篠原 逆転
久しぶりに、故郷と呼べる場所に帰って来た。義理の母は歓待して、しばらく離してくれなかった。いい加減にしろ、と、妻が僕を連れて、義理の母のところから離れた大陸に移動した。そこには、僕らが住んでいた家があった。朽ちていないのは、義理の母がちゃんと管理してくれているからだ。とうとう、ここが僕の故郷になってしまった。他は、もう思い出だけの場所だ。知り合いが居た星は、すでに時間が経過して変わってしまった。両親の生まれた星は、新星に呑み込まれて消滅した。他にも住んでいた星はあるけど故郷とは、足りえない。時間が許す限り滞在はできるが、過ぎる時間が違い過ぎて、僕たちは住めなくなってしまうからだ。
ここだけは、義理の母は、僕らと同じ時間の中で生きているから、何度でも帰って来られるし、顔を合わせられる。この家も、いつでも帰れるように、と、義理の母が用意してくれたものだ。
「いつものことながら、母は、あなたを可愛がり過ぎるわ。」
妻は、ようやく落着いた家でも文句を言った。義理の母は、僕のことが可愛いのだと言う。だから、帰れば猫可愛がりしているらしい。それが、妻は気に食わない。
「僕は、有り難いと思うよ? 義理のお母さんなのに、実の母のようにしてくれる。」
「理沙は、あんなふうに、あなたを可愛がってませんでした。」
「そうなの? 僕、生んでくれた母のことは覚えてないから。」
「そうでしょうね。まだ、言葉もあまり話せるほどではなかったものね。・・・でも、ずっと見ていたわよ? あなたが遊んでいるのを楽しそうに眺めて微笑んでいたの。あなたが駆け寄ったら、全力で抱き締めて、また、あなたが駆け出したら、それを眺めて・・・束縛しない愛し方だった。」
「まあ、それはね。生んでくれた母は身体の弱い人だったんだろ? 一緒に走り回ったりはできなかったんだろうから。」
「でも、あなたが転けて泣いたら駆け寄って慰めてたわ。あなたは、それだけで、すぐに機嫌が直って、また走り回るの。」
僕は、生んでくれた母のことは、よく覚えていない。幼少の頃に、僕を庇って亡くなったからだ。実の父という人は、僕の記憶を弄って、自分が父だとはわからなくしていたから、後から教えてもらった。だから、父という実感はない人だ。彼なりに愛してくれていたのだとは思う。ただ、その愛し方は苛烈だったとは思う。僕が巻き込まれないために、僕の関係者となる人を、全て消滅させてしまったからだ。
「そう言われてもね。・・・・僕が記憶していて母親らしいことをしてもらったのは、板橋のお母さんぐらいだ。」
「そうね、板橋のお母様が一番、母親らしいとは思うわ。」
「もう、逢えないけど忘れないなあ。ものすごく古いことなのに。」
僕には、都合三人の母がいる。生んでくれた理沙という母、壊れた僕を実の子のように世話して元に戻してくれた板橋の母、そして、妻の母だ。どの人もタイプは違うのだが、僕に、それぞれ愛情は注いでくれた。お陰で、僕は妻と、こうやって暮らしている。
ピピッ
電子音がして、妻は、はっと端末を覗き込む。それから、慌てて立ち上がった。ウッドデッキから家に入ったところをみると、義理の母からの怒りの連絡なのかもしれない。
ふたりして喧嘩するが、実は仲が良い。だから、僕は仲裁しないことにしている。義理の母は、喧嘩できるほど威勢のいい妻が大好きなので、ついつい、喧嘩をふっかけているのだと、僕に言っていたからだ。
「おまえを可愛がるとね、あの子はヤキモチを妬くの。それが、とても可愛くて、ついつい、おまえを構ってしまうわ。」
義理の母は、そう言って笑っていた。共通の話題などは、あまりないから、スキンシップとしては成り立っているらしい。妻も本気ではないが、文句は吐き出している。よく、僕みたいなのと結婚してくれたな、と、いつも感心するのだが、これも運命というものなのだろう。僕と同じ時間を共有できる妻でなければ、僕は一緒に暮らすことはできなかったし、僕を生かしておくこともできなかったはずだ。小さな緑の星で出会って、それから、ずっと守ってくれた。何も知らなかった僕に、たくさんのものを与えて、ここへ連れて来てくれた。とても大変だったろうと思う。だのに、妻は楽しかったと言う。僕と一緒に生きていけることが楽しいから、苦労したとは思わないのだそうだ。
まあ、何度か殺されそうにはなったけど、それも、今では懐かしい思い出だ。殺して、この星に早く連れ帰りたいと思っただけだ。憎んだわけではない。それが、どれほど深い想いなのか、僕にも、ようやく理解できるようになった。
「おめでとう、義行さん。」
家から戻って来た妻は、小さなケーキとフルートグラスに入った発泡酒を運んで来た。
「はい? 」
何かの祝い事があっただろうか? 僕には覚えがない。首を傾げたら、妻は、それらをテーブルに置いてキスを仕掛けてきた。何度か角度を変えて嬲るように僕の舌を吸い上げる。されるがままは残念なので、僕も妻の舌や唇を噛んだり吸い上げたりする。しばらく、そんなやりとりをした。
それが一段落すると妻は僕を離した。
「なっなに? いきなり。」
「地球時間で、今、あなたの誕生日になりました。おめでとう、義行さん。」
「はあ? 地球時間? ここで、それは計れるものじゃないだろ? 雪乃。」
「計れるわよ。ずっと、地球時間に合わせて稼動させているタイマーがあるの。まあ、空間跳躍するから正確とはいえないけど、とりあえず、記念日というものは存在します。」
「でも、それって・・・」
「私の気分の問題なんだけど、お祝いはしたいのですよ? 旦那様。」
「もう、ロウソクが足りないよ? 奥様。僕、いくつになったのか覚えていないくらいだ。」
「そうでしょうね。私も、あなたの年齢なんて忘れたわ。いいじゃないの。誕生日というものをやりたくなったの。」
テーブルには、地球でよく見かけた真っ白なケーキだ。その上に、ご丁寧にロウソクが二本指してある。
「作ったの? 」
「調理機械にデータを入れてね。だから、ほぼ同じ味にはなってるはず。こちらはシャンパン。・・・さあ、ロウソクを吹き消してくれる? 」
妻は視線でロウソクを睨むと、火が点く。そういう能力があるので、ライターもマッチも必要ではない。ゆらゆらと揺らめく炎を眺めて、それから妻の視線と合わせる。
「僕を生んでくれた母と世話してくれた母と義理の母に感謝を。僕が、ここに存在できるのは、雪乃が一緒に居てくれるお陰だ。それにも感謝します。ありがとう。」
「おめでとう、義行さん。」
ふっとロウソクを吹き消した。すると、妻はテーブル越しに、またキスをしてくれる。今度は軽いのだ。
カチンとフルートグラスを合わせて飲む。本当に、地球のシャンパンと同じ味だ。妻が、ホームシックにかからないように、と、地球のデータを、たくさん保存してくれている。その中にあるものらしい。
「プレゼントは何がいい? 」
「・・・・うーん・・・・何って言われても・・・」
「なんでもいいわよ? ここにないのなら、次の星で用意するから。」
「いや、物質的なものはいいよ。」
「じゃあ、何かして欲しい? 」
ここだけは、義理の母は、僕らと同じ時間の中で生きているから、何度でも帰って来られるし、顔を合わせられる。この家も、いつでも帰れるように、と、義理の母が用意してくれたものだ。
「いつものことながら、母は、あなたを可愛がり過ぎるわ。」
妻は、ようやく落着いた家でも文句を言った。義理の母は、僕のことが可愛いのだと言う。だから、帰れば猫可愛がりしているらしい。それが、妻は気に食わない。
「僕は、有り難いと思うよ? 義理のお母さんなのに、実の母のようにしてくれる。」
「理沙は、あんなふうに、あなたを可愛がってませんでした。」
「そうなの? 僕、生んでくれた母のことは覚えてないから。」
「そうでしょうね。まだ、言葉もあまり話せるほどではなかったものね。・・・でも、ずっと見ていたわよ? あなたが遊んでいるのを楽しそうに眺めて微笑んでいたの。あなたが駆け寄ったら、全力で抱き締めて、また、あなたが駆け出したら、それを眺めて・・・束縛しない愛し方だった。」
「まあ、それはね。生んでくれた母は身体の弱い人だったんだろ? 一緒に走り回ったりはできなかったんだろうから。」
「でも、あなたが転けて泣いたら駆け寄って慰めてたわ。あなたは、それだけで、すぐに機嫌が直って、また走り回るの。」
僕は、生んでくれた母のことは、よく覚えていない。幼少の頃に、僕を庇って亡くなったからだ。実の父という人は、僕の記憶を弄って、自分が父だとはわからなくしていたから、後から教えてもらった。だから、父という実感はない人だ。彼なりに愛してくれていたのだとは思う。ただ、その愛し方は苛烈だったとは思う。僕が巻き込まれないために、僕の関係者となる人を、全て消滅させてしまったからだ。
「そう言われてもね。・・・・僕が記憶していて母親らしいことをしてもらったのは、板橋のお母さんぐらいだ。」
「そうね、板橋のお母様が一番、母親らしいとは思うわ。」
「もう、逢えないけど忘れないなあ。ものすごく古いことなのに。」
僕には、都合三人の母がいる。生んでくれた理沙という母、壊れた僕を実の子のように世話して元に戻してくれた板橋の母、そして、妻の母だ。どの人もタイプは違うのだが、僕に、それぞれ愛情は注いでくれた。お陰で、僕は妻と、こうやって暮らしている。
ピピッ
電子音がして、妻は、はっと端末を覗き込む。それから、慌てて立ち上がった。ウッドデッキから家に入ったところをみると、義理の母からの怒りの連絡なのかもしれない。
ふたりして喧嘩するが、実は仲が良い。だから、僕は仲裁しないことにしている。義理の母は、喧嘩できるほど威勢のいい妻が大好きなので、ついつい、喧嘩をふっかけているのだと、僕に言っていたからだ。
「おまえを可愛がるとね、あの子はヤキモチを妬くの。それが、とても可愛くて、ついつい、おまえを構ってしまうわ。」
義理の母は、そう言って笑っていた。共通の話題などは、あまりないから、スキンシップとしては成り立っているらしい。妻も本気ではないが、文句は吐き出している。よく、僕みたいなのと結婚してくれたな、と、いつも感心するのだが、これも運命というものなのだろう。僕と同じ時間を共有できる妻でなければ、僕は一緒に暮らすことはできなかったし、僕を生かしておくこともできなかったはずだ。小さな緑の星で出会って、それから、ずっと守ってくれた。何も知らなかった僕に、たくさんのものを与えて、ここへ連れて来てくれた。とても大変だったろうと思う。だのに、妻は楽しかったと言う。僕と一緒に生きていけることが楽しいから、苦労したとは思わないのだそうだ。
まあ、何度か殺されそうにはなったけど、それも、今では懐かしい思い出だ。殺して、この星に早く連れ帰りたいと思っただけだ。憎んだわけではない。それが、どれほど深い想いなのか、僕にも、ようやく理解できるようになった。
「おめでとう、義行さん。」
家から戻って来た妻は、小さなケーキとフルートグラスに入った発泡酒を運んで来た。
「はい? 」
何かの祝い事があっただろうか? 僕には覚えがない。首を傾げたら、妻は、それらをテーブルに置いてキスを仕掛けてきた。何度か角度を変えて嬲るように僕の舌を吸い上げる。されるがままは残念なので、僕も妻の舌や唇を噛んだり吸い上げたりする。しばらく、そんなやりとりをした。
それが一段落すると妻は僕を離した。
「なっなに? いきなり。」
「地球時間で、今、あなたの誕生日になりました。おめでとう、義行さん。」
「はあ? 地球時間? ここで、それは計れるものじゃないだろ? 雪乃。」
「計れるわよ。ずっと、地球時間に合わせて稼動させているタイマーがあるの。まあ、空間跳躍するから正確とはいえないけど、とりあえず、記念日というものは存在します。」
「でも、それって・・・」
「私の気分の問題なんだけど、お祝いはしたいのですよ? 旦那様。」
「もう、ロウソクが足りないよ? 奥様。僕、いくつになったのか覚えていないくらいだ。」
「そうでしょうね。私も、あなたの年齢なんて忘れたわ。いいじゃないの。誕生日というものをやりたくなったの。」
テーブルには、地球でよく見かけた真っ白なケーキだ。その上に、ご丁寧にロウソクが二本指してある。
「作ったの? 」
「調理機械にデータを入れてね。だから、ほぼ同じ味にはなってるはず。こちらはシャンパン。・・・さあ、ロウソクを吹き消してくれる? 」
妻は視線でロウソクを睨むと、火が点く。そういう能力があるので、ライターもマッチも必要ではない。ゆらゆらと揺らめく炎を眺めて、それから妻の視線と合わせる。
「僕を生んでくれた母と世話してくれた母と義理の母に感謝を。僕が、ここに存在できるのは、雪乃が一緒に居てくれるお陰だ。それにも感謝します。ありがとう。」
「おめでとう、義行さん。」
ふっとロウソクを吹き消した。すると、妻はテーブル越しに、またキスをしてくれる。今度は軽いのだ。
カチンとフルートグラスを合わせて飲む。本当に、地球のシャンパンと同じ味だ。妻が、ホームシックにかからないように、と、地球のデータを、たくさん保存してくれている。その中にあるものらしい。
「プレゼントは何がいい? 」
「・・・・うーん・・・・何って言われても・・・」
「なんでもいいわよ? ここにないのなら、次の星で用意するから。」
「いや、物質的なものはいいよ。」
「じゃあ、何かして欲しい? 」