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掴み取れない泡沫

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14.太田塁



 相合い傘を見せた時の智樹の反応はなかなか傑作だった。
「早く食え」だったか。見ていたくなかったんだろうな。
 俺の家まで戻ると、コンビニで買ったビールと酎ハイで乾杯した。俺たちが帰る頃には矢部君達は既に店を出ていた。
「俺な、塁に言おうと思ってた事があったんだよ」
 つまみに買った柿ピーから柿の種だけを選んで数粒放り込みながら「何」と目線を遣る。
「彼女と別れるつもりなんだ」
 つもりって何だ、つもりって。バカらしくて笑えてくる。
「何ですぐに別れないの。思ってすぐに相手に別れてって、何で言えないの」
 ビールに口を付け、暫く黙っている。ちくしょう、なんであんなに膝下が長いんだ。場違いな思考が邪魔をする。智樹は立てた片方の膝に、顎を乗せて何か考えている。そのうち智樹が観念したかのように口を開いた。
「俺はさ、そんなにできた人間じゃないんだよ。人目を気にするし、女と付き合えば情は生まれるし、人を傷つけたくないし」
「それ、自分の事が大事なだけだろ」
 話を遮る形で俺が口を出すと、言おうとしていた言葉をぐっと飲み下した様子で、居たたまれない顔をして「そうだな」と呟く。とても辛そうな声だった。
 また柿の種だけを指の間に挟んで、ぽいと口に運ぶ。歯にあたって、カチっと音がする。俺は深呼吸をして、吐き出す時に思い切り溜め息みたいに嫌味ったらしく吐いてやった。
「俺は矢部君の事を大事にできるぞ。少なくとも今のお前より大事にしてやる自信はある」
 じっと見据える俺の目線に堪え兼ねてか、すっと目を俺の後方に逸らす。「そうかもな」自信なさげに笑ってみせた智樹の腹の中が見えなくて、イライラする。
 そうじゃないんだ。智樹のなかにある矢部君への気持ちを俺は引き出したいんだ。それなのに、矢部君が俺の物になってしまうかも知れない危機に瀕しているのに「そうかもな」とは何事だ。何故取り返そうとしない。
「矢部君の事、忘れられないんだろ」
 こくり、と頷く。
「俺に奪われたくないだろ」
 素直に頷いて欲しかった。だが智樹は固まったまま、あほみたいな事を言った。
「塁に奪われるなら、俺は諦めがつく」
 思わず持っていた缶を床に叩き付けた。涙型に開いている口から、水が跳ねて、床に落ちた。
「何で俺ならいいんだよ、俺なんかに気ぃ遣うのやめろよ気持ち悪ぃ。縋れよ、みっともなく。別れた理由が知りたければ縋れよ。ずっと縋ってりゃいいんだよ。汚くなれよ、しつこくなれよ。みっともなくなれよ。どうせ流れ星に誓い合ったんだろ、嘘つくなよ。幸せになれよ」
 そこまで言うと俺は残っていた酎ハイを一気にあおった。智樹は眉間にしわを寄せ、「でもよ」ぼそっと口を開く。
「嫌われたかも知れないのにどうやって」
「嫌われてなんかねぇよっバーカ!」
 ここまでしてやって分かんないとかもう、日本語通じてないとしか思えない。矢部君が智樹の事を諦めているなら、俺が復縁を勧めたりするもんか。俺が矢部君と勝手にしっぽりやるわ。
「知ってんのか、俺と別れた理由」
 前にも同じ質問を受けた。膝に乗せていた端正な顔を持ち上げて、やっとまともな目の色を取り戻した智樹に向かって、はっきりと頷く。「言えないけどな」
 呆気にとられたような顔で「何だよそれ」返すので、「必要な事だけ言ってやる」と崩していた足をあぐらの形にして、智樹の顔をじっと見た。智樹も姿勢を正し、俺を見る。
「水色のやすっちぃ、ピアス。俺が会う日は100パーセントの確率で耳についてる。カバンの中に智樹の携帯についてたのと同じ革ひもを入れて持ち歩いてる。雨に濡れたら、いの一番にカバンから取り出して、拭いてた。ここまで聞いて、嫌われたとか言うなら、お前は小学校の国語からやり直した方が良い」
 智樹の顔が少しずつ横に引き攣れて、赤く染まった。
 やっと見る事ができた。俺の好きな、智樹の顔が。
「分かるよな」
 智樹は俺の顔を見つめたまま、ゆっくりと、顔を縦に動かしたと思ったら、突如両手をついて土下座の姿勢をとった。今度は俺が呆気にとられる番だった。
「頼む。もう君枝に手出ししないでくれ。俺が君枝を取り戻すまで、絶対に手出しするな。その代わり俺は絶対に君枝を取り戻すから。頼む」
 そこには、智樹の口から聞きたかった言葉が凝縮されていて、俺は大満足だった。だが俺は条件をつけた。そうでもしない限り、俺のいろんな思いが断ち切れそうになかったから。
「智樹」
 床にめり込まんばかりに頭を下げていた智樹がはっと俺を見上げる。「立て」
 智樹は片手を床につきながら身体を起こし、立ち上がるとやっぱり背が高いなぁと改めて思う。少し見上げると、俺の首の後ろでパーカーのフードが悲鳴をあげていた。
「何だ?」
 俺も立ち上がり、柿の種を避けて一歩、智樹に近寄った。少し緩んだネクタイを見て、ちゃんと仕事してんだなぁと、場違いな思考に辿り着く。
 白熱灯が逆光になって、智樹の顔は影に隠れる。その暗くなった顔の中から目を探すのはそんなに難しい事ではなく、そこに向かって試すような目線を送り、俺は言葉を吐いた。
「キスしてくれたら手を引く」
 息を呑み、ちょっと身体が離れたのが分かった。苦笑する外ない。こいつにはそういう趣味がないんだから。だけど俺は、あのおかしな三角形から脱する為に、最後にしておきたかった。俺はお前が好きだった。そこにピリオドを打つ為に。
 智樹は俺の瞳の中を覗くようにして、それから少し顔を傾け、唇を重ねた。
「こっから先は、駄目だ。君枝のもんだ」
 そこにある智樹の顔も、やっぱり横に引き攣れていて、真っ赤になっていて、俺はこの上なく嬉しくて、腰が抜けた。柿の種の真上に着地してしまった俺の尻に、柿の種がくっついた。それを払いながら「もうやんねぇよ、バーカ」と言う。俯いたまま。人の事は言えなかった。耳の先からどんどん熱が顔を浸食していくのが自分で分かったから。
 柿の種を払い終わるとゴミ袋に入れて捨て、もう一本の酎ハイとビールを、冷蔵庫から出した。「サンキュ」と言いながら、長い腕がすっと伸びてくる。
「うまくやれよ、矢部君が身体を許した唯一の男は智樹なんだからな」
 ビールを口元に持って行く手を止めて、目をまん丸にして俺を見ている。
「もしかして、君枝とその、身体の関係にはなってないの?」
 アハハと軽く笑い俺は「大丈夫、なってない」と言うと、智樹は心底安心したような笑みをこぼしたので、ぶっ飛ばしてやりたかった。「どんな勘違いだよ、もっと自分に自信持て」
 緩んでいたネクタイを更に緩めて、気が抜けたみたいな顔でビールを呑んでいる。

 ここから先、俺が協力してやれる事は極端に少ない。智樹と矢部君の幸せの為に、俺ができる事は何だろう。ぼんやりと、酎ハイを呑みながら考える。


作品名:掴み取れない泡沫 作家名:はち