少女
「できましたよ」
目を開くと、辺り一面水の世界だった。揺れる髪の毛、何故か開いても平気な目、足元の砂、見上げれば岩。わたしを避ける魚達。
まるで、あの飴玉の中に……。
「ようこそ、お嬢さん。こんなところまでわざわざありがとう。わたくしのお友達は、迷惑をかけなかったかしら」
どこから声が聞こえているのか、分からない。あの時は頭上から聞こえた。けれど今は……反響しているかのようにあちらこちらから聞こえるのだ。
「い、いえ。全然」
「随分と嘘つきなお嬢さんだこと」
戸惑いつつも返事をしたにもかかわらずぴしゃりと言い返された。それは少しひどいんじゃないかと思う。
「女王についてもお話ししながらいきましょうか。もう少しお付き合いを。歩いて二、三分といったところです」
「ギミック……あの、女王って、さっきは番人とか言っていたんだけど、どういうことなんですか?」
ふわりふわりと一歩が軽い。ギミックの半歩後ろをついていく。
「よく覚えていらっしゃる。女王は此処の番人。この地を支え守っています。全ての母と言ってもいい。即ちあなたの母」
「わたしの、母」
喋るたびに、口から泡が零れ出る。呼吸を忘れている自分に気付きはっとした。
「ああ、呼吸ですか。お気になさらないで。普通にしてらして。大丈夫ですよ、ここの水は幻想のようなものですから。揺り籠のようなものですから」
羊水、海、母……。
「つきましたよ。美味しそうでしょう」
そこは不思議な世界だった。
海の奥の洞窟のような場所。鍾乳洞といってもいいだろう。天井からは透明な繭のようなものに守られた飴玉。その中には、魚。あの時私が食べかけたような……。それが沢山ぶら下がっている。それぞれ高さが違い、わたしの欲を促した。――お腹がすいた!
「女王さま、連れてきましたよ。あの時零れた飴玉です」
水が渦巻き現れた女王の姿は、実に幻想的だった。
霧のような靄のようなドレスを纏った、まっさらな女王。穢れ無き麗しい姿。艶やかな長く透き通る髪。無垢で、純粋で、妖艶。
「あなたが、此処の番人……」
「如何にも。さあ、わたくしのいとし子を下さらないかしら。約束通り、御馳走しますからね」
わたしはポケットに手を入れ、指先を遊ばせ、包み紙を剥がし、驚いた。飴玉は無くなり、魚がぴちぴちと跳ねていた。
「あら、溶けて亡くなりましたの。残念無念。しかしまだ間に合うようですわ。どうします、女王さま」
青年と王女は微笑んだ。
「もとより、そのつもりです。さあ、いとし子に接吻を」
わたしは言葉を失った。わけがわからなかった。まさかこの魚を食べろというのか。それが御馳走だと言うのか。わたしは何のためにここへ来たのか。
心底、気持ち悪い。
「そんな顔しないで!」
絶叫……ギミックの絶叫。わけがわからなかった。なぜ彼はそんなにも激昂するのか。
「ぼくには絶対触れないものに……平気で触って……なのにその顔! その顔!」
パーカーの猫耳が揺れた。ギミックはわたしの髪の毛、それから頭を掴み押し付け、わたしの唇は……。
恐ろしく、美味しかった。震えた。
――おめでとう、おめでとう。ミセス、ミセス・メイデン。
――ありがとう、ありがとう。ミセス、ミセス・メイデン。
混濁する意識の中、女王が霧散するのが見えた。女王のいたはずの辺りの場所を小魚がうろつき、なにかを食べるように必死に口をぱくつかせていた。
ギミックは静かに笑っていた。
意識が遠のいた。