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花がすみのいろ :1(prologue) -2

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 店の名残の広い土間は、大半が埃っぽい物置場と化していて、二人の前には、古びた家財道具など、様々なものが所狭しと積まれていた。
 それにもかかわらず、合間を臆せずに進んで行き、上がり口で靴を脱ぎ始めた深雪の様子に、「あれ、お前は…。」と、男は微かな驚きを見せ、独り言ちた。その台詞に深雪の瞳が曇る。
 男は深雪のそばにやって来ると、手にしていた大きな鞄を下ろし、その張りのある声で家の者に声を掛けた。奥の方からすぐに志乃の返事が届き、それに重なり、目の前の障子戸からも掠れた女の声がする。
「呼んでるぞ、ほら。」
 深雪はびくりとして男を見上げた。男は障子戸の中程に細長く嵌められたガラス窓から、座敷の中をちらりと窺った。女の声が、深雪の名を呼ぶ。
「お前…みゆきっていうのか?」
 深雪は男の問いを無視した。
「あんた、あんたでいいわ。ちょっと来て火をつけてくれない。片手じゃ何も出来やしないんだもの。」
 目敏く男を呼び付ける母の声に、深雪の心が震えた。
 男はもう一度体を屈め、遠慮がちに座敷を覗き込んだ。春先であるこの時期に、まだ仕舞われずにいて用をなす古びた掘り炬燵のそばで、赤いカーディガンを羽織った女がこちらを見ていた。煙草を手にしながら婉然と笑みを浮かべる様子に、男は小さく息を呑む。
 化粧っ気のない白い面であったが、見る者を魅了する類稀な美しさが女にはあった。そしてまた、頬杖をつく棒のような片手の先に、ぐるぐると巻かれた白い包帯が、この女の妖しさをより一層増して見せるのだった。
 母の姿をはっきりと男に見られてしまった事が、深雪には耐えられなかった。それまで堪えていた寒さがどっと体を襲い、上がり框に細い手足を縮こめる。
 男が驚いて深雪の体に触れるなり、「正道さん、上がっていてくれていいのよ。」と、座敷脇の薄暗い廊下から志乃の声がした。ようやく前掛け姿の志乃が小走りでやって来て、この二人が揃って玄関にいるのへ目を丸くする。
「あらあら、二人とも仲良くびしょ濡れねぇ。お帰りなさい。」
 志乃は笑顔で二人を迎え、前掛けの裾で拭った白い手のひらで、深雪の濡れた頬を撫でた。「今日も海を見に行っていたの?」という問いに、深雪は背を丸めたまま、小さく頷く。
 男は改めて志乃に挨拶をし、ちらりと深雪の顔を見やった。
「深雪ちゃん、このお兄さんが正道さんよ。九州やね、瀬戸内の方へ行く船に乗っているの。正道さん、この子は深雪ちゃん。来月から六年生よ。よろしくね。」
 正道という名のこの男は、屈託のない笑みを深雪に向け、暫くこの家に滞在するから宜しくと、明るさを含んだ声で付け加えた。志乃は微笑んで二人を見やり、正道から濡れた外套を受け取る。
「夕方にはこちらに着くって聞いていたから、ちょうど今、お夕飯とお風呂の支度をしていたのよ。」
「姉さん…姉さんでいいからお願いよ。」
 縋るような澪子の声が、玄関先へ割り込んで来た。
「澪子、ちょっと待っていてちょうだい。」
 座敷からの呼び声に、志乃はそう切り返し、「私の妹なの。」とだけ、短く正道に紹介した。
「雨に濡れて寒かったでしょう。お風呂が沸いているから、先に二人でお入りなさい。」
 志乃は深雪と正道を交互に見やる。
「さあさ、いつまでもそのまんまでいたら風邪をひきますよ。」
 急かすように手を叩く志乃の前に、深雪は俯いたまま顔を上げる事が出来なかった。座敷の澪子からは、少しばかり解放された心地であったが、これからこの男の前に裸を晒さねばならないのだ。言いようのない不安が込み上げて来る。
「それじゃあ、先にもらいます。」
 正道が深雪の頭を撫で、その匂いが深雪の傍を掠めた。
「正道さん、荷物もこちらに寄越して。」
「いや、自分で運びますから。」
 正道の大きな背が、志乃に付いて薄暗い廊下の先へ行く。
「ミユキ、一緒に入るぞ。」
 ふいに振り返って正道が笑みを見せるのへ、深雪は慌ててその後を追うのだった。




:to be continued.