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 響介はいささか拍子抜けした。『不思議草』は内装もメニューも特段変わったところはなく、至って平凡な居酒屋だった。何か思い出があるのだろうか。
 各々ビールの入ったジョッキを持つと、荘太が「おかえり」と言いながら、ジョッキを手前に出した。奈津紀がそれに倣う。「ただいま」と言ってジョッキを合わせた。
「──で、上村さん。西川さんと出会ったのはいつですか?」
「先月です」
 荘太が響介を、きっ、と睨む。東京に来てたの? 聞いてないんだけど? という壮太の声が聞こえるようだった。「違うんだって」と慌ててジョッキをテーブルに置く。
「病気、治ってないんだよね」
「そうなの?」
「だけど去年の暮れ、三つ目の病院で処方された薬を飲んで、それまで変化のなかった病状が好転したんだ。スルピリドとロフラゼプ酸エチルっていう薬なんだけど、日に日によくなった。残念ながら完治とまではいかなかったけれど、それでも、東京に戻れる、という希望を抱くには充分だった。それで先月、テストしてみたんだよ、テスト。上手くやれるかどうかわからなかったから、誰にも内緒で」
「上手くやりすぎだよ、西川さん」
「結果的にはね。とりあえず新宿に行って、住んでたアパートとか、いわゆるゆかりの地を回ったんだ。流石に『トミー』には行けなかったけれど。『プリズム』がその中の一つで──」
 煙草を吸おうと思い、目の前に置いたポールモールの箱に手を伸ばした。間を埋めるように奈津紀が話す。
「私、その日、たまたま新宿店にいたんです。ヘルプで呼ばれて。二年近く勤めて初めてだったんですよ、そんなこと」
 響介は天井を見上げる恰好で煙を吐いた。
「最初は知らない人がいて戸惑ったんだけど、すぐに打ち解けて、ずっと奈津紀と喋ってた。東京を出る直前まで。奈津紀のバイトが終わる時間と、夜行バスの時間が同じくらいで、新宿駅のバスターミナルまで見送りに来てくれたんだよ」
「そこで私、泣いちゃって」
 そう言いながら、奈津紀は笑った。荘太は「えー」と目を見開いた。
「もう付き合ってるみたい」
「そのすぐ後だよ。バスが出発してすぐ。メールしたんだ。『俺と付き合えば?』って。これ、俺の好きなアニメーション映画の台詞なんだけど」
 荘太の視線が宙を彷徨う。頭の中でアニメーション映画を検索しているのだろう。それには気付かない様子で、奈津紀が「だから」と話を続ける。
「会うのは今日が二度目で、付き合ってからは初めてなんです。この一ヶ月は、ずっと電話してました」
 電話代は聞かないでください、と顔を横に背け、両手で隠す。
「なのに俺、再会の瞬間、うずくまってたんだよ。吉祥寺駅の隅で。なんてことだ、やり直しを要求する」
 軽いトーンで言ったのだが、荘太の表情は崩れなかった。「ああ、大丈夫」と取り繕う。
「電車に乗って発作が出ただけだから。今はそんな風に、普段は通常だけど、ある状況下で体調が悪くなる状態にあるんだ」
 その時だった。すぐ隣で食器同士がぶつかる甲高い音がした。音の方向を見ると、女性店員が立っていた。急に動いたか、或いは立ち止まったせいで、持っていたトレンチが揺れたのだろう。その女性店員の顔はこちらを向いていた。どうやら後者のようだった。
「奈津紀!」
 その迫力とは裏腹に、軽く跳ねるような口調で、奈津紀は言った。
「トモちゃん」
 トモちゃん。奈津紀の話に何度も出てきた。あまりに出てくるので、響介の中でいつのまにかイメージが出来上がっていた。そのギャップに驚く。吉祥寺というより、渋谷、原宿が似合いそうな派手な容貌だな、と思う。
 奈津紀に向けていた視線を、その隣に座る響介に移し、再び奈津紀に戻した後、「彼氏?」と尋ねた。返答を待たずに、響介に会釈する。
「智子です。西川さんの話は奈津紀から沢山聞いてますよ。──大丈夫ですか? 今、体調が悪いって聞こえましたけど」
 合点がいった。奈津紀のお気に入りは内装でもメニューでもなく、彼女なのだ。だったら、と思い、「知ってるかな?」と前置きして答えた。
「パニック障害なんだ」

     (四) 

 どうして奈津紀は黙って……。
 考える途中で、椿山智子は苦笑する。あの子は自分の性格を熟知しているのだ。でもね、と心の中で囁く。そうすると、一年前の景色が瞼の裏に広がった。

 智子は、いつものように『不思議草』に出勤した。時刻は午後六時。月曜日ということも相まって、客は数える程しかいなかったが、たまたまタイミングがかち合って、智子が厨房に入った途端、オーダーが入った。カシスオレンジ、一つ。慣れた手付きで作ると、トレンチに乗せ、フロアに出た。
 テーブルの横で片膝を付き、おや、と思う。
『不思議草』にはカウンター席がない。そのため一人で来店する客は珍しい。それが女性ともなると尚のことだ。四人掛けのテーブル席に一人で座る女性の顔を視界に捉えながら、カシスオレンジを置く。反応はなかった。食べ物が一つもなかったので、手早く空になったカクテルグラスを回収し、テーブルを離れる。
 違和感があった。あの子は一人が似合わない。愛らしい顔をしていた。ああ、と振り返る。失恋か。
 厨房に戻ると、スタッフの男の子二人が神妙な面持ちでやり取りをしていた。
「ネンカクしますか?」
「そうだね」
 さっきの子の話だ、とすぐにわかった。確かに年齢確認をされてもおかしくない容姿だ。なんとなくさっきの子が気になった智子は、その役割を買って出た。再びテーブルに戻ると、覗き込むようにして尋ねた。
「大丈夫?」
 その言葉を受けて、涙を流す。
「ふられた?」
 無言の肯定。
「昔から、雲一つない晴天に恵まれ、って言うじゃん? 私、あれ、引っ掛かってしょうがないのよね。雲があった方が空らしいじゃない。そう思わない?」
 智子の顔を見て、きょとんとする。
「いろいろあった方がいいんだって。嫌な事も、いろいろ。その方が人生は綺麗なの。やまない雨はないんだし」
「あの、私……」
「気にすることないって。悩み事を解消するのが得意な人間なんていないから」
 午前0時過ぎ。仕事を終えて店を出ると、店の正面にカシスオレンジの子が立っていた。智子に気付き、駆け寄ってくる。
「あの、ありがとうございました。私、すごく嬉しかった」
 頑張りな、と一言掛けて去ろうとしたが、顔を見た瞬間、動けなくなる。すっきりした表情をしているのかと思いきや、その愛らしい顔は歪み、泣いていた。この子は一体どれ程のダメージを受けたのだろう。今のは、元気になった、という報告ではない。お礼を言わなければ、と無理をしただけのことだ。
「……話、聞くよ。話せば楽になるよ。荷物降ろすみたいに」
 吉祥寺駅を潜って公園口に出る。午前五時まで営業している大手チェーンの居酒屋に、そして入った。
 深く考えたわけではなかったが、席が区切られ、個室のようになっているので、話を聞くにはちょうどよかった。ビールとカシスオレンジがテーブルに置かれる。
「私、別にカシスオレンジが好きなわけじゃないんです」
「知ってる」
「えっ」
「カシオレ飲みに一人で居酒屋、なんて聞いたことないよ」
作品名:ディレイ 作家名:宇城和孝