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掴み取れない泡沫

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31.太田塁



 長く伸びた真っ赤な絨毯の横に長椅子が幾つも並び、椅子の端には白い薔薇が飾られている。正面にはしっかりと光を取り込むステンドグラスがあり、後光をあびるように神父さんがこちらを向いて微笑んでいる。神父さんの手前にいる智樹はバカみたいに口を開いている。薄いグレーのタキシードは、悔しい程に似合っていて、ウエディング雑誌から切り取ってきたみたいに見える。
 横に視線をそらすと、矢部君のお母さんが手を振っている。俺は手を振り返せる状況にない。あの母は頭のねじが一本取れている。
 矢部君の腕を取り、バージンロードを歩いているのだ。一歩一歩、歩みを進める。メガネを外してコンタクトにした矢部君は、俺がこれまで見てきたどの花嫁よりも美しく、俺の目に狂いがなかったと実感する。智樹も同じ事を思っているだろう。
 ドレスの長い裾が、ススッと擦れる音が一定の間隔で聞こえてくる。BGMを奏でているのは、俺の恋人、曽根山こうだ。何も知らない智樹に後から種明かしをするのはなかなか楽しみな事で、俺はほくそ笑む。果てしなく長く感じたバージンロードの終点に辿り着いた。
 神父さんの前で、矢部君を智樹に引き渡した。俺は一礼する。智樹は俺の顔をじっと見つめたあと、声には出さず「ありがとう」と言った。その目には少し光るものがちらついたけれど、それは俺も同じだったから、口にしなかった。

 曽根ちゃんは幼い頃からピアノを習っていて、今でも休みの日に近所の子供にピアノを教えていると言う。「結婚行進曲なら二曲とも弾ける。讃美歌も多分弾けるよ」と言うので、すぐに矢部君に連絡をして、結婚式を構成する一員に加えてもらった。
 その時に初めて、俺は曽根ちゃんという彼女ができた事を矢部君に伝えた。電話の向こうで矢部君がどんな顔をしたのか、俺には分からなかったけれど、奇声に近い声で喜んでくれていたので、複雑と言えば複雑だったが。
『塁にお願いがあるの』
 矢部君が改まって言うので俺は「何なりと」と答える。新婦のお願いなら訊いてやらない訳にはいかない。
『あのね、バージンロードを一緒に、歩いて欲しいの』
 俺は返答につまった。あれって父親や近しい人と歩くもんだよなぁと、常識のない俺でもそれぐらいは知っている。
「俺で大丈夫なのか?」
『立会人なんかでも大丈夫なんですよって言うから。あ、これは智樹には内緒でやりたいの!』
 何だかうきうきしている矢部君の話に、俺もウキウキしてきて、当日、式場のどこで落ち合うかなどを決めた。皆が来る前に式場入りして待機する事になったので、俺はもの凄い早起きをして式場に向かった。後藤さんという世話人の方が朝食を用意してくれていて「新婦さんからお願いされていますので」と言う。さすが矢部君だ。気が利く。
 そのうち、いつもの出で立ちで矢部君が登場し、今日はありがとうだの型にはまった挨拶をしてすぐに彼女は着替えに移った。着替えて出てきたのは、ドレスに着られているような華奢な矢部君で、それをスタイリストさんが修正して行くと、今度はキズ一つない色の白い奇麗な花嫁に変わっていた。
 俺は隠れていないといけない存在だから、ずっと矢部君のヘアメイクの横にいた。バージンロードを歩くのが友人だというのは珍しい事らしく、「どんなご関係なんですか?」とヘアメイクのお姉さんが訊ねる。
「大学のサークルで知り合って、私の初恋の人みたいなものです」
 その言葉に俺は思い切り赤面し、椅子を回転させて顔をそらせる。
「でも、すぐフランスに行っちゃったんです。それから智樹、あの、夫と付き合う事になって。複雑なんです、私達」
 鏡越しに俺を見るので、俺は「ねー」と大袈裟に首を傾げてみせると、ヘアメイクさんはクスクスと笑っている。
「夫の次に好きな人です。大好きで大事な人。家族みたいな人。人生の中で絶対に失いたくない人。そんな人なんです、こんなちゃらんぽらんな男が」
 最後の文言がなければかなり感動的で俺は矢部君を褒めてやるところだったのに。それでも矢部君から紡ぎだされた俺に対する思いが暖かくて沁みてきて、自然と頬が緩む。
「どちらがいいですか?」
 矢部君の前に、黒いトレイに入ったパールのネックレスが置かれている。どちらも豪華な装飾が施されていて、俺のあの貝殻のネックレスなんて渡さなくて良かったと改めて思う。
「塁の美的センスで決めて」
 俺に一任されて、とびきり豪華な方を選んだ。ヘアメイクを終えた矢部君は、俺も予想だにしなかったぐらい、奇麗で輝いていて、ネックレスになんて負けそうになかったから。


作品名:掴み取れない泡沫 作家名:はち