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古着抄

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「モノ」には「モノ」の性があるのだという。長く使えば使うほど、人が愛着を持つほど、また、想いが深いほど、強く宿るものだそうだ。やがて、無機質なそれは、意思を持ち、実態を有してヒトの形を成し、人を惑わす。物の怪とも言うらしい。

 半地下のその部屋は、時折、店主や従業員が出たり入ったりする以外、光は当たらない。蛍光灯が、空気をわずかに震わせながら照らし出すそこは、倉庫である。湿気がこもらないように外付けされた空調があるだけで、外気よりもわずかにひんやりする。
 無機質なスチール棚に整然と並ぶ段ボール箱。部屋の隅には、数多の手によって使い込まれたのだろう、煤けて黒光りするような桐箪笥が二竿並んでいる。
 そこはかとなく香ってくるのは、樟脳とナフタリンの混じった、どこか懐かしくもある鼻をつく匂いだった。
 四方の壁に陣取ったスチール棚や桐たんすに見下ろされるように、6畳ほどの部屋のど真ん中に、広い作業台が設置されている。
 
 すうっと、光が侵入したかと思うと、ぱちんと、蛍光灯のスイッチが入る。発光管が何度か瞬きをして視界を開く。入ってきた店主が作業台に段ボール箱をどすんと下ろして、徐に、あけた。漁るように、いくつか選び出すと、それをもって振り返りもせずに、また、蛍光灯を消した。
 ゆっくり、倉庫の扉がしまる。
 外からの光が、細く窄まり、面から線に、線はやがて影に飲み込まれた。

・・・・・・客か。
 どこからともなく、言葉が漏れた。が、静寂が、それと聞き違えたのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・客か・・・・・・。
 また、聞こえた。
・・・・・・・・・・・・客・・・・・・・・・。
・・・・・・客か・・・・・・
 客ね・・・・・・、客・・・・・・。
 ふわんと気配が立った。
 一つが立つと、あちらからも、こちらからも、陽炎のように揺らめき上がる。戸棚の隙間、箪笥の引き出し、棚の上、段ボール箱のいたるところから、気配が生じた。
「しかし、このご時世、よくもまあ、あたしらのようなものが必要とされるもんだね」
 いささか色の褪せた櫨染(はじぞめ)色の格子柄の着物に立つ気配が、明らかに、そうつぶやいた。
「黄八姉さんは、いまや、どこいったって、箪笥の肥やしだもんな」
 可笑しそうな含みをもって、細かい亀甲の柄が織りこまれた花色の平織の袂がゆらりと振れた。
「まったくだよ。これでも、あたしゃ、引っ張りだこの時代もあったんだよぅ」
 わずかに延びた語尾が、懐かしさを引き摺っている。
「おねえさんは、まだ、いまでも、すてきだわ」
 綸子の光沢が華やかな雪輪の小紋が、うっとりと言葉を紡いだ。
「小紋ちゃん。ありがとね。そんなこと言ってくれるの、小紋ちゃんだけだよ」
 やや芝居がかかって、よよよ、と、泣きまねをしてみせる。 
 そこかしこで、さざなみの様な波動が生まれて、あちこちでぶつかり合い、時には溶けて、また、反発しあって、あたかも鈴の触れ合うざわめきを見せた。
「そういう大島様は、少しは日の目を見たのかい」
「俺は、御召しだ。かの将軍様のお気に入りさ」
「つまり、市井に興味はない? 御召兄さんこそ、箪笥で肥やされてんじゃないかい」
 黄八丈の赤い八掛がちらりと見える。
「肥やしてあるだけましですわ」
 凛とした中にも、憮然と話を遮ったのは、総鹿の子絞りの振袖だった。
「わたくし、箪笥の肥やしにするなら、金に換えてしまったほうがいいだなんて言われて、散々な目に遭いましたわ」
 とたんに、今度は、低い波長が涙を誘うべくざわざわとさざめく。

 可笑しげな声色に、少しの哀れみを乗せて、黄八丈から声が立つ。
「そりゃ、お嬢、あんたにゃ、それだけの価値があるんだもの」
 さっぱりと髪を一つに纏め上げ、きつく紐を巻きつけた黒髪が頬を掠めて笑った。
 目じりがやや上がり加減が、性格をきつく見せている。襟元をきりりとあわされた黄八丈の良く似合う姉御が、桐たんすの引き出しの縁に座って慰めるように言った。
「価値があってもなくても、わたくしはわたくしですのに」
 やはり、納得がいかない様子で、ぷいっと口を結ぶ。
 ふふっと、柔らかな笑みが聞こえる。
「お嬢さんは、そのままで、素敵です。あなたの良さが見えないもの共のことなど、視界に入れることはありません」
「いうね」
 柔らかく静かな中に、毒の塗ってありそうな剣先を閃かせる一つ紋の入った紬の無地に、亀甲の御召がくっと喉もとで笑って見せた。
 きっと、気配が向けられ、その切っ先が突きつけられる予感に、
「まあ、今のご時世に、俺らの本当を知る奴らなんかを期待しちゃだめだぜ」
 と、さらりとかわす。
「おっしゃる通りです」
 するりと衣擦れの音を立てて矛を納め、毒を消した無地の紬が同意した。そして自らを顧みる。
「わたくしとて、最早、市井の紬(もの)とわたくしの区別もつかぬ者どもに、何度、貶められたことか。お嬢さんは、気品のある方です。あなた様を染められた方の手を感じます。お優しい、志の高い方だったのですね。誇ってくださいませ」
 そそ、と、袖を伸ばし、独特の生地の凹凸に触れた。ふわりと柔らかく、ぬくもりのある肌が、少し節くれだった指に絡む。
「そうね……。ええ。そう、するわ」

「いいねぇ……。麗しき主従だな」
「まあ、出会ったのはここなんだけどね」
「出会いのシチュエーションは、この際、関係ないさ」
 その言葉に、黄八が亀甲の御召に視線を留めた。それに気づいた御召も黄八を見返す。
「なんだ」
「シチュエーション、ねぇ……」
「なんだよ」
「十分、時代に毒されてるよね」
「それを言うなら、馴染んでいると言ってくれ」
「馴染んでる、ねぇ……」
「時代の先を読むのが上様の仕事だ。わが君は、いつだって、はるか先に視線を飛ばしておられた」
「そして、足元が見えなくなってたら世話ぁないわね」
「言ってくれるな」
 亀甲の御召を着流した目元の涼しい青年が、何を思い出したのかうなだれている。おかしそうに頬を緩めて、改めて段ボール箱に目を向けた。
「ところで、今度のお客さんは、どちらさんかしらね」
 部屋に緊張感が走った。そこここの段ボール箱から、引き出しの隙間から、積み重なった、たとう紙の隙間から、興味津々な気配がにじみだす。
……どちらさん?
……、どちら、さん?
…………さん?

「面白い方だと、いいわね」
 綸子の小紋がおっとりと囁く。
……面白い……、おも、ろい……。
 くすくすと、笑い声にも似た気配がふわふわと漂う。
……帯……
……る……帯……。
「ああ」
 黄八丈が疲れたように苦笑した。
「そういえば、あの時の丸帯は、どうしてるかな」
 悪戯っぽく、思い出し笑いをかみ殺して、御召が誰ともなしに言う。
「あの子を買った人は、さぞかし、苦労してるだろうね」
「扱い難さのあまり、その辺に放り出されているのではなくて?」
「まあ……、少しばかり、気位の高い方でしたけど、悪い帯では……」
 一つ紋の紬でさえ、黙って、小さくため息をついた。
……て、るよ。
 ことことと、段ボール箱のふたが揺れた。
 気配が集まる。
 ことことと、また、揺れた。
……知ってるよ。
作品名:古着抄 作家名:紅絹