小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
小山ユイタ
小山ユイタ
novelistID. 42945
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

アルハンブラガルデ Ⅰ 深緑の少年

INDEX|2ページ/4ページ|

次のページ前のページ
 


カゼンは右手で左肩を庇うような姿勢で槍の柄にあたる部位を固く握りしめ、真っすぐと前を見据えて、声のする方向へ歩き始めた。

この一見して不利な構えは、ゴロゴロと地面に転がる同士や敵兵の首を見続けている内に、自然と自分の首を守るために形作られた習性とも呼べる姿だった。ちょうど今のようにおぼろ闇に溶け込んでいる正体不明の相手ならば、必要なのは不意をつかれた時に致命傷にならない為の防御だ。言葉を覚えるより早く、祖父が怪我人に治療を施していた現場を鮮明に覚えていたこともあり、どんな傷がどのように人を蝕み、死の淵へ引きずり込むかを本能で知っていた。祖父が死ぬ直前に連れて行かれた石牢のような施設の同じ境遇の子ども達からお前はだんごのように丸まった弱虫だと馬鹿にされても、カゼンは幼心から死線の本質を掴み、剣ではなく槍を選び、猛撃ではなく死守の構えを取り続けた。そして誰よりも長く生き延び、誰よりも戦勲をあげた。

薬師、と樹海に呼ばれたとわかった時、カゼンは驚くよりもむしろ安堵した。やはりここは自分の血族と縁のある土地だったのだと確信が持てたからだ。

カゼンの生家はアースネルクの丘の終わり、樹海と寄り添うようにぽつりと建っていた。
かなり老朽化が進みかつての美しい面影はないが、この地方では珍しい木組みの家だった。家と言っても部屋は一間しかない三角屋根の平屋で、扉を開ければ寝床や暖炉や道具類が無造作に敷かれている。家族というもののにおいが一切しない狼の住処のような家で、よく自分が今ここにいるものだと幼な心に己の身の上を空疎に感じた。祖父の先代から残っているというこの家を、祖父は大弓のような体と節くれ立っているが細く繊細な指を巧みに使い、傷んでは修復と繰り返しながら今の立ち姿を保たせていた。祖父と暮らしていた頃カゼンはまだ5歳だったので、薬作りの使いのように大工仕事は手伝えなかった。指より小さき草も背より大きな大木も迷いなく己の思うままに扱う祖父を、不思議な生き物のように畏怖していた気持ちを覚えている。あまり多くを口にしない人だった。幼いカゼンも同様だった。藁葺きのような髭の下で少し口を動かし指示と注意だけを述べ、カゼンはいつもそれに従った。

そんな祖父だったが、年に幾度か何の前触れもなく、闇夜に浮かぶ三日月ような鋭いまなざしを浮かべることがあり、そういう日は大抵、いつもより長い刻をひとり樹海で過ごしにいった。その時だけはカゼンが同行することを許さなかった。ロウソクの灯が心もとなく揺れる暗い家で、カゼンは膝を抱えて祖父の帰りを待った。もし祖父が帰って来なかったら、もし得体の知れない化け物が扉を叩いたら・・・。カゼンは鼻をピクピクさせ短い呼吸を繰り返した。小さき自分の脆さをありありと浮き彫りにされる何よりも恐ろしい夜だった。遅く帰ってきた祖父に我を忘れて飛びつき、腹にしがみついて眠ったものだ。
祖父は大きな手でカゼンの背中をゆっくりと叩き、
「恐ろしかったか。すまんな。呼ばれたのでな。」
そうひと言だけ言って、カゼンが眠り落ちるまで背中を叩き続けた。

祖父が死んでから10年以上経つ。祖父から大工仕事を教わる前に、男達から戦い方を叩き込まれた。木組みの家は精勤な相棒を失い、今にも朽ちかけようとしている。そうすればここを離れることになる。その前に成すべきこと、知るべきことがある気がしていた。ついにその時が来たようだ。

カゼンはかつて祖父が村人達から呼ばれていた「薬師」の名を呼び続ける声のほうへ、木々の生い茂る道なき道を進み続けた。くたびれたなめし皮の靴はすっかり水を含み、一歩踏むたびとぷりとぷりと音を立てた。手足がずいぶん冷えてきたが、体幹は釜焚きのように熱く、その目にはかつて祖父がそうだったように月のような鋭い光が宿っていた。