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不可解な出来事

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(一)

 二階の、自分の部屋から降りて母屋の廊下にさしかかると、工場と玄関の建物の隙間から、冬の柔らかい朝陽がはいってきた。彼は冷え切った板床で足裏に痛さを覚えながら、御飯場に向かった。
 それでも例年に比べて暖かい今年の元旦は、暮れからもう四日ほど続いている。
 彼は昨夜の『紅白歌合戦』などの大晦日番組をみたから、年がかわって新年であると納得できるが、さもないといつもと少しも変わらなかった。そしてここ四、五年、彼はいつも憂鬱な気持ちでお正月を迎えるのだった。
 彼が、その冷えっきった廊下を渡って、御飯場の小縁におりると、彼の母が彼の足音をききつけて起き出し、でいの唐紙を開けた。

 彼は朝刊を取りに行く。勝手を出て、工場の材料置き場をぬけて、道路に出ると、ちょっと恥ずかしい気がした。隣り近所の人と顔を合わしたくないのだ。
 自家が暗いせいか、外は明るかった。分厚い元旦の朝刊を取ると、再び御飯場にもどった。すぐにストーブに火を入れ、テレビのスイッチを引っ張ると、飯台の自分の場へ腰をおろした。
 彼の母がガラス戸のむこうで朝食の仕度をしている。彼の父も起きてきた。
 朝食のぞう煮はすぐに出来上がった。彼の自家では毎年決められた元旦のメニュだった。
 彼は座椅子に背もたれ新聞をめくっている。新年の特集がいくつも組まれたページに目を通すといった形で、最後にテレビ番組欄だけを取り上げて折り曲げた。
 そして広告もみた。元旦の初日から大売出しといったものが幾つもあった。彼が暮れから気にしていた小型金庫を今朝も探す。(彼の自家はささやかながら機業を営んでいた)
 金庫はなかったが、ちょっと信じられないような安さの広告があった。それは彼がよく行く岡崎の喫茶店の近くに出来た大型小物金物店『L』だった。例えばカラーボックスが百円で、小銭入れが十円、自動車用ブースターが九十八円といった風なのだ。ひょっとしたら広告には出てないが金庫があるかもしれない。彼はそれを父母に話しながら食事をする。
 彼の母は、そういう話の内容も聞かず、決まって彼の消費気分をおさえる。彼はそれを繰り返し説明するが聞かない。しかも彼も十分すぎるくらい倹約家であったのだ。

(二)
 
 冬の朝陽は柔らかい。ちょっと憂うつで、お正月らしい浮き浮きした気分もあったかもしれない。彼はお勝手の鏡の前で髪を整えている。三十二を過ぎて薄くなった前の部分を隠すためにヘアピンを押し込む。そこへ彼の母が御飯場から食器をもって流しに来る。
 「どこへ行くだ」とたずねるが返事をしない。
 暮れからこの休みに作品をひとつ仕上げようと自分の部屋に閉じこもっていた彼は、今朝の暖かい気候につられて外出したくなった。『L』へ行って気分転換でもしようと思った。でもちょっと、元旦から買い物は気が引けた。
 毎年お正月には映画を見ているが、今年は二十八日にすでに見てしまった。『E・T』という題の、宇宙人と子供の友情の映画で、ひとり、話し相手もなく、若いカップルの多かった観客の中で、寂しくみていた情景を思い出し、再び憂うつな気持ちがふくらんだ。
 彼は、工場の材料置き場を通って、外へ出た。防寒用のベストのポケットに両手をつっこんで、天をあおいだ。暖かいお正月の朝の空気を胸一杯にすい込んで東の車庫へ向かった。

 思えば彼がはじめて名古屋の絵の講座に行ったのはもう十年以上も前になる。それ以来、自分の絵を一作描きあげようとしてきたが、いまだに出来上がらない。下手から出発したうえに、学歴もなく、彼自身には少し荷が重すぎた。彼はそれを絵画教室に通ってねばった。最近になってやっと絵とは何だということが解りかけてきた。作品も、未熟で、小さなものが一つ一つ出来てきた。そのうち三十を越えて、同年代はすべて結婚し、もう子供も大きい。何故に順調な歩みが出来なかっただろう。すべて絵をやったからいけない。あの時、あの講座へ出席して『ある病気』にかかってしまった。そう彼は常に心の奥底で考えているのだ。

 それに最近、彼にはよく不可解な事が起きた。一軒隣りのハトコのHのことでもそうだったし、工場で働いてるヤエちゃんとの議論でもそうである。また近くにいる早川金吾市議会議員と彼の組のB組長の要求についてもそれを考えずにはおられなかった。彼自身にはよく認識できないが、周囲の人々と接触するとき現実に戻されることがよく起きた。彼はそれを追求してみたが、ハッキリつかめず、結局いまだに独身である自分の身に関係があると思った。実際彼の母も、そういう時「すべて結婚しないからいけないのだ」といって、自分の興奮した態度を抑えるのだった。

(三)

 車はすぐにかかった。やはり今朝は暖かい。そして、バックで表(道路)に乗り出すと、白い排気ガスを一杯ふかして、彼は岡崎の方向へむかった。『L』は十時開店だったが、そこで気分転換できなければ途中の喫茶店に入って時をすごしてもいい。朝の9時頃で、こんなに落ち着いた気分にいられるのも元旦の朝だからだ。彼は少し、いつもと違った道で岡崎へ向かおうと考えた。小学校の坂を下りて、そのまま真っすぐ田んぼの中に入っていった。道端の雑草は黒ずんで、水田にわら積みでもあったら絵になる風景であった。---そして再び舗装された広い道に出ると、車もあまり通らなかった。何の情緒もないお正月の朝だと思った。時々行きかう対向車の前に付けられたしめ飾りだけがいつもと違っていた。
 彼は石工団地をぬけたあたりから、再び自分自身のことを考えた。こうしている現在、同年の仲間たちに比べて自分だけが異なった道を歩んでいる。そこが不安だった。何故、こうも違ってしまったのだろう。どこに自分の欠点があるのだろう。一月一日からバーゲンセールに出かけて行く自分のみみっちさをも考えると彼は気が遠くなりそうだった。
 外の空気は冷たそうだった。一直線に走って矢作川を越えるこのあたりの水田地帯の風景に目をやりながら、再び物思いにふけった。真冬ならでの遠望の山々が、鮮明に浮き上がり、その下の、この川の橋を電車がコトコトと走っていた。
 やがて右手に、こじんまりとした洋風の喫茶店が過ぎて、この川の土手を登るあたりに来ると、何となく『L』で顔見知りの人に会いはしないかと不安になった。そしてこの気持ちもまだ独り身でいる自分だから起きるものだと思った。
 ・・・彼の不安はますますつのった。彼の執ような生真面目さがさらに拍車をかけた。彼は身をかたくして、この長い橋を渡った。
 しかし一方で、見えてきた『L』の大きな店舗が、彼の不安を少し解いた。

(四)

 道路から左折して、鉄骨のわく組みだけの『L』の門をくぐると、すごい人出だった。黒山と化した人だかりが店の前にあって、その後ずっと並んでいる。もちろん車を止めるようなところがあるはずがない。彼は徐行して奥へ向かう。
 人だかりはお正月の福袋をもらう人だった。ふたつのテントの張られた中で次々とバックに詰められたものを受け取っているが、その奥には、これまた本日の売り出し商品だろう、すごい量のものが積まれていた。
作品名:不可解な出来事 作家名:杉浦時雄