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吾輩は化け猫である

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有り内な飼われ猫

 吾輩がまだ有り内な飼われ猫であった頃、飼い主である人間の女はその身に子を宿していた。吾輩の記憶がはっきりとしているのはその辺りからであるから、吾輩の魔性が目覚めたのもその頃だったのであろう。正しくは“再び目覚めた”というべきであるのだが、それについては後後話すこととなろう。

 秋も深まり冬の訪れを感じざるを得なくなった時期のことだ。
 空の青はどこまでも高く、木枯しと呼ぶにはいささか心地の良い風が吹く日であった。吾輩は身重の主に向かって外へ出してくれと鳴いてせがんだ。
 外へと出た吾輩はいつも通りの順番で運動かたがた方方へと歩を伸ばす。その途中ではやたらと激しく吠え立てる犬や片眉をあげて吾輩の姿を確認するだけしてまた鼾をする犬などの前を歩くのであるが、どうやら世間一般で云うところの猫とは犬に吼えられると恐れをなして逃げるべき生き物であるとのことであった。不思議と吾輩は犬に吼えられることに何の感慨も抱いたためしがなかったのである。

 少し遠出をすれば人間が公園と呼ぶ広場にたどり着く。吾輩が初めてそこを訪れたのは、さらに半年ほど遡った初夏の香りが漂い始めた穏かな日の二時頃であった。
 この界隈には六年程前から住んでいたのであるが、その日は何かに呼び寄せられたかの如く足が進み、気付けば公園のベンチの上に座っていたのである。
「隣、座っても構わへん?」
 不意に掛けられた声に吾輩は思わず視線を飛ばしてしまったのである。
 吾輩に声を掛けてきたのは猫属でも犬属でもなければ、獣という大別ですらも異なる生物だったのである。
 それは我が主人と同じ人間の女であり、人間というものをよく知らなかった当時の吾輩であっても我が主人より幾つか若いということが分かった。
 猫属に話し掛けるのは我が主人たちだけであると思っていた吾輩は、少々の途惑いを覚えながらも挨拶も返さず何も云わないと険呑だと思ったから「吾輩は猫である。名前はモー」となるべく平気を装って冷然と答えた。吾輩の体表を覆う白と黒との毛色はモゥと鳴く家畜に相似しておるらしく我が主人はその観点から吾輩をモーという名で呼んでいるのである。
「そか、ええ名前やな。分かりやすいしセンスがええわ」
 この時ばかりはさすがの吾輩も驚きを隠せなんだ。尻尾の先から髭の先までビリビリとした感触が何度も身体を貫いたかの如く走り、全身がかつてない程に逆毛立ったのである。

「あんたはん、自分がただの猫やあらへんことに気付いてはる?」
「吾輩は有り内な飼われ猫である。それ以外の何物でもない」
「そこに異論を挿むつもりはないねんけどな」
 吾輩を映す黒い瞳には愁いの色が強く表れていて、見詰められるうちに無下にするのはあまりにも不徳なのではなかろうかと思い直したのである。
「吾輩が有り内な猫でなければなんとする?」
「あんたはんに悪意がない限り、大人は平気や。子供には多少気を付けておけば問題ない。せやけど、お腹の子は別や」
 吾輩を見詰める女人が何を云わんとしているのかは瞬時に理解できていたのであるが、吾輩は僅かな希望にすがりたくてそれを否定してしまった。

「あんたはんの“魔性”は胎児にとって猛毒やねん」
「吾輩の存在が我が主人の胎の児を殺すと?」
「まぁそう構えんといてや。対処する方法はあるねん」
「吾輩は我が主人の下を離れるつもりなど微塵も持ち合わせておらぬ」
「せやから、その魔性を抑えたったる言うとんねん。大丈夫や。イタない」
「では、お願いしたい。えっと……」
 吾輩は女人の名を聞いていなかったことに思い至る。
「ウチ? “拝み屋”や」
 拝み屋は、にっと白い歯を見せて笑ったのである。

 それから吾輩は拝み屋が云う通りに新月の度に公園へと歩を伸ばした。
 我が主人すらも自身が懐妊している事に気付いていなかったあの時に、我が主人を知らぬ拝み屋がその事をどうやって知ったのかを問いたいと思っていたのだが、いざとなるとそれはあまりにも雅に欠ける行為なのではないかと思ってしまうのだ。
 魔性を抑えるための儀式は痛みも痒みも伴わず、拝み屋の指先が吾輩の小さな額をつんとひと突きするだけで終わる。拝み屋の方はそれだけでかなり消耗してしまう様で、ふらふらと歩み去ってゆく背中を見送る度に何かお礼をしなければと思慮を巡らすのであるが、有り内な飼われ猫である吾輩が思い付ける事は我が主人と同じ様に話を聞く事ぐらいしかなかったのである。しかし拝み屋は「気持ちだけもろとくわ」とその提案を固辞した。拝み屋の疲弊は回を重ねる毎に色濃く感じられるようになり、体調が悪いのかと思うようにしていた吾輩にも限界が来てしまった。それは六度目の新月の夜であった。

「せやなー、確かにこのままやと取り返しのつかへんことになる」
 いつも明るく笑っている印象であった拝み屋が神妙な顔つきでそう云うと、吾輩も何らかの覚悟を決めねばならぬのであろうという気がした。
「あんたはんのご主人、嫁はんの方やけど、ストレスが溜まり過ぎてはるねん」
 吾輩が「ストレスとは何か?」と問うと、「不安や」と簡潔な答えが返ってきた。
「我が主人のストレスとやらが吾輩の魔性に影響を及ぼしているというのか?」
 吾輩の問いに拝み屋は口を尖らせて首を捻る。
「万物は触れ合うことで摩擦を生むねん。それは仕方のないことなんや。今回の場合、肥大化したストレスが処理能力を超えてしもうたっちゅうことや」
 吾輩にも分かるように「満腹なのに口に食べ物を詰め込まれている状態」という補足説明が加えられた。
「どうすれば?」
「嫁はんが自力で立ち直るしかないんとちゃうか」
「我が主人が立ち直れなかったら、どうなるのだ?」
 今までに吾輩が投げ掛けたすべての問いに分かりやすく答えてくれていた拝み屋は、この問いに対してだけは答えてくれなかった。
 吾輩はその沈黙を「最悪の事態になる」という答えとして受け取った。
作品名:吾輩は化け猫である 作家名:村崎右近