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夢幻忌憚

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  何時からか、繰り返し見る夢があった。
 酷く生々しく、どちらが現実なのか判らなくなるほど鮮明な。
 残酷で、凄惨な、深紅の幻ーーーー。
 まるで呪いのように、つきまとう。

***
 
「ーータ。……小弥太!」
 暗闇から突然光へ引き上げられたように、目を覚ます。
 驚きで、咄嗟に閉じていた瞼を開くと容赦ない陽射しが眼を射る。その眩しさに、反射的に瞼を閉じると黄色い残像が眼の裏に残った。眉間に力を込める。
 光に慣らすようにじっとしていると、下から覗き込むような気配を感じて少し微笑んだ。
「小弥太、眼、覚めた?」
 小さく、軽やかな声が名を呼ぶ。その響きに促されるように、ゆっくりと眼を開けた。
 眩しい。
 薄暗い部屋の中、大きく開いた障子の間から予想よりも強い陽射しが降り注いでいる。思っていたより大分寝過ごしてしまっていたようだ。
 くらり、と一瞬眼が眩んで気が遠くなる。そのまま、先程まで浸かっていた暗闇に意識が沈みかけるのを頭を振ってやり過ごす。と。
「小弥太、大丈夫? 気分悪そう……」
 声の方に眼をやれば、声音の通り心配げな表情をした少女がこちらを覗き込んでいた。もう一度、今度は意識して深く微笑む。
「大丈夫だよ。菊」
 言って、柔らかな黒髪を撫でればほっとしたように少女は笑った。
 今日も、ちゃんと上手く笑えたようだ。身体の弱い自分を、ただでさえいつも心配して気を遣ってくれる優しい従姉妹を、あまり哀しませたくない。無意識に菊が掴んでいた小袖をさりげなく外し袂を整え起き上がる。
「無理しないで、小弥太」
「してない、ーーっ」
 支えるように背中に回された小さな手を気遣いながら、腹に力を込めると左肩に焼けるような痛みが走った。軽く呻いて右手で肩を押さえると、心なしか一部飛び抜けて熱を持っていた。
「なんだ……?」
 再び袂を緩め左肩を剥き出しにすると、それを見た菊が息を呑む。
「小弥太、それ……」
 示される場所に眼を向けると、そこには、幼い頃から見慣れた筈の黒痣が滲むように、滴るような鮮血色を帯びていた。

***

 何時からか、繰り返し見る夢がある。
 今思えばこの肩の痣も、同じ頃出来ていた気がする。六の頃までは健康だったこの身体も、徐々に蝕まれるように弱っていき、十七を数える今では殆ど外に出ることは出来ないほどに衰弱していた。両親は息子の『病』に疲れ果て、数年前一人山里離れた東屋に隔離するようになった。以来こうして訪ねてくる者は、時折様子を見に来るこの従姉妹だけ。
 繰り返し見る夢がある。
 それは酷く生々しく、非現実的な、およそこの光溢れる世界とは対極さで自分の精神を脅かす。

「小弥太、見て。緑がとても綺麗!」
 大きく開けた障子の向こう側から見える、縁側を越えたその向こう、山夏の陽光に映え燦めく息吹に眩暈がした。自分とは違う、生命の輝きに圧倒される。なんて力強いのだろう。見ているだけで……。
「今度あのお山の麓に流れる川辺まで遊びに行くの。小弥太も早く元気になって一緒に行こう」
 愛しく想う、一点の曇りもない無垢な笑顔。
 結い上げられた黒髪、秀でた額。血筋に寄るのか、暗紫色の瞳は陽に透けると鮮やかな紫水晶のように輝きを増していく。
 すんなりと伸びた、細く白い手足は快活に動いて一時も休まない。
 明るく、優しく、眩しい綺麗な菊。
 この世界の光を詰め込んだように輝いている。
 大切な、一番身近な家族とも言える少女に。
 ただ黙って、微笑んだ。

***

 ああ、最近ずっと調子が悪い。いや、調子の良い時なんて滅多にないのだけれど、それでも今までよりもずっと衰弱の進度が増しているような気がする。この二月程は自分で起き上がることすらままならないほどに。
 このままでは、またあの子を心配させてしまう。ただでさえ、今は非道な山賊の出没で不安になっているというのに。あの子も、そしてその家の人達も。おかげでこの家に足を運ぶのを控えているために、最後に会ったのはゆうに一月も前のことだ。その時、一緒に帰ろうと、言ってくれたけれど。
 小さく息を零すと、微かに口元から白い煙が出た。今日はそれ程に冷え込んでいるというのだろうか。すでに感覚がおかしくなっているのか、暑さや寒さは判らなくなってしまっている。
 今日もまた、夢を見た。
 日に日に鮮明さを見せつける、あの夢。
 次第次第に、どちらが現実なのか判らなくなるほど。むしろ穏やかで優しいこの世界の方が夢なのではと錯覚させる。
 ほうっと、また一つ息を吐いた。今度もその吐息は白く立ち上って消えていく。軽く首を巡らし、ゆっくりと部屋を見渡した。どこに何が置いてあるのか、目を瞑っても迷うことはないこの部屋。今はまだ夜明け前の静寂に満ちてとても静かだ。完全な闇ではない、白々と仄明るくなるのをただ、黙って見ている。
 赤、だ。
 夜毎苛むもう一つの世界は、そう、赤の世界。
 渾身の力を込めて起き上がり、抜けそうになる足をだましだまし動かして縁側へと続く部屋の障子を開く。途端、さあっと風に流れて雪が降り注いだ。冷えている筈だ。いつ頃から降っていたのか、地面はすっかり白く埋もれている。晒された顔や首元に舞い落ちる冷たい白の結晶。すっかり弱り細ってしまったこの身体に止まり、すぐに溶けていく。その儚さに、むしろ己の息吹を感じて小さく笑った。こんなに小さく、儚いのに闇夜を覆い尽くし浮かび上がらせる浄化の白。それが、今ここに立つ自分の世界。
 静寂な空気、切り付けるような冷たさや荘厳ささえ感じる白銀の夜。
 けれど。
 先に見たあの闇は、禍々しい赤。
 酷い喧噪、誰かの悲鳴。野蛮な気配と息遣い。家の中も、外も、人々も、辺りを満たす空気さえもが真っ赤に染まり、すべてが本来の意味を失っていた。
 目を閉じるだけで、甦る赤の記憶。
 実際に経験したわけでもないのに、厭に纏わりついて離れない忌夢。
 いつだってそれは、知った場所で起こっていた。
 赤い、赤い家の中で、自分は必死に走っている。逃げているのか、それとも誰かを探しているのか判らないままに。
 菊の家。大店で立派な造りの家で、沢山の人が逃げ惑う。壁も、襖も、古土井もすべてが深紅に染め上げられ、惑う人々さえ朱に濡れていた。廊下や階段には血を流して倒れている人もいた。その中で、おばさんは廊下。おじさんは玄関と傷付き倒れ伏しているのが見えた。そして、菊は。
 彼女の部屋、床に折れる小さな身体。それに跨がりしきりに荒い息を漏らしている獣。その恐るべき顔はーーーー。
 思い出して、強く、強く瞼を閉じる。
 あれは、夢だ。
 夢なのだから、現実に起こるはずはない。
 そう言い聞かせて、今夜もまた、朝を待つ。

 あの愛する笑顔が恐怖に凍り付き、全身を鮮血に染めて事切れるなど、たとえそれが幻であろうと認められる筈がなかった。

***

 如月。菊が来なくなって二月ほど経っていた。
 今日はいつになく気分が良く、軽やかとは言えないまでも自力で寝起きしても疲れないくらいには体調が良かった。外は晴天。冬の晴れ間の優しい陽射しが柔らかな影を作っている。
(今日は少し、外を歩いてみようか)
作品名:夢幻忌憚 作家名:桜井透子