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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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私に還る日

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 遅くなることは度々のことなので母も特に何も言わない。もちろん部活のためだと思ってのことだ。暖野はそうそう家を空ける性質でもなかった。元来がものぐさだと言った方がいいのだろうか。
 二階の自室に入り灯りを点けると、暖野は鞄から時計の包みを取り出して机の上に置いた。
 カーテンを引いてまず着替えを済ませ、椅子に座る。そうしてようやく包みを開けようと手を伸ばしかけた。
 そうだ、手を洗わなければ――
 暖野は思い立って、その手を引っ込めた。
 せっかくマスターがきれいに磨いてくれたのに、自分で手垢をつけてしまってはもったいない。暖野は階下へ降りて洗面所に向かった。今までにないほど丁寧に石鹸で手を洗い、水で爪の間までよく流してから急いで部屋へと戻った。
 階段を上がるとき、キッチンから「もうご飯だからね」という母の声が追いかけてきたが、彼女はそれに上の空で返事をした。
 あらためて机の前に陣取った暖野は、そっと包みに手をかけた。持ち上げて匂いを嗅いでみる。新しい本を買ったときも、まずページを開いて紙の匂いを嗅ぐのが彼女の癖だった。
 たいして上手いラッピングではないが、これでも一応は気を遣ってくれたのだろう、あのような店にはおよそ似つかわしくない包装紙でくるんである。まるで誰がこれを買うか最初から分かっていたかのようだ。それともアンティークショップといえども、高校生のお客がたまにはいるということなのだろうか。
 暖野はいったん持ち上げた包みを、そっと机に置いた。包装紙を破らないように、ゆっくりとテープをはがす。これも暖野の子供のときからの癖である。紙を破くともったいないような気がするからだ。それと、何か特別なものを買ったときの包み紙を取っておくというのも。
 解いた包装紙を脇へよけると、暖野はボール紙でできた箱を開けた。時計はさらにクッション代わりの古新聞の中、布にくるまれて入っている。暖野は布ごと時計を取り出し、手のひらの上でそれを開けた。
 上蓋を開けてみる。針はやはり、5時25分を指したままだ。
 明日にでも親戚の時計屋に預けて直してもらおうと、暖野は考えてみた。それと、この時計に合った鎖なんかがあれば言うことないんだけど……と。
 もちろん、そんなお金など今はない。小遣い前のなけなしの金をはたいてしまったからだ。
 暖野は時計を裏返してみた。
 これは、何で出来ているんだろう――。
 見たところは金のようだった。だが、まさか金の時計が3500円で買えるわけもない。ルクソールのマスターなら知っているかも知れない。アンティークショップなどやっているくらいだから、素材にもある程度の知識があるだろう。そうでなければ外国に買い付けになどいけるはずもない。
 黄銅だろうな、やっぱり……。
 暖野は思った。
 昔の金属製品には、色が金に似ていることから、黄銅がよく用いられていたりする。
 でも――。
 やはり、黄銅と金では放つ輝きが違う。これは、どう見ても金のようだった。
「まさか、ね……」
 わざと口に出して呟いてみる。
 そう、金であるはずがない。
 時計は彼女のそんな思いなどお構いなしに上品な光を反射していた。
作品名:私に還る日 作家名:泉絵師 遙夏