスらしき人を見かけたが、どれも黒のコートは着ていなかった。
かと言って彼等に尋ねるのもどうかと思ったのでやめておいた。
しばらく歩いていると学が、疲れた! と言ったので、近くにあった公園で休むことにした。
「はぁ……いねーなーホープレス」
「そんな簡単に願い叶うんやったら神様はいらんわ」
それもそうやけどさ……と言う学は、もう歩くのに飽きかけているようだ。普段はこんなに歩く事がないから余計に疲れたらしい。
「もう帰るか」
学はいつもそうだ。鉄平は思う。だから嫌な予感だと言ったのだ。学は、思いついた事は何も考えずにすぐ実行する。そしてうまくいかなければすぐやめる。これに何度振り回された事だろうか。
ここまでくると、鉄平はもう意地になっていた。大事な日曜を潰してまでしたのに、収穫無しでは帰れなかった。
どうせならホープレスの真相を確かめてやろうじゃないか、と。
「ホープレス見つけたら俺にカノジョが出来るようゆうといてな」
そう言って学は一人で帰ってしまった。呆れたのは当然だが、鉄平はもう慣れてしまっていた。
それから鉄平は一人でホープレスを探し続けた。もしかしたら既に別の所に移ってしまったのかもしれない。噂では、一週間と同じ場所には留まらないらしい。