三色もみじ
真奈実
ホームで電車を待つ間、父は黙って前を見ていた。ここ数年で急に老いてしまったその後ろ姿を見て、真奈実は自分の胸に住みついているもやもやを、いくらかでも出してしまおうとするかのようにため息をついた。まだ七十代ではないか、ばりばり働いている同年代もいるし、ゲートボールや山歩きなどをしている人もいる。膝が痛いからというので無理には勧めないが、今のケアハウスにある同好会のようなものには、何も参加していないようだ。ただ、テレビの前に坐って一日を過ごしているのだろうか。
電車が着き、父の背中を押すようにして中に入った。小学校高学年と思える少女とその母親らしき女性が父を見て、二人で顔を見合わせ、やがて少女が席を立ち、母親がどうぞという仕草で空いた席を手で示した。真奈実は父を座らせ、礼を言った。当然のことのような顔をして父はすまして座ったままだった。礼も言わず座っている父にそれとなく目で言ったつもりだが、父は怪訝そうに見返し、「遠いのか」と言った。
「近いよ、駅五つぐらい」
真奈実もまた短く言って、黙った。窓外に茶色っぽい風景が流れて行く。
車内にふと線香の匂いがした気がして、真奈実はさりげなく辺りを見回した。話をしている人達、眠っている人、じっと外を見ている人、携帯をいじっている人、そして目を開いているのか瞑っているのかわからない父。真奈実は長い間入院して、家に帰ることなく病院で亡くなった母を思い出したが、無理にしまい込むように前に座っている父に話しかけた。
「お父さん、ほとんど外に出ないの」
「え、何?」父は顔を横にして耳を前に出した。
「時間いっぱいあるでしょう。散歩とか」
父は、ああという表情をしてから、「少しな」と言ってから間を置いて「膝が痛いんだ」と言った。
「みてたけど、たいしたことないんじゃない」と真奈実が言うと「今日は調子いいんだ」と父は言い訳のように言った。
高幡不動駅に着いた。真奈実は席を譲ってくれた少女とその母親に礼を言って父の肩を押すようにして電車から降りた。父はやはり礼を言うそぶりもなかった。真奈実はまたふーっと長いため息をついた。混雑していたので前の女性の髪の毛がそのため息で揺れるのが目に入り、首をすくめる。