ろんぐ・ぐっどばい
Episode.5
「自分も好きなんだ、その『白い薔薇の淵まで』。あの時同志を見つけたなって思った」
「うそ……知ってたの、あの本のこと」
早矢は頷き、何回も読んだよって言った。
「ホントは同じクラスになってからずっと水瀬のことが気になってて。ちっちゃくて可愛いくて、頼りなげで。で、その本を読んでいるって知ったら余計に気になって」
あたしは頭の中がぐるぐる回っているような気がしてきた。今ここで繰り広げられていることは現実のことなのだろうか?
「引っ越しが決まってからずっと、何度告ろうと思ったことか。でも女の自分がこんなこと言ったら絶対嫌われると思って言えなかった。いくらああいう類の本を読んでいても水瀬はノンケだからって、怖くて勇気がなくて」
やだ、涙が止まらない。今度は嬉しすぎて。
「だからさっき告ってくれた時は正直信じられなかったし、今でもホント嬉しい。水瀬は勇気があるよね。だからもっと好きになった」
早矢の顔がさらに迫ってくる。いや、顔だけじゃなくて身体ごと。
「『好き』にもいろいろあるけど、自分が言う『好き』っていうのはこういうこと」
ふっと揺れる切れ長の眸。あたしはその反則の笑顔に見惚れたままじりじりと後ずさって、それでも後がなくて背中が壁にぶち当たった。いわゆるこれが俗に言う壁ドンってやつ?
「好きだよ、莉生」
まさかまさかの予想外の展開にあたしの頭はパニック! 身動きのとれないあたし。迫る早矢の顔もとい唇。あたしは思わず固く目を閉じた。
くすっ。
微かな笑みと共に、頬に触れた柔らかい感触。何度もそっと涙を吸い取ってくれる甘い感触にあたしの心臓は擦り切れそうなほど早打ちした。
「大丈夫?」
へなへなと床にくずおれたあたし。同じくしゃがんで目線を合わせてくれて、さっきみたいに頭を優しく撫でてくれる早矢。
「これ」
制服のブレザーのポケットから取り出されたメモ。早矢らしい何の飾り気のない真っ白な小さな紙。
「きっと渡せないと思っていたんだけど、やっぱり最後まで諦めきれなくて。メアド交換してくれる?」
ああ、神さま! 夢ならどうか覚めないで。
どうしてあたしが断るでしょうか? あたしも即座にポケットに手を突っ込んで用意していたメモを渡した。
「あたしもきっと渡せないと思っていたんだけど……これ」
お互いがお互いのメモを受け取る。メアドの交換無事終了。これであたしと早矢の間に確実なラインが繋がった。
「そろそろ行かないと」
早矢は優しくあたしを抱き起こしてくれる。
初めて握る早矢の手。それはとっても大きく感じられてさらっとして、そして心地良い冷たさ。
下校の鐘が鳴る。
校門を出てあたしたちは左右に別れる。
昨日の同じ時間、たったひとりの教室で聞いた同じ鐘の音。それが今は大好きな早矢とふたり笑いながら聞いている。なんだか信じられない不思議な気持ち。
「落ちついたらメールするから」
早矢が強くあたしの手を握りしめる。あたしはじっとその端正な顔を見つめたまま頷いた。
「待ってるね」
あたしはきっと満面の笑顔だったろう。早矢の言葉に嘘はないと信じてる。 だけど、あたしは薄々感じてる。女同士の友情以上恋人未満の関係がどんなに脆くて頼りないものか。未来はわからない。彼女はメールをくれるかもしれないし、くれないかもしれない。あたしがメールをしても返信をくれないかもしれない。
私たちがこの先どうなっていくのか。それはまったくわからない。不安な気持ちはハンパないけれど、お互いの気持ちが通じたあの瞬間だけは確かで揺るぎない。
濃いオレンジ色の夕焼けが空を鮮やかに染め上げる。
「元気でね、莉生」
「早矢も」
あたしたちは小学生みたいに無邪気に手を振った。
後悔なんかしたくない。あの時、決死の覚悟で勇気を振り絞って、自分の気持ちをぶつけて、本当に良かったと今では思える。
きっとまた逢える。
それがいつかはわからないけれど。
だけどだけど、いつかきっとまた逢える時がくる。ううん、あたしは絶対逢いに行く。
その時まで早矢、ろんぐ・ぐっどばい。
了
お読みくださりありがとうございました。