黒の光
少年は雨の中、夜の街を必死に走っていた。黒い外套に黒いフードを身にまとい、逆十字架を首から提げていた。行くあては無かったが、とにかく今は走らなければならない。少年の頭にはそれだけしかなかった。少年は誰も居ない路地裏を駆け抜けた。
誰もいない? いや、よく見ると路地裏から赤い目玉が密かに少年を見据えていた。それも一つではない。無数の赤い目玉が少年を追っていた。その姿はまさに闇に溶け込んでいた。不意に黒い塊が少年の前に飛び出してきた。黒い塊はもぞもぞと動いていたが、それが一体何なのか、生き物であるかすらよく分からなかった。ただ赤い目玉だけがジロリと少年を睨めつけている。少年は怯んだものの、首から提げた逆十字を引っ張り取ると、急に眩い光を放ち、逆十字が大きく伸び剣の形状となった。少年は剣で黒い塊に斬りかかった。黒い塊は剣が当たると、ぶわっと煙のように霧散した。少年は再び走り出した。しかし、路地裏から次々と黒い塊が飛び出してくる。少年が剣を振るう間もなく、黒い塊が少年に次々と覆いかぶさってくる。黒い塊はその中から牙や爪を隠し持っていたようで、少年の身体を切り刻んでいく。少年は力を振り絞り、彼らを必死に押しのけた。そして、夜の闇の中に必死に駆け抜けた。
少年はボロボロになりながらも辺りに朝日が差し込んでいる事に気が付いた。あの黒い塊ももう少年を追うことを諦めたかのように居なくなっていた。少年は必死で駆けていたため、自分が何処にいるのか分からなかったが、古びた建物の中に入ってきたようだった。いや、ここは何であるかは理解できた。
教会だ。中央のステンドグラスに朝日が差し込み、神々しい光を放っていた。少年は、ようやく自分があの闇の中から逃げ出してきたのだと実感できた。少年はここには誰もいないと思っていたが、神の子の像の前に誰かが居ることに気付いた。
子供? 少女のようだ。神の子の像に祈りを捧げている。光が差し込める中、祈りを捧げる少女は、少年にはあの聖母のようも見えた。その幻想的な光景に少年はしばし心を奪われた。少年が物音を立てた時、少女は少年に気付いた。少年は、こんなボロボロの姿の自分を見て、少女が不審がって逃げ出すのでは無いかと思った。しかし、少女は少年に近づき、微笑みかけた。少年は不思議に思った。しかし、今はとにかく助けが必要であった。少年は助けてくれ、と声を出そうとした。しかし、出てきた声は意外なものだった。
「にゃあ……」
少年は自分の姿が黒い猫に変わっている事に気付いた。
ここは何処にでもあるような街。貧しい者は虐げられ、富を持つ者だけがこの街を支配していた。そして、闇黒という正体不明の化物が夜の街を跋扈していた。人々は夜に外に出ることを恐れていた。
少女は貧しい家の子供であった。両親が病に倒れ、少女は生きていくために働くしかなかった。それでも、いつかは救われる事を信じ、毎日教会で祈りを捧げていた。
「あなたはだあれ?」
少女は黒猫を抱え上げた。首から逆さになった十字架を提げている。おそらく、どこかの飼い猫がここに迷い込んできたのだろう。しかし、猫は酷い傷を負っているようであった。あちこちから血が出て、見るからに痛々しい姿であった。
「大変……。飼い主さんには悪いけど、今は手当してあげなきゃ!」
少女は、その猫の手当をするため家へと持ち帰った。
簡単な手当を済ませると、少女は黒猫に暖かいミルクと食事を与えた。それは、少女の家にとっては重要な食料であったが、少女はそんな事は気にしなかった。
「よく食べるね。お腹が空いていたのかな」
黒猫は与えられた食事をガツガツと口に入れた。
「私の名前はヒカリ。あなたの名前は……、う~ん。分かんないね」
ヒカリは猫の全身を見た。黒い毛並みが美しく生え揃っていた。
「そうだ。黒いからクロちゃん! ちょっと安易すぎるかな」
黒猫は尻尾をピンと立てた。ヒカリはその黒猫が名前を気に入ってくれたと思い、クロと呼ぶことにした。ヒカリはクロの飼い主を探そうとしたが、それは難しいことであった。ヒカリが住むこの一帯は貧しい者達が住む場所であり、そんな者達が猫を飼っているはずはなかった。だから、この猫の飼い主はきっと富裕層だとは思ったのだが、ヒカリのような貧困層の者が富裕層に会うのは並大抵の事では実現しない。ヒカリは富裕層に会えるまで、とりあえずクロを自分の家に置いておくことにした。
それから、クロはヒカリの家に住み着いた。なぜかクロは外に一歩も出ようとしなかった。それはまるで、外を恐れているかのようであった。しかし、毎朝の教会へのお祈りにはクロは決まって付いて来た。ヒカリが祈りを捧げる中、クロはじっとヒカリを見つめていた。その瞳には、決して飼い猫のように人間に懐くわけでもなく、野良猫のように自由気ままに生きるわけでもなく、ただ何らかの強い意志のようなものが感じられた。
何日か経った後、ヒカリは街の異変に気が付いた。この貧困層の街に富裕層の者を多く見かけるようになった。そして、ある日、ヒカリの家に誰かが訪ねてきた。
「御免下さい。ちょっと宜しいでしょうか?」
ドアを開けると、富裕層と思われる身なりの大人の男が立っていた。しかし、真っ黒いスーツとサングラスを付けた姿に、ヒカリはどことなく不安を覚えた。
「黒い外套の10代の少年を見かけませんでしたか?」
ヒカリは無言でかぶりを振った。
「そうですか……」
その時、部屋の中で、クロが姿を現した。スーツの男が部屋を覗いた。
「あれはうちの猫です」
「ふむ。見たところ、貧乏な家なのに飼い猫とは意外ですね」
「それが何なんですか。用が済んだら、もう帰って頂けませんか」
ヒカリは少し苛立ったように言った。黒いスーツの男は何か気になることがあるようで、猫を見せて欲しいと言ってきた。ヒカリは渋々、クロを抱いて来た。すると、スーツの男は猫の首から提げた逆十字架に気付いた。スーツの男が逆十字架に手を伸ばした瞬間、クロは男の手をガブリと噛み、ヒカリの腕の中からするりと抜け、家の外に出て行ってしまった。男は噛まれた手を押さえながら、猫の後を追っていった。ヒカリは唖然としていたが、クロの事が気になり、後を追って街を探してみたが、見つけることが出来なかった。
その後、あの黒スーツの男が何度かヒカリの家を訪ねてきた。
「だから、私は知りません」
「ここに帰ってきているという事は無いのですか? だから、あの猫は私の飼い猫なのですよ。知っていることがあったら教えてくださいよ」
「飼い猫なら飼い主を噛むなんてことあるんですか? クロは少なくともあなたのことを嫌っていたように見えましたが?」
「生意気な小娘が……」
黒いスーツの男は、それまでの穏やかな口調が本性を現したように一変した。
「素直になった方が良いぞ。そうしなければ、痛い目に合うことになる」
男は帰り際に捨て台詞を吐いて行った。
ヒカリは、男の言葉も気になっていたが、それ以上にクロの安否を気にしていた。クロがあの黒スーツの男に捕まってしまったら、きっとひどいことをされてしまう。そんな予感がしていた。
誰もいない? いや、よく見ると路地裏から赤い目玉が密かに少年を見据えていた。それも一つではない。無数の赤い目玉が少年を追っていた。その姿はまさに闇に溶け込んでいた。不意に黒い塊が少年の前に飛び出してきた。黒い塊はもぞもぞと動いていたが、それが一体何なのか、生き物であるかすらよく分からなかった。ただ赤い目玉だけがジロリと少年を睨めつけている。少年は怯んだものの、首から提げた逆十字を引っ張り取ると、急に眩い光を放ち、逆十字が大きく伸び剣の形状となった。少年は剣で黒い塊に斬りかかった。黒い塊は剣が当たると、ぶわっと煙のように霧散した。少年は再び走り出した。しかし、路地裏から次々と黒い塊が飛び出してくる。少年が剣を振るう間もなく、黒い塊が少年に次々と覆いかぶさってくる。黒い塊はその中から牙や爪を隠し持っていたようで、少年の身体を切り刻んでいく。少年は力を振り絞り、彼らを必死に押しのけた。そして、夜の闇の中に必死に駆け抜けた。
少年はボロボロになりながらも辺りに朝日が差し込んでいる事に気が付いた。あの黒い塊ももう少年を追うことを諦めたかのように居なくなっていた。少年は必死で駆けていたため、自分が何処にいるのか分からなかったが、古びた建物の中に入ってきたようだった。いや、ここは何であるかは理解できた。
教会だ。中央のステンドグラスに朝日が差し込み、神々しい光を放っていた。少年は、ようやく自分があの闇の中から逃げ出してきたのだと実感できた。少年はここには誰もいないと思っていたが、神の子の像の前に誰かが居ることに気付いた。
子供? 少女のようだ。神の子の像に祈りを捧げている。光が差し込める中、祈りを捧げる少女は、少年にはあの聖母のようも見えた。その幻想的な光景に少年はしばし心を奪われた。少年が物音を立てた時、少女は少年に気付いた。少年は、こんなボロボロの姿の自分を見て、少女が不審がって逃げ出すのでは無いかと思った。しかし、少女は少年に近づき、微笑みかけた。少年は不思議に思った。しかし、今はとにかく助けが必要であった。少年は助けてくれ、と声を出そうとした。しかし、出てきた声は意外なものだった。
「にゃあ……」
少年は自分の姿が黒い猫に変わっている事に気付いた。
ここは何処にでもあるような街。貧しい者は虐げられ、富を持つ者だけがこの街を支配していた。そして、闇黒という正体不明の化物が夜の街を跋扈していた。人々は夜に外に出ることを恐れていた。
少女は貧しい家の子供であった。両親が病に倒れ、少女は生きていくために働くしかなかった。それでも、いつかは救われる事を信じ、毎日教会で祈りを捧げていた。
「あなたはだあれ?」
少女は黒猫を抱え上げた。首から逆さになった十字架を提げている。おそらく、どこかの飼い猫がここに迷い込んできたのだろう。しかし、猫は酷い傷を負っているようであった。あちこちから血が出て、見るからに痛々しい姿であった。
「大変……。飼い主さんには悪いけど、今は手当してあげなきゃ!」
少女は、その猫の手当をするため家へと持ち帰った。
簡単な手当を済ませると、少女は黒猫に暖かいミルクと食事を与えた。それは、少女の家にとっては重要な食料であったが、少女はそんな事は気にしなかった。
「よく食べるね。お腹が空いていたのかな」
黒猫は与えられた食事をガツガツと口に入れた。
「私の名前はヒカリ。あなたの名前は……、う~ん。分かんないね」
ヒカリは猫の全身を見た。黒い毛並みが美しく生え揃っていた。
「そうだ。黒いからクロちゃん! ちょっと安易すぎるかな」
黒猫は尻尾をピンと立てた。ヒカリはその黒猫が名前を気に入ってくれたと思い、クロと呼ぶことにした。ヒカリはクロの飼い主を探そうとしたが、それは難しいことであった。ヒカリが住むこの一帯は貧しい者達が住む場所であり、そんな者達が猫を飼っているはずはなかった。だから、この猫の飼い主はきっと富裕層だとは思ったのだが、ヒカリのような貧困層の者が富裕層に会うのは並大抵の事では実現しない。ヒカリは富裕層に会えるまで、とりあえずクロを自分の家に置いておくことにした。
それから、クロはヒカリの家に住み着いた。なぜかクロは外に一歩も出ようとしなかった。それはまるで、外を恐れているかのようであった。しかし、毎朝の教会へのお祈りにはクロは決まって付いて来た。ヒカリが祈りを捧げる中、クロはじっとヒカリを見つめていた。その瞳には、決して飼い猫のように人間に懐くわけでもなく、野良猫のように自由気ままに生きるわけでもなく、ただ何らかの強い意志のようなものが感じられた。
何日か経った後、ヒカリは街の異変に気が付いた。この貧困層の街に富裕層の者を多く見かけるようになった。そして、ある日、ヒカリの家に誰かが訪ねてきた。
「御免下さい。ちょっと宜しいでしょうか?」
ドアを開けると、富裕層と思われる身なりの大人の男が立っていた。しかし、真っ黒いスーツとサングラスを付けた姿に、ヒカリはどことなく不安を覚えた。
「黒い外套の10代の少年を見かけませんでしたか?」
ヒカリは無言でかぶりを振った。
「そうですか……」
その時、部屋の中で、クロが姿を現した。スーツの男が部屋を覗いた。
「あれはうちの猫です」
「ふむ。見たところ、貧乏な家なのに飼い猫とは意外ですね」
「それが何なんですか。用が済んだら、もう帰って頂けませんか」
ヒカリは少し苛立ったように言った。黒いスーツの男は何か気になることがあるようで、猫を見せて欲しいと言ってきた。ヒカリは渋々、クロを抱いて来た。すると、スーツの男は猫の首から提げた逆十字架に気付いた。スーツの男が逆十字架に手を伸ばした瞬間、クロは男の手をガブリと噛み、ヒカリの腕の中からするりと抜け、家の外に出て行ってしまった。男は噛まれた手を押さえながら、猫の後を追っていった。ヒカリは唖然としていたが、クロの事が気になり、後を追って街を探してみたが、見つけることが出来なかった。
その後、あの黒スーツの男が何度かヒカリの家を訪ねてきた。
「だから、私は知りません」
「ここに帰ってきているという事は無いのですか? だから、あの猫は私の飼い猫なのですよ。知っていることがあったら教えてくださいよ」
「飼い猫なら飼い主を噛むなんてことあるんですか? クロは少なくともあなたのことを嫌っていたように見えましたが?」
「生意気な小娘が……」
黒いスーツの男は、それまでの穏やかな口調が本性を現したように一変した。
「素直になった方が良いぞ。そうしなければ、痛い目に合うことになる」
男は帰り際に捨て台詞を吐いて行った。
ヒカリは、男の言葉も気になっていたが、それ以上にクロの安否を気にしていた。クロがあの黒スーツの男に捕まってしまったら、きっとひどいことをされてしまう。そんな予感がしていた。