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「そっか……。とにかく、お酒、って思ったんです。飲んだことなかったけれど。苦しくて苦しくてしょうがなくて、どうしたらいいのかわからなくて、そんな時にあの店の看板が見えて、ひょっとしたら楽になれるかも、って」
 その原因を聞いてみたら、初めての彼氏と四年付き合って別れた、という実にありがちな話だった。しかし、泣きながら言う。
「私、もう恋愛できない」
「広い視野で見なきゃ駄目よ」
 言ってはみたものの、伝わらないだろうな、と智子は思う。よく、男は名前を付けて保存、女は上書き保存、なんて言うけれど、女だって引き摺る時は本当に引き摺るのだ。
「私、実は……」
 聞きながら、彼女の声が段々遠くなっていくのを感じた。やがて「お姉さん」という呼び掛けが耳に入ると、智子は、はっと我に返った。
 そんな世界もあるのか。
「少し楽になったかも」
「うん。声が明るくなった。蝋燭が一本から二本に変わった程度だけど」
「なんていうか、お姉さんの話し方、いいですね」
「智子だよ」
「智子さんの話し方、私大好きです。私は上村奈津紀。またお喋りしてください」

 思えば、あの時から、私は決めていたのだ。そんなことより──。
「トモちゃーん」
 外から奈津紀の声が聞こえる。酔っ払っているのか、珍しい。智子が笑うと、近くにいたスタッフの女の子が「きもっ」とからかってくる。「お先」と一瞥して店を出た。
「遅いよ、トモちゃん」
「これでも先に上がらせてもらったんだから。閉店して『はい、お疲れ様でした』とはいかないの」
 午前0時過ぎ。響介と奈津紀と荘太と智子の四人は、吉祥寺駅を潜って公園口に出た。

     (五)

「奈津紀と西川さんの前途を祝って──、乾杯!」
 かきん、と小気味よい音を出して、四つのジョッキがぶつかる。なんかいいな、この子、と思いながら、響介は智子を見ていた。
 人見知りは恥ずべきことではない。それは他人に気を遣えるという証拠なのだから、気後れする必要はない、というのが響介の持論だった。人間関係で最も重要なのは距離感だから、慎重を期するに越したことはない。正しい行為なのだ。それだけに、初対面でフランクに話す人間に対して、嫌悪感を抱くこともままあった。しかし、どうだろう。
 目の前では、智子が荘太のハット帽子を取り上げて、いいね、と目を輝かせている。
 自分は憧れている。他人に近付く、そのスピード感に。自分の持論は、劣等感を正当化しただけに過ぎないものなのだろうか。智子を見ていると、そんな風に思えてくる。
 智子ちゃんは、と喋り出すより先に、荘太が口を開いた。
「智子さんは、おいくつなんですか?」
「二十四」
 赤い顔をした奈津紀が「そうそう」と割って入る。
「キョンくんと同じ」
「キョンくん?」
 荘太と智子が声を揃える。ややあって、笑いが起こる。響介は俯いた。やはり失敗だったか……。
「なるほど。響介だからキョンくんか」
 なにが、なるほど、だ。キョウくんやキョウちゃんの方が自然なはずだ。奈津紀に喋らせてはいけない、と話題を転じる。
「智子ちゃんも吉祥寺に住んでるの?」
「そう」
 これである。同い年と見るや否や、敬語を取っ払う、このスピード感。しかし侮っていた。
「響介は? どこに住んでるの?」
 呼び捨て。流石にこれはどうなんだ、と思い、横目で奈津紀の顔を窺うが、表情に変化はないように見受けられた。キョンくん、と呼ぶことが特別であると、奈津紀もまた認識してくれているようだ。それが確認できて、満足な気持ちになる。
「僕も気になってた。上村さんと住むの?」
「いや、ウィークリーマンションを借りてある。池袋なんだけど、安かったからそこにした。そこを拠点に、しばらくは部屋探しの日々だね」
 智子が前のめりになり、「いい話があるんだけど」と切り出した。
「私が住んでるアパート、一室空きがあるの。で、この前、オーナーに言われたところ。『椿山さん、誰かいい人いない?』って」
 軽く物真似を交えた話し方。物静かな男性というイメージが浮かんだ。荘太が「いい人?」と怪訝そうに尋ねる。
「なにか恋愛の相談みたいだね」
「それに近いかもね。オーナーはプロのジャズドラマーで、うちのアパートは音楽に携わってる人しか住んでいないの。そういう意味で、入居審査が厳しくて、なかなか決まらないみたい。でも私の紹介ならすぐ決まると思う。響介、音楽やってるんでしょ? 条件はクリアしてるし。響介にとってもいい環境だと思うよ。楽器可で、家賃五万円だから」
「それは確かにいい話だね。上村さんとも近所になるし。ついでに言うと、僕とも」
「ね? いい話でしょ? ただ、空き部屋は二○二号室で、私が住んでるのが二○一号室。私と響介が隣人になってもいい、っていう奈津紀の承諾が前提になるけど」
「何言ってんの、トモちゃん。キョンくんとトモちゃんが仲良くなると、私嬉しい」
「いい風吹いてるね、西川さん。一年間苦しんだのを、神様は見ていたんだね」
 確かに前途洋々である。しかし気になることが一つあった。智子が音楽に携わっているということだ。初耳だった。「よろしく頼むよ」と軽く頭を下げて、それから探りを入れた。
「智子ちゃんも音楽やってるんだね」
「ちょっとね」
 ちょっとね。言う程でもないのか、言いづらいのか。後者だと思った。その意図を汲み、それ以上は聞かなかった。

 三月の夜風はまだ冷たい。けれど思う。順風満帆だ、と。
 背後で奈津紀と荘太が話しているのが聞こえる。
「御前さん、敬語じゃなくていいですよ」
 荘太は俯き、右手を顔に当てて笑った。
作品名:ディレイ 作家名:宇城和孝