天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【後編】Ⅰ
これからは有喜菜には今まで以上に身体に気をつけて貰わなければならない。無事にお腹の赤ん坊が出てくるまでは、何があっても彼女には無事でいて貰う必要があった。
言ってみれば、出産さえ終われば、別にどうでも良いのだ。有喜菜が大切な我が子をその胎内で育てている間は、万が一のことがあっては困るのである。
有喜菜はわずかに眼をまたたかせ、紗英子を見た。
「別に礼なんて言う必要はないわ」
「そう? でも、今回のことは何と言っても、あなたに頑張って貰わなければならないのだし」
あまりにも冷ややかな反応に、紗英子は怯んだ。
「頑張るも何も、出産は自然のものでしょう。運が良ければ流れずに生まれてくるだろうし、そうでなければ―」
「止めて!」
紗英子は思わず悲鳴のような声を上げていた。
「やっとやっと恵まれた赤ちゃんなのよ。お願いだから、そんな不吉なことを言わないで。しかも、この子はあなた自身の子どもではないけれど、あなたの中で育って生まれてくるのに」
はっきりと言葉に出して言わなかったが、血は引かずとも自分の子宮で育てる赤ん坊に対して、どうしてそこまで無情な物言いができるのか? 言外にそんな想いを込めたつもりだった。
有喜菜は相も変わらず静かすぎる瞳で紗英子を見つめた。
「別に悪気があって言っているわけじゃないのよ。紗英、最初にも言ったはずでしょう。私は妊娠できる身体ではあるけれど、これまで一度も元気な子どもを出産した経験はないの。だから、幾ら妊娠が判ったからといって、そんな風に手放しで歓ぶのはどうかと思う。歓びが大きければ、その分、落胆や哀しみも大きいわ。私はそのことを言っているだけ」
「でも、それはクリニックの先生も大丈夫だろうって」
「そうね。確かに院長も担当医も、習慣性流産とはいえないとは言った。でも、三度あったことが四度目もないとは言えないでしょ」
「もう、止めて。そんな不吉なことばかり考えていては、お腹の赤ちゃんにも影響してしまうわ」
折角、この世に生まれ出ようとして今、この瞬間にも目覚ましい勢いで成長している小さな生命。その生命を宿しながら、平然と口にする有喜菜の心情が理解できない。
「とにかく、これから出産まで身体には気をつけてね。あなたに何かあったらと思うと、私、どうしたら良いか判らない」
また涙が零れそうになって言うと、有喜菜は薄く微笑した。
「そうね、せいぜい、あなたの赤ちゃんのために気をつけるとするわ」
そのどこか投げやりにも聞こえる言葉には気づかず、紗英子は有喜菜を抱きしめた。
「本当にありがとね。有喜菜のお陰で、私、漸く長年の夢が叶いそうよ。ママになれるのね」
「まあ、お母さんになるっていう人が甘えん坊の子どもみたいになっちゃって、どうするの? 今日の紗英は変ね。泣いたり笑ったり、怒ったり、色々と忙しいのね」
「だって、やっと赤ちゃんが、私たちの赤ちゃんが生まれるんだもの。もう嬉しくて嬉しくて頭がどうにかなりそう。きっと直輝さんも歓ぶわね」
「さあ、それはどうかしら」
ややあって、有喜菜が呟いた言葉は、ついいに紗英子に届くことはなかった。有喜菜は泣きじゃくる紗英子を抱きしめ、それこそ本物の母親のように優しげな手つきで背を撫でていたけれど―、それにしては、彼女は静まり返った湖のような沈黙を纏い、その表情はあまりにも変化に乏しかった。
作品名:天の卵~神さまのくれた赤ん坊~【後編】Ⅰ 作家名:東 めぐみ