掴み取れない泡沫
5.矢部君枝
仕事帰りに飯食おう、そんなメールが塁らしき人から届いた。知らないアドレスだったし、名乗らないところをみると、塁だろうと簡単に予想できた。部屋が片付いたから、部屋に遊びに来い、と命令口調なのも塁っぽかった。何だか懐かしくてぽわーんとして、そのメールを保護すると、黄色いスターマークがついた。
指定されたマンションは大きくはないけれど小綺麗で「どうぞ」と通された部屋は、画材や製図の道具で埋まっていた。飯食おうって何処で......。
「ピザとったから、ピザでいいっしょ」
床面にあった書類の類を雑巾がけでもするようにタダーっと隅へ追いやり、無理やりスペースを作る。程なくして宅配ピザ屋が熱々のピザを届けにきた。
「智樹、矢部君の事、相当引きずってんな。別れる理由ぐらい、きちんと話しておくべきだったと、俺は思うぞ」
チーズをビヨーンと伸ばしながら、床に置いたピザに噛り付き始める。
「理由が理由だけに、言いにくくてさ。やっぱり男の人だもん、ちゃんとできる女の子と付き合いたいだろうなって思うと、私は彼の足枷でしかないなって思ったんだよ」
塁は片方の膝を立ててずっと頷いている。テレビ代わりについているFMラジオから、シンディーローパーの曲が静かに流れている。
「なあ」
思いついたように口を開いたのは塁で、私は「へ?」と間抜けな声を出す。
「俺と矢部君じゃ、駄目なのか。俺は矢部君の身体を求めたりしない。一緒にいられれば十分だ」
強い視線の塁とは対象的に私は自信なさげな笑顔をメガネのこちらから向けるしかなかった。私の答えが見えたらしく、彼は少し落胆の色を見せた。
「今は塁とならうまく行くと思う。だけど私だって女だから、将来結婚して子供だって欲しい。やっぱりセックスができる女性にならないと、ゆくゆくは塁ともうまくいかなくなるような気も」
「だから俺は身体はいらないって。子供なんて人工授精でもすりゃいいんだよ。問題は心だ」
話を遮られ更に困ったように眉を寄せる私に「無理強いはしない。案として、考えといて。ピザ、固くなるから早く食べちゃいなさい」と二枚目のピザを手渡される。
私の中にまだ智樹がいる事を、塁は見抜いている。智樹と私を復縁させる事が目的なのかも知れない、と深読みしてみる。