私に還る日
2 夢
暖野は電車を乗り換え、いつも降りる駅の二駅前で降りた。陽は完全に落ちてしまっている。
あれから一週間。時計屋にはその翌日には預けたのだが、修理にはこれくらいかかるだろうと言われていたからだ。
さっき、宏美と話していたときも、このことに気を取られていたのである。
駅前通りを折れると、昔ながらの商店街になる。駅に直結して大手のスーパーが出来てからはひどく寂しくなってしまったが、ここにはまだ人と人とのふれあいや温もりが残っていた。その商店街の中ほど、十字路の角のガラス戸を暖野は開けた。
「おじさん、いる?」
無数の時計が時を刻む音の充ちた店内には誰もいなかった。奥から漂ってくる香りが暖野の胃袋を刺激する。
「やあ、ノンちゃんか」
ここの店主である御崎が、まだ口を動かしながら出てきた。
「晩ご飯中に、ごめんなさい」
「いや、そんなことはいいんだけどね」
「出来てる?」
もちろん時計のことを訊いているのである。
「それがね……」
御崎は棚から小さな箱を取って、暖野の前に置いた。御崎の表情は、あまりよくないことを伝えようとしていることを物語っていた。
「駄目だったんですか……」
「うん……」
暖野の見るからに落胆した様子に、御崎は気まずそうに言った。「いろいろと手は尽くしたんだけど……」
暖野は、相変わらず停まったままの時計を手に取った。
「言い訳がましいかも知れないけど、それで動かないはずがないんだ。部品も錆びてないし、ゼンマイも伸びてない。歯車だって、ちゃんとしてる。この手のものにしちゃ、状態が極めていいというか、むしろ新品だと言ってもいいくらいなんだけど……」
御崎は暖野の手から時計を取ると、裏のカバーを外して見せた。内部の部品は、御崎の言ったようにきれいに磨かれていた。
「ここに、何か書いてあるんだけど」
御崎がカバーの裏を示す。
言われて見ると、そこには何やら文字らしきものが彫ってあった。
「これは……」
さすがに暖野も、時計の内部までは見ていなかったので、それを見るのは初めてだった。
「分からないね。たとえこれが英語だったとしても、読めはしないけど」
そこに書かれた文字は、今まで暖野が見たこともないようなものだった。
「誰かが冗談で彫ったのかな」
御崎は首を傾げて言った。
「さあ……」
暖野はそう答えるしかなかった。