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掴み取れない泡沫

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13.久野智樹



 嬉しい誤算だった。帰国してから暫く連絡を寄越さない塁から、飯の誘いが来たからだ。
「悪い、そいつとなかなか予定が合わないのに珍しく予定が合いそうだから、今週はちょっと」
 見るからに膨れっ面で「あっそう」と言うと、唯香は廊下を歩いて行った。俺も反対に向かって歩き始めると、ヒールの音がどんどん遠ざかって行く。職場ではあの派手な口紅を塗らないんだな、そんな事を思いながら職場に戻った。


「遅い」
 長居の駅なんていつ振りに来るだろうと思いつつ「これでも急いだんだよ」と階段を降りながら塁に叫ぶ。大型トラックが横切って行く音でそれがかき消された事に気付く。
「これでも急いだんだよ。いつもはもっと遅いから」
 パーカーに短パンというラフな格好で、短パンのポケットにだらしなく手を突っ込んでいる。
「ファミレスでいいよな」
 てっきり酒でも呑むのかと思ったら、ただの食事だという事に驚愕した。
「何だよ、飯だけかよ」
「だって俺、飯食い行こうってメールしたよな?」
 塁の言う事に間違いは一点もなかった。俺が勝手な解釈を加えていただけだった。シャツの袖をグイと引っ張られ、ファミレスの看板に向かって歩き始める。
「お前んち、こっから近いの?」
 塁は歩きながら斜め上を向いて「うーん、十分ぐらいかな」と答える。
「じゃ、帰りに覗いて帰ろかな」
「ちゃんとお邪魔して帰れ」
 塁らしい物言いに俺は笑ってしまった。こいつは全然変わらないんだな。また今日も、新しい彼女の事でぐだぐだと文句を言われるに違いない。別れるつもりだと言っておかなければ、母ちゃんのお説教コースになってしまう。食い物をオーダーをしたらまず切り出そうと、話す言葉を準備した。

「二人です、タバコは吸わないでーす」
 塁が平坦な言葉を連ねると、店員に案内される方向に歩いた。
 視線の奥に、見た事のある男が座っていた。記憶を手繰る。
「あれ」
 塁は足を止めない。そうか、塁は見た事がないのか。が、なぜ足を止めないんだ! 俺はその男の手前にいる女に気付いてしまった。
「あれ、矢部さん......」
 確か加藤だったと記憶している。そいつが呼んだ女が加藤の視線が届く方向に首をひねる。瞬時に彼女の、君枝の顔が動転した物に変わった。その先で、塁がぱたりと足を止める。
「塁!」
 君枝は素っ頓狂な声で叫んだ。塁はニヤニヤと笑みを浮かべて余裕をこいている。この様子だと、塁に謀られたとしか思えない。俺はそいつらの席を素通りし、塁の前を通り店員に「あの、喫煙席にしてください」と頼んだ。
 俺は塁との会話の先手を打とうと思っていたのに、オーダーすら決められないぐらい動揺していた。塁から飯に誘ってくるなんて、土台おかしな話だったんだ。あぁ、謀られた。

「平伏せ、愚民」
 そう言う塁の足を、テーブルの下で思い切り蹴りつけてやった。顔を顰めている。
「いてぇな。智樹は彼女いるんだから、矢部君がどこにいたって関係ないだろ。誰と飯食ってようが関係ないだろ、なんでそんなに狼狽えてんだよ」
「狼狽えてねぇよ」
 というのは全くの虚言であり、塁にもスケスケの見え見えなのは自覚している。俺は動揺している。君枝に告白した事のある加藤と君枝が、大学を卒業しても友人関係、いや、そうとも限らない、もしかしたら恋仲にあるかも知れない。でも、それに対して俺が何と言えるのか。結局俺だって新しい彼女を作ってよろしくやっている訳で、ただただ彼らが恋仲になったという事実を受け入れるしかないじゃないか。
「なぁ、塁は君枝と会ってんの?」
「会ってるっつーか、矢部君がうちに泊まったりするし」
 俺の頭の中は、はてなマークで溢れ返った。加藤と君枝が付き合っているのなら、塁の家に泊まるなんて絶対にあり得ない話だ。じゃぁあの二人の関係は一体なんなんだ。
「あの二人がどんな関係か、知りたいんだろ?」
 頷くしかなかった。
「ただの友達だよ」
 仕掛けた罠に飛び込んだネズミの尻尾を掴んでいたぶっている。こいつは真性ドSだ。ニヤついた顔が癇に障るのだが、罠にかかった俺が悪いとしか言いようがない。
 オーダーを済ませると「智樹、携帯かして」と手をずいと寄越した。俺は胸のポケットから革紐をつかんで引きずり出すと、塁の白い手に乗せた。
「この革ひも、大事な物でしょ」
 自分の顔が引きつって行くのが分かり、嘘はつけないので仕方なく頷く。
「矢部君とお揃いでしょ」
 塁は一体どこまで知っているんだろう。こいつはフランスにいた癖に、いろんな事を知ってい過ぎる。「何が言いたい」俺は至極冷静ぶって言う。顔の動揺は隠せないので俯いたまま。
「このままじゃ、俺、矢部君の革ひもちぎって、矢部君、俺の物にしちゃうから」
 まるで俺を試すような目つきで見据える塁は、運ばれて来たオムライスにケチャップをかけている。何かを書いている。俺は目の前のハンバーグに手を付けないまま、塁の手元をじっと見ていた。
「ほら」
 くるりとこちらへ向ける前に、逆さからでも読めた。君枝、塁の相合い傘が。


作品名:掴み取れない泡沫 作家名:はち