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掴み取れない泡沫

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17.久野智樹



「......いいなら」
 殆ど聞こえない音量の声で言うから、俺は「何?」と聞き返した。凄く重要な事を彼女は言っているのだろうと、彼女の表情から予想できたから。
「私で、いいなら。私なんかでいいなら。また、いちから」
 彼女は俯いて声を震わせている。すぐに抱きしめてやりたい衝動に駆られるが、俺と君枝の間にはテーブルという障害もあるし、人目という障害もあった。
 目の前にあったグラスの水をぐいっと飲み干すと、俺はテーブルに置いた電話を手に取った。電話帳から名前を呼び出し、電話をかける。ちょうど君枝はパスタを食べ終えたようだった。
「俺。今から行っていいか? うん。じゃぁ後で」
 通話ボタンを押して電話を切ると、ブレスレットを繋いでいた茶色い革ひもを爪の先でグイっと引き抜いて、元のブレスレットの形にしてやった。
「持ってる? 今日」
 君枝はカバンの中をごそごそやって「ほら」と俺の方に差し出す。俺の物と色違いの、大きさ違いのブレスレットは、俺のと同じぐらいにクタっとしているけれど、一本だけ外側に飛び出す真新しい革ひもがあった。俺の視線に気付いたのか、その一本を触って「修理して来た」と笑って言う。
「そこのお店の店員さんがね、背の高いイケメンが店に来たって、言ってた。このブレスレットと、自分の携帯についたブレスレットを見比べてたって」
「それ、俺だ」
 俺は上気する頬をそのままに、ブレスレットを右腕につけると、君枝は左腕に通した。一本だけ、ぴょこんと革ひもが飛び出している。
「出よう」
 そう声をかけて立ち上がると、戸惑い気味の君枝を置いて、俺は支払いを済ませた。

「もしかして、塁の家に行くの?」
 歩いている方向からすぐに分かったのだろう。俺は頷いて、彼女の左手を握った。ブレスレット同士が触れる感触が、時々腕を掠める。懐かしい感触だった。彼女のか細い腕と、小さな手も懐かしいし、遠慮気味に握る手の力も懐かしい。何もかもが懐かしいのに、何もかもが新鮮で、いつか見た流れ星に感謝をする。
 俺が幸せであるように、君枝が願ってくれた流れ星。君枝が幸せであるように、俺が願った流れ星。神様は見ていた。富士の裾野の小さな空き地で壮大なお願いごとをするちっぽけな俺たちの事を、見ていてくれた。

 インターフォンを押すと中から抑揚のない声で「開いてるよ」と聞こえたので、ドアを開ける。先に、君枝を通した。パソコンに向かって作業をしている途中なのか、こちらに顔を向ける事なく「突然何だ」と不躾な言い方で言う。俺が無言でいると「用事はー」と言いながら顔をこちらへ向けた刹那、息を吸い込んで驚愕の眼差しを寄越した。俺の横にいる君枝の存在にやっと気付いたらしい。
「何だよ、もう二人くっついちゃったの?」
 ふふっと笑った君枝の肩に手を置き「そういう事だ」と言うと塁は椅子から飛び降りて「烏龍茶しかないけど」と言ってお茶の用意を始めた。塁が人をもてなすところなんてそうそう見た事がなくて、滑稽だった。
「塁、まだテーブル買わないのか」
「だって、いらねぇもん。パソコンデスクで飯食えるし、一人だし」
 そっか、と言って目を向けたパソコンには、拡大しすぎて何なのか分からないけれどきっと絵なのだろうと思われる物が映っていた。
「はい、どーぞ」
 かろうじてお盆に乗せたウーロン茶はフローリングに直に置かれ、そこからグラスを一つ持ち上げる。塁はパソコンをスリープさせて、俺たちの前に座った。乱雑に置かれた紙類を適当にまとめて一つに積み上げて「散らかっててすんませんね」と言う。いつもの事だから俺は何も言わなかったのに。
「で、何をしに来たんだ。もうよりを戻したんでしょ」
 君枝が俺に視線を向けたので、俺は塁に頷いてみせた。傍らに置いたカバンを引き寄せ、中を探ると、指の先にあたった物を、引き上げた。それを塁にずいと差し出す。
「俺から。色々世話になったから」
 君枝は口に手を当てて驚いている。塁はじーっと袋を見つめ、俺と君枝の腕に順番に視線を動かしている。
 袋に入っているのは、俺たちの腕に巻かれているブレスレットと同じものだった。革製品店のおじさんにお願いして、色違いで作ってもらった物だ。塁はそれを袋から出して、腕に通す。
「こうやって、ここを引っ張ると輪が小さくなるんだよ」
 君枝が塁に教えてやると、「おぉ」と言ってそこに目をやっている。
「こんなんもらっていいの? 俺。何もしてないのに」
「何を言ってんだよ。お前がいなかったら、だよ。なぁ?」
 俺はどう言っていいのか分からなくて君枝に話を振ってしまった。彼女はアハハと笑っている。
「ねぇ、腕出してよ」
 塁の声は誰に向けて言っているのか分からなくて俺はとりあえず腕を出すと、三人の腕がにょきっと合わさった。
 そこには同じだけれど少しずつ色の違うブレスレットが並んでいて、クタクタの俺のブレスレットと、新品でまん丸の塁のブレスレットの間に、クタクタのブレスレットに一本だけまん丸の革を飛び出させた君枝のブレスレットがある。
「俺は矢部君と一本しかお揃いじゃないのかよ」
 塁が口を尖らせて言うので「お前はそもそもお揃いである必要がないんだからな」と言って聞かせた。
 もう塁は、君枝には手を出さない。そう誓ってくれた。引き換えに、何故か俺の唇が奪われるという珍事もあった。こうやって三人お揃いのブレスレットを持つ事で、俺は塁に誓う事ができる。もう、何があっても君枝を手放さない。塁もきっとそれを汲み取ってくれていると思う。

 至と拓美ちゃんにも連絡しておかないとなぁ、そんな事を思った。


作品名:掴み取れない泡沫 作家名:はち