移ろいの中で (1月9日 追加)
宗教とて同じ。仏陀が説いたであろう法というものは何も紫の法衣を着た偉い坊さんや某団体の会長や先生を頼り一所懸命働いた金をお布施しなくても中村元著 「ブッダの人と思想」という本を数百円を出し買えば十分教えてくれます。それも嫌だというならアップされてる中村元の動画を見ればいいです。その中で彼はブッダは法を信じ己を信じよといっている。私もその通りだと思うのですが、そうなるとここで矛盾が生じますね。
紫の法衣を着た高僧が「己を信じなさい、それが楽になる方法です」と説き檀家がなるほどと理解するとその寺は要らなくなりはしませんか?それ以前に紫だの黒だのその高級な法衣も袈裟も意味が無くなります。ブッダは色即是空といっている?物に惑わされること無く己を信じろと。この宇宙は全てひとつ、それも無常のだと。
だけど宗教界には会社以上に随分階級があって、どういうわけか皆さん上を目指すし、他の団体をけなすのです。だのに先ほどの大学教授であったり、高級腕時計の紳士であったりと同じで、人はそのような箔が無いと信用しないわけでしょう?きっと。
実に面白と思いますね。同じことを破れたジーンズはいた馬鹿な中年のおっさんが言っても人は信用しない。ところがその人が札束持って高級外車で乗り付けるとこれが信用してしまう。食べ物にしても同じ、テレビで有名人が食べていたから美味しいはず!!
愉快だし、哀れだとは思います。
私が悪魔だったとしたら決して黒いマントを羽織、大きな鎌をもってぎらぎらした目で人に近付くことはしません、誰だってしないはず。ちょっと魅力ある格好でいつもニコニコ人のよさそうな顔をして「そうかいそうかい」と優しい言葉を掛け、時にはおいしいものを食べさせ、頃良く太った頃にばっさりとやるでしょう。でなきゃ人を食うことは出来るはずがない。
私がおじいさんになってもと歌った歌がありましたが私が坊さんなら、お布施も不要、線香も不要、ただ自分を信じればいい。あとはなるようにしかならん。山より大きな猪は居ないしこの世の事はこの世で片がつく。あとは塵となって宇宙を舞うだけだから心配するなと説きますけど。当然寺も必要ない訳ですよ、誰も聞かないでしょうけど。
誰が言おうが彼が言おうが関係ない、まずは一度クリアにして自分が考える。全部調べその中から自分が真を探せばいいのではないでしょうか。
こんな簡単なことが分からず、炎天下や寒風吹く中幼子を連れて家々を回る布教活動という名の営業マン信者たち、その人たちはそれで救われているから結構なことだけど、こちらから見えれば気の毒な限りです。
作品名:移ろいの中で (1月9日 追加) 作家名:のすひろ