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Remember me? ~children~ 5

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Episode5 Ayase Mitsuhara


 マミの異変に気付いたのは、二学期の最大行事である運動会が終わって、暫くしてからの平日の事だった。
 クラス内での一部の女子連中に目を付けられているという事は知っていたが、まさか、あれほどの事になるとは思っていなかった。
 体育着を裂かれたり。
 ノートや教科書を捨てられたり。
 彼女への虐めは日に日にエスカレートしていく。
 俺は出来るだけ、それを止めようと尽くした。
 女子や男子から向けられる、俺への好評を利用し、出来るだけ連中やクラスメイトに探りを入れてみたり。
 それでも意味はなかった。
 特にマミは、まるで何事もなかったかのように俺に対して振る舞った。
 何よりも、平井にだけは自分の置かれている状況を知られたくはなかったようだ。
 平井優子。
 俺の友人、麗太にべったりな、まるで不幸というものを知らなくていつも呑気そうに、にこにこと笑っている。
 今まで表には出していなかったが、俺は平井が嫌いだ。
 麗太と一緒にいるところを見ると、本気で殺意までもが湧くほどだ。
 あんな奴がいるから……マミや麗太は……。
 幸せな奴がいるから、不幸な奴がいる。
 幸せな奴の下に、不幸な奴がいる。
 あの日、俺は親父からの暴力に耐えられず、隣町にある叔母の家に一人で逃げ込んだ。
 おふくろは仕事に出掛けていて、家に戻る事は少ない。
 当然だ。
 あんな親父と俺だけがいる家、帰って来ても苦痛を感じるだけだから。
 半年ほど前の事だ。
 親父は会社をリストラされた。
 元々、共働きであった両親は、互いに擦れ違う事が多く、あまり仲の良い方とは言えなかった。
 それでもおふくろの収入は充分であり、生活には何ら問題はない。
 しかし既にその時に、親父からの暴力は始まっていた。
 気が付けばおふくろは、たまにしか家に顔を出さなくなっていた。
 そんな生活が始まって、もう半年。
 蹴られた脇腹が痛い。
 思いっ切り肘で突かれた胸部が痛い。
 煙草の火を据え付けられた右脇が痛い。
 俺の体はボロボロだ。
 腕や脚や顔は、傍から見れば外傷が目立ってしまう。
 だから親父は、服を着ていれば目立たない様な胴体だけを集中的に攻撃する。
 どうやら俺は、世間では人当たりも良く顔も運動も勉強も完璧といった、漫画の様な設定で通っているらしい。
 近所にも、学校にも。
 だからこの傷痕は、誰にも打ち明ける事は出来ない。
 おかげで今年の夏は、皆とプールにも行けなかったなぁ。

「はい、綾瀬君」
 叔母はテーブルの上に、お茶と茶菓子を置いた。
「綾瀬君が遊びに来てくれるなんて嬉しいわ」
 そう言って叔母はにっこりと笑う。
 幸せそうな、悩みなんてなさそうな……。
 俺は……こんな表情を知っている。
 学校でも、よく目にする……ウザったらしい表情。
 平井優子。
 いつも笑っていて、どこか能天気な……そして、いつも麗太の側にいる。
 嫌ではあるが学校ではなるべく、こんな表情を作るように努力してきた。
 人との関わり、それを良い方向に保つには笑っている事が一番だから。
 だから俺も叔母に笑い返す。
 言えない。
 こんな幸せそうな人に今、自分が置かれている状況なんて。
 叔母も、親父の話はなるべくしないように話題を反らし続けている。
「そういえば、教会にはまだ通っているの?」
「はい、マミと二人で……」
「そう。仲が良いのね」
 昔から、マミと二人で通ってきた教会。
 通ってはいるものの、俺には未だ崇拝する理由が理解出来ないでいた。
 祈り続けても報われた事など一度もない。
 年を経る毎に両親は祈る事を止め、俺と由美だけが教会へ通っている。
 通ってはいるが、もしかしたら俺自身は気付いているんだ。
 ただ認めたくないだけ。
 神様なんていない。

 もしかしたら、マミも同じかもしれない。
 平井に虐めの事を打ち明けないわけも。
 それは、あまりにも彼女が幸せそうだからだ。
 自分の様な不幸な人間が、幸運な人間に対して内を晒してはいけない。
 そう思っての事だろう。
 幸福な人間がいれば、不幸な人間は必ずいる。
 でも俺は、なるべく周りからの評価を下げない為、幸福な人間を演じ続けている。
 誰に対しても愛想笑いを浮かべ、なるべく他人から見て良い人であり続ける。
 これからも、ずっと。


 脇腹に激痛が走る。
 眼を開けると、すぐ側には親父が立っていた。
 ああ、そうか。
 床で寝ていたところで脇腹を蹴られたんだ。
 親父は俺の髪の毛を引っ張り、俺を立たせる。
 無造作に生やされた髭や髪の毛、鼻を突く酒の臭い。
「なんでテメエみてぇなガキが産まれてきたんだ?」
 低く沈んだ声で言う。
 俺は親父から目を反らす。
「おい、なんだよ。その態度は」
「別に……」
「そういうのがうぜぇってんだよ‼」
 俺の頭を床に叩き落とす。
 脳が震盪する。
 周りの景色がぼやける。
 さすがにまずいと思ったのか、親父は俺から一歩引く。
 床に這いつくばる俺は、徐々に開く視界の中で親父を睨む。
「そうやって、子供みたいに喚いて……だから、おふくろは……」
 俺の小さく呟いた一言が、親父の勘に触った様だ。
「あいつはこの家に金を入れるだけで、帰って来ねぇ。それはなぁ、テメエがいるからだ! いつでも殺してやっていいんだぞ?! もう俺の人生、滅茶苦茶なんだからよ‼」
 強い痛みが脇腹を突く。
 また数回、蹴られる。
「この野郎! お前がいれば金が入ると思って、良い気になりやがって! どうせあの女、俺以外の男と寝てるんだよ‼ テメエも俺も、どうせすぐに捨てられるさ‼」
 こいつ、何を根拠に浮気話を?
 おふくろが仕事を口実に帰って来ないのは、大半が親父のせいだ。
 いつか俺が大人になったら……このクソ親父を殺して……誰に対しても愛想笑いなんかしなくて済む、どこか遠くの街に逃げてやる。

 夜中、家を抜け出した。
 痣や擦り傷が痛んで、あまり寝付けなかった。
 俺の痣や傷は、綺麗に胴体にだけ残っている。
 見る限り、もう感心してしまう。
 親父は酒が入っていたせいか、大きく鼾をかいて寝ていた。
 耳障りな鼾で気分を害するより、外に出て解放感に浸った方がよっぽど体にも良い。
 人のいない道には、虫の鳴き声だけが響いている。
 時間的にもかなり遅い為、周りに並ぶ住宅には明かりすら点いていない。
 たまに車道を車が通るだけ。
 ものすごく心地が良い。
 そろそろ涼しくなる時期だ。
 そしたらきっと、今よりも外にいる時間が増えるんだろうなぁ。
 咄嗟に歩を止めた。
 夜の闇に紛れ、二つの光る目玉は真正面から俺をジッと見つめている。
 道の真ん中で、座ってジッと俺を見ている。
「……マルか」
 マルは答えるように、いつものおっとりした鳴き声を返す。
「こんな時間に出くわすなんてな……」
 近寄ってみると、いつも目にする白くて丸っこい体が露わになる。
「お前はいいな。駄菓子屋に世話になって、皆に可愛がってもらえて……」
 屈んで、マルに手を伸ばす。
 いつも皆がマルの背中をさすったり、頭を撫でたりする様に、いつもと同じ様にマルへ手を伸ばした。
作品名:Remember me? ~children~ 5 作家名:レイ