Remember me? ~children~ 4
「そんな! 香奈さんは、まだまだ綺麗ですよ!」
さすが博美だ。
嬉しい事を言ってくれる。
「お世辞でも嬉しいわ。ありがとうね」
「そんな事ないと思いますよ」
落ち着いていて綺麗な声。
横から話に入ってきたのは、啓太郎の彼女さんだった。
「平井香奈さん? ですよね。啓太郎からよく話は聞いています」
「あ、どうも」
「啓太郎の言う通り、やっぱり綺麗ですね。羨ましいです」
「え? 啓太郎?」
彼は少しだけ赤面して、私達から目を反らす。
「啓太郎、話があるの」
「ん? 何?」
彼女は一つ息を吐いて、私達の前で言い放った。
「そろそろ結婚の事、考えたい」
恥ずかしそうに私から顔を背けていた彼の表情が活気付く。
それは驚きや喜びに満ちた……そう、幸せそうに笑っていた。
「本当に?! でも、どうして急に」
「私、知ってるから。啓太郎が結婚の事で悩んでるの。もう三十路過ぎなんだから、ね?」
私達の話が聞こえていたのだろうか。
いや、もしかしたら本当に彼女さんからの告白?
「うん! そうだよ! そうだね! 一緒に頑張ろう!」
啓太郎は彼女の手をカウンター越しから握る。
その時、彼女は笑っていた。
まだ知り合って間もなかったけれど、表情に上下のないクールな彼女よりも、やっぱりこっちの笑った顔の方が可愛いなぁ、と私は思った。
店内にいる私達以外のお客さんが、拍手交じりに二人を茶化す。
「二人とも、熱いねぇ」
「やっと告白しましたかぁ」
彼女の啓太郎への結婚話の告白を祝うかの様に、外では打ち上がる花火の音が聞こえてきた。
さて、今からが私の今日一番の頑張り時だ。
「じゃあ、私はそろそろ行くわね」
「香奈さん、どうして? まだ、ぜんぜん飲んでないじゃないですか」
「いや……その、優子達とも約束があるから」
博美や啓太郎を誤魔化して、私は打ち上がる花火とは逆方向へ歩いた。
大勢の人が向かう逆方向へ。
露店や提灯が並ぶ通りとは逆方向へ。
住宅街や商店街とは逆方向へ。
目的地は決まっていた。
あの日、毎年、同じ時間、皓と星を見た河川沿いの土手だ。
コンクリートで舗装された道が、土手の上に真っ直ぐ伸びている。
普段、優子達にはここへ立ち入らないように言い付けている。
子供達だけで、土手の下の河川へ下りてしまう事もあるからだ。
人の気配は全くしない。
当然だ。
誰しもがお祭りへ足を運ぶ中、私だけがここにいるのだから。
辺り一面は、どこからか漏れている人家の明かりや、向こう側に見える花火や祭りの明かりで、かろうじて足元が見える程度の明るさを保っている。
街灯。
祭りの提灯。
花火。
人家。
そんな街に活気を溢れさせる強い光達の中で、儚く街を照らしている光があった。
見上げればそこにある無数の光。
夜空に輝く星達だ。
毎年、この場所で、欠かさず皓と見上げていた星々。
皓は、やっぱり来ない。
今年は、私一人だけで星を見る事になっちゃったなぁ。
皓の事が頭に浮かぶ。
まただ。
目蓋が熱くなってくる。
彼の事を考えると、いつもこうだ。
目を瞑っても、隙間から涙は溢れ出て来る。
泣き出す私。
そんな私を星々は容赦なく照らす。
溢れ出て来る涙を、私は人差し指で少しずつ拭い続ける。
「皓……」
その名を囁き続けて。
「香奈」
ふと、聞き覚えのある声が聞こえた。
皓だ。
間違いない。
この声の主は皓だ。
どこ?
「皓、どこにいるの?」
涙でぼやけていて、その上暗くて前がよく見えない。
「まったく香奈は、しょうがない奴だなぁ」
私の頭にポンッと軽く手が置かれる。
その後でわしゃわしゃと髪をかきまわされる。
「やっ、ちょっ!」
この感覚、間違いない。
こんな事を私にするのも、この手の大きさも……。
振り返れば、そこにいた。
長い間、私が側にいて欲しいと望んだ人。
「皓……」
「久しぶりだな、香奈」
強気な口調、それでいて優しさがこもっている。
皓が家を出て行った日から、彼自身は何も変わっていなかった。
仕事の帰りに直接来たのか、皓はスーツ姿だった。
やはり忙しいのだろうか。
私や優子と一緒にいられない理由も、もしかしたら仕事と何か関係が……。
聞けない。
私に、そんな事を聞ける度胸なんてない。
家を出て行く前までの皓は、とっても辛そうで、優子の前では必死に辛さを隠していたんだ。
もう、あんな辛そうな皓は見たくない。
「香奈、見てみろよ。今年も凄いな」
皓は夜空を見上げている。
綺麗な星々、それらをよそ目に私は皓の横顔ばかりを見つめていた。
今、純粋な気持ちで幸せそうに笑う皓を、ずっと見ていたい。
「皓……」
彼の手を握り、そっと寄り添う。
「星、凄く綺麗……。よかった。今年も皓と一緒に星を見る事が出来て……」
「でも、望遠鏡はなしだけどな」
「仕方がないわよ。今年は啓太郎や博美を誤魔化して、ここまで一人で来たんだから」
「そっか。やっぱり俺の……」
皓は私を真っ直ぐに見つめる。
「香奈、俺の事……怒ってる?」
ゆっくりと首を横に振る。
「そんな事ないわ。皓には、私達には言えない自分の考えがあるんでしょ? でもね、その考えが自分一人で抱えきれなくなったら、いつでも……私と優子の所に戻って来て良いんだからね」
彼の手が私の体に回される。
次の瞬間、体は皓に抱き寄せられていた。
彼の温もりが一身に伝わる。
もう、夏夜の蒸し暑さも感じない。
今、感じているのは直に触れている皓の温もりだけ。
それだけを受け入れる事で精一杯だった。
「ごめん……ごめんな……」
震えた彼の声が聞こえる。
皓ったら、また泣いてるんだ。
きっと、私の知らないところで、また何か辛い事があったんだろうなぁ。
皓には隠し事が多過ぎる。
でも今の私は、そんな彼さえも愛おしく思えていた。
「じゃあ香奈、そろそろ行くね」
そっと私から離れようとする皓の手を、私は咄嗟に握る。
「待って、まだ……」
まだ話したい事がいっぱいある。
もっと一緒にいて欲しい。
そう思った時だ。
眩暈と共に視界がぼやけ、そのまま皓の胸部に寄り掛かった。
なんてタイミングで酔いが回って来たんだろう。
啓太郎の店で、ちょっと飲み過ぎたかな。
完全に酔いが回っていた為、それから先の記憶はない。
気付いた時、私は自宅のソファーの上に寝かされていた。
全部、夢だったのか……。
いや、私は確かに、あの土手で皓を感じていた。
彼も同じ様に私を感じていた筈だ。
皓の笑顔、皓の体温、皓の匂い。
ああ、皓はまた私の前からいなくなってしまった。
それでもいつか、再び私のところに帰って来てくれると信じている。
その日がくる事を信じて待ち続けよう。
たとえ皆が私から離れて行っても、私がお婆ちゃんになっても……。
作品名:Remember me? ~children~ 4 作家名:レイ