waiting for sunset 浦里の村
暦が春にかかる時期になると、私は小さな荷物を携え、よく小旅行に出掛けていた。雑踏の都会暮らしの疲れから、旅先は決まって長閑な場所をえらんでいた。数日だが太陽の傾きや、多くの星の動きを見ながらの生活は、有意義に感じた。この年は高知県にある浦里の民宿に泊まった。小高い丘の上にあった。
部屋の窓を開けると、潮の香りのする風が入ってくる。同時に目をみはる景色が飛び込んでくる。ぬけるような水色の空の果てには、くっきりとした水平線が引かれ、油絵具の色のような光沢のある硬い海が広がっている。
眼下には、なすびのような形の港が目に入り、色とりどりの旗をつけた漁船が係留されている。それを取り囲むように、家が立ち並び村が広がっている。海の恩恵での成り立ちがうかがえる。漁村の中心に紅い鳥居が見える。朝食の時に女主人が話していた、豊漁祭りがある鳥加茂神社だ。出店が何かを仕込んでいるのか、それとも祭事を行っているのか、白煙が上がっている。
私は外を一望すると出掛けの身支度をした。漁村の様子や祭りを、写真に収めようと思った。肌着を着込み、厚手の上下を身にまとい、ダウンジャケットを羽織った。カメラを首に引っ掛け、疲れないようにとウオーキングシューズを履き外に出た。空気は、しんと真冬のように冷たく、暦がさきがけて春になっているだけだった。坂を下りながら、眼下の村が少しずつ迫ってくるのを楽しんでいた。
漁港近くには商店街があり、多くの人が行き来していた。商店街をぬけると漁港に出た。港の海は都会の重苦しい灰色とは違っていた。風の無い凪の海は鏡のように、綺麗な天色を丁寧に映しこんでいる。私はそれを上手に写そうとカメラを持ち、しばらく写真を撮った。
港を見渡すと、一角で数人の男達が朝から酒盛りをしているようだった。近付いて行くと、みな漁師か体格のいい男達が集まっている。ドラム缶を縦に割った、コンロに網をのせ、魚介類を炙り酒盛りをしている。面白い話をしているのか、何人かの男が大笑いしていた。
私はその光景を、写真に残したいと思った。、いや、あわよくば、その集まりに混ぜてもらい、一緒に酒でも飲めたらいいなと思った。写真を撮るのも好きだが、旅先で酒を飲みながら、地元の人の話を聞くのはもっと好きなのである。
「すいません。観光できているんですけど、写真を撮らせてもらってもいいですか。」
そうお願いすると、特に気にする様子もなく、快活の返事が返ってきた。
「旅人か、何枚でも撮っていけ。こんなの撮って珍しいか。兄ちゃん都会からきたのか。」
「はい。東京からきたんですよ。」
私も調子をあわせるように、快活に返事をした。カメラを取り出し、ファインダーを覗き、写真を撮った。レンズを向けるとサービスなのか、日常なのか一升瓶のラッパ飲みをしだした。シャッターを切った。何枚か活気のある写真を収めた。カメラをケースにしまって、礼をいうと一人の男が、黄色いビールの空ケースに座布団をくくりつけた椅子を、すすめてくれた。
「兄ちゃん、これから何か用事があるがかえ。」
「特に今日はこの辺りをみて回る予定で、特に決まった用事もないです。」
「この辺りを見て回るっていっても、なんもないぜよ。でも今日は祭りだから、いつもよりは見るもんあっかもな。始まるまでには少し早いから兄ちゃんも少し飲んでいけ。」
そういうと紙コップを渡され、なみなみと酒をついできた。こぼれそうだったので、慌てて口に運んだ。
「うまいですね。」
「そっかー。適当に焼いちゅうのも、食えよ。」
箸と皿を渡してくる。魚をとって食べてみると、新鮮な味が口の中、いっぱいに広がった。
「海がきれいだし、獲れる魚は美味しいし、いい所ですね。」
私は、単純に思った事を笑顔で口にした。
「そうだろう。いいとこだろう。そうだ、今日はひょっとしたら、だるま夕日が見えるかもしれんぜよ。兄ちゃん夕方、どこにいるかしらんが、日が沈むのを見てみろ。二つの夕日でだるまの形をつくるき。すごく神秘的だぞ。」
荒々しい感じの人から、神秘的というスピリチュアルな言葉がでるのは、可笑しかったが一見の価値があるらしく、細かく説明してくれた。
だるま夕日は冬の風物詩だが、毎日見えるというわけでない。冬の間で二十回程度しか見る事ができない。その中でも綺麗な達磨の形をするのはその半分、十回程度である。綺麗な形のだるま夕日は、幸運の夕日と呼ばれている。大気と海水との温度差が大きく、冷え込みが激しい晴れた日に、海面から立ち上がる水蒸気によって蜃気楼現象がおきる。今日のような日は、絶好のだるま日和と教えてくれた。
私は幸運の夕日をカメラに収めたくなり、必ず夕方、見に来ると約束した。そうして、少しお酒が入った体を休めようと、宿に戻った。昨日までの仕事の疲れに酒が手伝って、眠くなっていた。
宿に戻り、横になり目を覚ますと、午後の三時を過ぎていた。日の入りまでは、まだ時間があるが、茶を一杯飲み、すぐに漁港へ向かった。坂道を下り歩いていくと、ゆっくりと漁村、きれいな海が近づいてくる。
坂を下り、景色を眺めながら、漁港に向かっている時、去年の小旅行の老主人を思い出した。昨年は海など一切無い、深い渓谷の温泉宿にいた。さほど大きくないその宿は、老主人が一人で切り盛りしていた。宿泊客も私一人でほぼ付ききりで、山間を案内してくれた。とても面倒見のいい人だった。
食事も一緒にとり、その時によく主人の話を聞いていた。私は、ずっと街で育ってきたので、山の話は目新しく聞き応えのあるものだった。
岩茸(イワタケ)をとりに行って、崖から滑り落ち、運よく途中でとまり数時間かけて、よじ登ってきた話は、とてもスリルに満ちたものだった。ロッククライミングのように、岸壁の窪みや引っかかり、凸凹だよりに、崖を上っていく。
酔っぱらって、酒のつまみに栗を拾って焼こうと山に入っていったが、何故か道に迷い家に帰るまでに二日かかった話は傑作だった。そして山に暮らしだした経緯を話しだした。
主人は浦里の村で生まれたが、戦争中の捕虜生活で海を見る事が嫌になった。そして山に住むようになった。海の近くの収容所でひどい事でもされたのだろうか。
「海の近くの収容所にいたんですか。」
と私が聞くと、主人は頷き、捕虜生活のことを語りだした。
戦時中、捕虜になった。日本を離れ、南方にある、山間の戦地へ赴いていた。
もう二、三日。両日中には目的地へ着くところまで隊は進んでいた。
その日、私が所属していた歩兵の部隊は、いつものように、森で野営をはって休息をとっていた。
思い荷物を背負って、日がな一日、進行している。敷布を地肌に広げて仰向くと、森に溶けていくように、意識が遠のいた。その日、眠ると私は夢にうなされた。銅鑼声を張り上げ、舟の上で男と諍っている。男は掴みかかってきては、私を海に落とそうとする。腰をとられ、身体が跳ね上がったかと思うと、私の体は海に向かっていた。そこで都合よく目が覚めた。
部屋の窓を開けると、潮の香りのする風が入ってくる。同時に目をみはる景色が飛び込んでくる。ぬけるような水色の空の果てには、くっきりとした水平線が引かれ、油絵具の色のような光沢のある硬い海が広がっている。
眼下には、なすびのような形の港が目に入り、色とりどりの旗をつけた漁船が係留されている。それを取り囲むように、家が立ち並び村が広がっている。海の恩恵での成り立ちがうかがえる。漁村の中心に紅い鳥居が見える。朝食の時に女主人が話していた、豊漁祭りがある鳥加茂神社だ。出店が何かを仕込んでいるのか、それとも祭事を行っているのか、白煙が上がっている。
私は外を一望すると出掛けの身支度をした。漁村の様子や祭りを、写真に収めようと思った。肌着を着込み、厚手の上下を身にまとい、ダウンジャケットを羽織った。カメラを首に引っ掛け、疲れないようにとウオーキングシューズを履き外に出た。空気は、しんと真冬のように冷たく、暦がさきがけて春になっているだけだった。坂を下りながら、眼下の村が少しずつ迫ってくるのを楽しんでいた。
漁港近くには商店街があり、多くの人が行き来していた。商店街をぬけると漁港に出た。港の海は都会の重苦しい灰色とは違っていた。風の無い凪の海は鏡のように、綺麗な天色を丁寧に映しこんでいる。私はそれを上手に写そうとカメラを持ち、しばらく写真を撮った。
港を見渡すと、一角で数人の男達が朝から酒盛りをしているようだった。近付いて行くと、みな漁師か体格のいい男達が集まっている。ドラム缶を縦に割った、コンロに網をのせ、魚介類を炙り酒盛りをしている。面白い話をしているのか、何人かの男が大笑いしていた。
私はその光景を、写真に残したいと思った。、いや、あわよくば、その集まりに混ぜてもらい、一緒に酒でも飲めたらいいなと思った。写真を撮るのも好きだが、旅先で酒を飲みながら、地元の人の話を聞くのはもっと好きなのである。
「すいません。観光できているんですけど、写真を撮らせてもらってもいいですか。」
そうお願いすると、特に気にする様子もなく、快活の返事が返ってきた。
「旅人か、何枚でも撮っていけ。こんなの撮って珍しいか。兄ちゃん都会からきたのか。」
「はい。東京からきたんですよ。」
私も調子をあわせるように、快活に返事をした。カメラを取り出し、ファインダーを覗き、写真を撮った。レンズを向けるとサービスなのか、日常なのか一升瓶のラッパ飲みをしだした。シャッターを切った。何枚か活気のある写真を収めた。カメラをケースにしまって、礼をいうと一人の男が、黄色いビールの空ケースに座布団をくくりつけた椅子を、すすめてくれた。
「兄ちゃん、これから何か用事があるがかえ。」
「特に今日はこの辺りをみて回る予定で、特に決まった用事もないです。」
「この辺りを見て回るっていっても、なんもないぜよ。でも今日は祭りだから、いつもよりは見るもんあっかもな。始まるまでには少し早いから兄ちゃんも少し飲んでいけ。」
そういうと紙コップを渡され、なみなみと酒をついできた。こぼれそうだったので、慌てて口に運んだ。
「うまいですね。」
「そっかー。適当に焼いちゅうのも、食えよ。」
箸と皿を渡してくる。魚をとって食べてみると、新鮮な味が口の中、いっぱいに広がった。
「海がきれいだし、獲れる魚は美味しいし、いい所ですね。」
私は、単純に思った事を笑顔で口にした。
「そうだろう。いいとこだろう。そうだ、今日はひょっとしたら、だるま夕日が見えるかもしれんぜよ。兄ちゃん夕方、どこにいるかしらんが、日が沈むのを見てみろ。二つの夕日でだるまの形をつくるき。すごく神秘的だぞ。」
荒々しい感じの人から、神秘的というスピリチュアルな言葉がでるのは、可笑しかったが一見の価値があるらしく、細かく説明してくれた。
だるま夕日は冬の風物詩だが、毎日見えるというわけでない。冬の間で二十回程度しか見る事ができない。その中でも綺麗な達磨の形をするのはその半分、十回程度である。綺麗な形のだるま夕日は、幸運の夕日と呼ばれている。大気と海水との温度差が大きく、冷え込みが激しい晴れた日に、海面から立ち上がる水蒸気によって蜃気楼現象がおきる。今日のような日は、絶好のだるま日和と教えてくれた。
私は幸運の夕日をカメラに収めたくなり、必ず夕方、見に来ると約束した。そうして、少しお酒が入った体を休めようと、宿に戻った。昨日までの仕事の疲れに酒が手伝って、眠くなっていた。
宿に戻り、横になり目を覚ますと、午後の三時を過ぎていた。日の入りまでは、まだ時間があるが、茶を一杯飲み、すぐに漁港へ向かった。坂道を下り歩いていくと、ゆっくりと漁村、きれいな海が近づいてくる。
坂を下り、景色を眺めながら、漁港に向かっている時、去年の小旅行の老主人を思い出した。昨年は海など一切無い、深い渓谷の温泉宿にいた。さほど大きくないその宿は、老主人が一人で切り盛りしていた。宿泊客も私一人でほぼ付ききりで、山間を案内してくれた。とても面倒見のいい人だった。
食事も一緒にとり、その時によく主人の話を聞いていた。私は、ずっと街で育ってきたので、山の話は目新しく聞き応えのあるものだった。
岩茸(イワタケ)をとりに行って、崖から滑り落ち、運よく途中でとまり数時間かけて、よじ登ってきた話は、とてもスリルに満ちたものだった。ロッククライミングのように、岸壁の窪みや引っかかり、凸凹だよりに、崖を上っていく。
酔っぱらって、酒のつまみに栗を拾って焼こうと山に入っていったが、何故か道に迷い家に帰るまでに二日かかった話は傑作だった。そして山に暮らしだした経緯を話しだした。
主人は浦里の村で生まれたが、戦争中の捕虜生活で海を見る事が嫌になった。そして山に住むようになった。海の近くの収容所でひどい事でもされたのだろうか。
「海の近くの収容所にいたんですか。」
と私が聞くと、主人は頷き、捕虜生活のことを語りだした。
戦時中、捕虜になった。日本を離れ、南方にある、山間の戦地へ赴いていた。
もう二、三日。両日中には目的地へ着くところまで隊は進んでいた。
その日、私が所属していた歩兵の部隊は、いつものように、森で野営をはって休息をとっていた。
思い荷物を背負って、日がな一日、進行している。敷布を地肌に広げて仰向くと、森に溶けていくように、意識が遠のいた。その日、眠ると私は夢にうなされた。銅鑼声を張り上げ、舟の上で男と諍っている。男は掴みかかってきては、私を海に落とそうとする。腰をとられ、身体が跳ね上がったかと思うと、私の体は海に向かっていた。そこで都合よく目が覚めた。
作品名:waiting for sunset 浦里の村 作家名:トレジャー