朝日に落ちる箒星
28.久野智樹
「じゃぁ次は私ね」
高揚する気分が抑えきれず俺はさっきからニヤけてばかりいる。自分でもアホだなとは思うのだが、「喜」の感情とはなかなか抑えられるようにできていないのか、ただ俺が制御できないだけなのか、顔面からダダ漏れなのだった。
君枝のショルダーバッグから出てきたのは、ベージュの紙に包まれた箱だった。茶色い紐でくくられている。
「おぉ、渋いな。開けまーす」
その紐は、どうやらただの紐ではなくて、革製のようだった。柔らかい手触りの紐をほどき、包装紙を外すと、箱の中には「本革」と書かれた取説と共に革のブレスレットが入っていた。
「かっけぇなぁ。これ君枝が選んだの?」
俺はそれを手に持ち、裏表をじろじろ見て、腕に通してみた。
「店員さんと一緒にね。選んだ。貸してみて」
ぶかぶかのブレスレットの端にある革紐をつつっと引っ張ると、丁度良いサイズになった。
俺は女性にプレゼントを貰った事が無いんだったと今更ながらに思う。これが初めてになるんだ。無骨な革製品なのに君枝が選んだと思うと何だか愛おしくて、俺は革の匂いをくんくんと嗅いだ。「革の匂いだぁ」
俺の表情を見ながら、君枝は自分の鞄に手を突っ込み、何かを取り出した。「ほら」
そこには俺が腕にはめているブレスレットを一回り小さくした、少し色味の違うブレスレットがあった。君枝が腕に通すので、俺はさっき君枝がしてくれたように、革紐の端をつつっと引っ張って、サイズを調整してやる。
「お揃いか」
「うん」
下から見上げるように俺と視線を合わせる君枝が愛らしくて、思わず抱きしめてしまった。
「これ、どう表現したらいい? すげぇ嬉しいんだけど。ちょっと、腕並べてみようぜ」
俺は腕まくりをして君枝の横に腕を差し出すと、君枝も少し袖をまくりあげて隣に並べた。細くて白い、折れそうな腕に、無骨なブレスレットはまだしっくりこないけれど、それでも俺の物と同じブレスレットがそこに並んでいる事が、俺の脳内の何かをぶっ壊した。
「やばい、まじで嬉しい」
その場に倒れ込んだ。顔を手で覆って脚をバタバタさせた。君枝は笑っているのだが、笑い事ではない。嬉しいのだ。
「下の人に怒られるよ、脚、うるさいよ」
注意されても俺が今嬉しい事を表現する術はこんな事なのだ。こんな事でしか表現できないのだ。
「お揃い、嬉しいね」
寝そべったままで君枝の顔を見上げると、君枝は頬を赤くして「喜んでもらえた事が嬉しい」と言った。バタバタ。
俺も君枝も、腕にブレスレットを付けたまま、またお酒を呑み始めた。話す内容なんていつもと同じで、大学の講義の話だったり、至と拓美ちゃんののろけ話だったり、お母さんと喧嘩した話だったりなのだけれど、今日は特別な空気が流れているから、俺は彼女の声を聞いているだけで幸せだった。好きな人と過ごすクリスマスってこんなに素晴らしかったっけ、と過去を思い起こす。
高校までは、理恵にプレゼントを渡すだけで終わりだった。休みの日にはセックスをした。ただそれだけだ。ただそれだけを三年間続けた。俺はプレゼントなんて貰った事は無い。それが普通だと思っていたし、不満にも思っていなかった。
昨年は塁に先を越された。それでもプレゼントを渡す事が出来た。至とお揃いのペンを貰った。勿論今でも毎日のように使って居る訳だが、これは拓美ちゃんと君枝という「お友達」からのプレゼントと思っていいだろう。
それゆえに、恋人からプレゼントをもらうクリスマスがこれ程までに幸福で、満ち足りていて、愛しい一日になるとは、想像し得なかった。
「聞いてます?」
君枝に声を掛けられてはっと現実に戻った。
「ごめん、ちょっと旅に出てた」
少しワインが回ってきたらしい。そろそろお酒は切り上げておくか。
「なぁ、君枝」
なぁに?と洗い物をしながらこちらを振り返るその顔が、妙に穏やかで、このまま一緒に暮らしたいとさえ思う。
「わがまま、言っていいか」
俺は布団を敷きながら、頷く君枝を見た。
「布団、一組でもいい?」
洗い物の手を止めたまま、君枝は無表情で少し考え込み、そんなに考え込むなら止めた方がいいと思って「やっぱり」と言いかけた所で「うん、一緒に寝よう」と目を逸らしながら言ったので、俺は小さくガッツポーズをした。急がなくてもいい、ゆっくりでいい、少しずつ距離を縮めていければそれでいい。
シャワーを浴びた後もお互い、革のブレスレットを腕につけたままだった。
「今日は付けて寝ようよ」と言い出したのは君枝だった。反対する理由もないし、むしろ嬉しい訳で、俺は例のデレ顔で「別にいいけど」と上ずる声を抑えるのに必死だった。
歯を磨きながら、洗面台に置いてある黄色い柄の歯ブラシをじっと見る。これは君枝の歯ブラシだ。これが俺の家にあるという事が奇跡だ。俺の家で君枝が歯を磨く事が奇跡だ。君枝の日常生活が俺の家で行われる事が奇跡だ。またもやニヤリとした口の端から、歯磨き粉と涎がずずっと垂れてしまい、急いでタオルで拭う。
枕が二つ置かれた、ひと組の布団に、君枝が既に入っていた。俺はエアコンの電源を切って、部屋が冷える前にと布団に潜りこみ、電気を消した。君枝の方を向くと、彼女も俺の方を向いた。外から漏れる光で、彼女の顔が蒼く映る。
「ねぇ、試してみちゃ、ダメかなぁ。途中でだめになるかも知れないけど」
君枝の方からそんな事を言うとは思わなかった俺は、君枝の頬に触れて、キスをした。
もともと馬力の無いエアコンだから、すぐに部屋は冷たい空気に支配され、君枝の服を全て脱がすのを躊躇ったが、再度エアコンのスイッチを入れて彼女の部屋着を脱がせる事にした。まるで俺を暖めるためにそこにいるように、君枝の身体は暖かくて、俺は身体を重ねた。君枝の顔の横に腕をつくと、彼女は俺の手の横に腕を置き、ブレスレットが並列に並ぶ。それがまた愛おしくて、何度もキスをする。
前と同じように、少しずつ少しずつ、愛撫をする。乱暴にしない様に気を付けて、気を遣っている割には俺はきちんと興奮し、やっぱり男なんだなと実感する。ふと、星野の事が頭をよぎったが、振り払った。
彼女の下半身をまさぐっても、顔を顰めこそすれど、それほど嫌悪感は無いらしい。彼女を襲った男はきっと、こういう下準備なしに挿入していたんだろう。腰をひくつかせる彼女の顔を見ると、蒼い光を受けて潤んだ瞳で「入れてみて」という。
きちんと準備が整ったらしい彼女のそこに、俺のモノを押し当てる。彼女の表情を伺うけれど、まだ表情は変わっていなかった。そのまま押し進め、奥まで挿入すると、少し顔を歪め、俺はそのまま止まった。
「大丈夫か?」
「大丈夫、だと思う」
まるで五十メートル走でも走ってきた後の様に、息も絶え絶えな返答に不安を感じつつも、俺は少し腰を引いた。彼女の中は暖かくて、少しきつくて、心地よかった。
「ちょ、ちょっとやっぱダメかも」
俺は急いで引き抜き、君枝を見たけれど、すぐにトイレに吐きに行く、という感じではなさそうだった。
「気持ち悪くない?」
蒼っぽい光のせいで、顔色がよく分からない俺は、眼鏡を外した彼女の顔をまじまじと見た。