(習作)扉
――気がつくのが遅かった。どうして、ぼくは、部屋が一つずつ増えていくと思い込んでいたのだろう。最初から部屋は等比的に増えていったのかもしれないし、幾何級数的に増えていったのかもしれない。または法則なんてなかったのかもしれない。一つの扉が 二つになる。二つの扉が四つになる。四つの扉が八つに……一本の木が実をつけ、その実が何本もの木になりそれが、繰り返されて、やがて森になるように。ああ、すまない。少し混乱しているみたいだ。そうだ、二の次は六で、九の次は七。それは当たり前なんだ。ぼくは風邪をひいて、数日寝込んでいたんだ。一歩も動けなかった。食事も満足にできず、枕元にある水とパンだけをかじっていた。その間に増える扉は多くても一つか二つ程度だと思ってた。でも、それは間違っていた。熱が引いて部屋から出ると、一度も入ったことがない部屋に囲まれていたんだ。緩やかに湾曲する終わりのない廊下をどんなに歩いても、いままで入った部屋が見当たらない。隣り合っていた君の部屋も台所も、外へと通じる扉さえも。ぼくはそれでも歩き続けた。徐々に弧を描く廊下、尽きることのない両脇の扉、その中を歩くと自分の感覚までが曲がっていき、だんだんと現実感までが捩れてきた。君に怒られるかも知れないけど、すべての樫のドアにペンで番号を一枚一枚書いていった。何百回も同じ形をしたドアの前に立ち、冷たい真鍮のドアノブをひねる。そして、中を覗き込み、外へ通じる扉でないことを確認する。そんな作業を延々と繰り返した。やがてインクが切れ、自分の部屋から代わりのペンを持ち出そうと思った。そして、廊下を引き返しているとき、まだ一度も開けていないドアが存在することに気がついたんだ。そう、ぼくが必死になって扉を開けている間にも、扉はどんどん増えているんだ。まるで、生物がとめることなく、延々とその細胞が分裂しているように、この館の扉も増えているんだ。
歩いても、歩いても、外へ通じる扉がどこにあるのかわからない。ぼくが今いるこの部屋が、館のどこにあるのかもわからない。食べ物も底を突きかけている。でも、ぼくは穏やかな安らぎに満ちている。仮に、この扉の森の中で……もし……きみが奇跡的にぼくを見つけることができたとしても……それは、かつてぼくだったものに過ぎない。逆に、ぼくが気にかかっていることは、愛している君が、ぼくと同じようにこの屋敷――扉の迷宮に入り込んでしまうことだ。でも、それさえも心配する必要はもうない。時計の針が夜の十二時を指した。孤独がぼくを押しつぶそうとしているが、もうそれも気にならない。これから、音楽プレーヤーでビリー・ジョエルの『ピアノマン』でも聞くことにしよう。コニャックがあれば最高だったが、残念ながらそれはかなわないようだ。ぼくはこれから音楽を聴きながら、机上にある読み止しのコルタサルの本の頁を一枚一枚はいでいくだろう。この届けられることのない手紙も細かく破り捨てるだろう。それらの破片を部屋の真ん中に集めてライターで火をつけるだろう。虎のような火はやがて敷物に燃え移り病原菌のように広がっていくだろう。そして、その炎はこの忌々しい扉たちをすべて清めてくれるに違いない……。