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21. 暗雲


 三月初め――。社内奥にあるカウンターテーブル前で、出勤したての鷹緒は立ってコーヒーを飲みながら雑誌を眺めていた。今日は少しばかり時間に余裕がある。
「鷹緒サン。ちょっとお話が……」
 改まってそう言ったのは、副社長の理恵である。長身の上に今日はハイヒールまで履いており、その目線はすでに鷹緒と同じくらいだ。
 同目線の理恵に、鷹緒は理恵の足元を見てから、その顔を見つめた。
「今日はいやにデカいな」
「可愛いハイヒールでしょ。思わず買っちゃった」
「そういうのはよくわからん」
「相変わらずねえ」
 自慢げに靴を見せる理恵に眉を顰めると、鷹緒はカウンターテーブルに背を向けるように片肘をつく。
「で、なに? 改まって」
 続けて言った鷹緒に、理恵は手を合わせた。
「お願いがあるんだけど……」
「だからなんだよ?」
「恵美の写真、撮ってくれない?」
 予想外の言葉に、鷹緒は首を傾げる。
「いいけど……どういうこと?」
「正月に、久しぶりに実家に帰ったって言ったでしょう? それを機に、恵美はお父さんと電話で話すようになったんだけど、昨日お父さんから急に着物が送られてきて……」
「へえ?」
「正月に姪っ子たちが着物着てて、恵美が欲しがったのよ。で、もうすぐひなまつりだからって送ってきたの。それで恵美が着物着てる写真撮ってお父さんにあげたいんだけど……だったら絶対、鷹緒に撮ってもらわなきゃ嫌だって、恵美が……」
 それを聞いて、鷹緒は軽く顔を掻いた。
「そんなことかよ。べつに改まって言うことじゃなくない?」
「それが……お父さんと一緒に撮ってほしいんだけど……」
 そういうことかと、鷹緒は溜息をつく。
「はあ……なるほどね」
 面倒事を頼まれたと思い、理恵に背を向けて、鷹緒はカウンターテーブルに頬杖をつきながら考える。
 最初に理恵の父親と会ったのは遥か昔の十代のことであり、すでに理恵自身が勘当同然に扱われていたため、結婚の許しを得に出向いた時も、ほとんど門前払いだったという苦い記憶しかない。その後も表立っての交流はないが、縺れた夫婦の立場上気が乗らないのは確かである。
「やっぱり……気が乗らないよね? 大丈夫。恵美をもう一回説得してみる」
 鷹緒は深く溜息をつくと、振り向いて理恵を見た。
「いいよ」
「え、本当に?」
「だいたい、そんな何度も会ったわけじゃなし、俺の顔なんて覚えてないんじゃねえの?」
「あ……それはないわ。去年、鷹緒が出たテレビもたまたま見てたみたいで、この間帰った時もその話が出たくらいだし……」
 それを聞いて苦笑しながら、鷹緒は何度も頷いた。
「わかったわかった。どっちでもいいよ。仕事として考えればどうってことない」
「今度、美味しい店で何でも奢るわ」
「じゃあフルコースな」
「わかった……貯金しておく」
 鷹緒は吹き出すように笑って、自分のスケジュール表を開く。
「で、いつだよ?」
「それが明日とかどうかな?」
「明日? 急だな」
「ちょうどひなまつりだし、日曜だし。着物を着る機会なんて今しかないとか言っちゃって……ただ孫に会いたいだけだと思うけど」
「よかったじゃん。少しはわだかまり取れたなら」
 理恵は静かに笑って頷く。いろいろと考える部分はあるが、自分と境遇が似ているような鷹緒よりは、実の親と和解しているのは事実だと思った。
「うん……」
「夕方以降なら空いてるから、いつでもいいよ」
「じゃあ、地下スタジオも空く六時頃に……ちゃちゃっと撮ってくれればいいから」
「簡単に言うな、オイ……」
「ごめんね。じゃあ、お願いね」
 去っていく理恵を尻目に、鷹緒は苦笑してコーヒーに口をつける。
 理恵が自分に謝ることや願い事をするなど珍しいと思うと、鷹緒には少し嬉しい気持ちもあった。また理恵の父親に会わねばならないというのは少し気が重くも感じたが、それほど近しい間柄でもなかったため、あまり気にしていない自分もいる。

 その夜。行きつけのイタリアンレストランで、鷹緒と沙織は食事をしていた。
「明日は仕事入ったから、会えないかも」
 鷹緒の言葉に、沙織はそっと頷く。
「そう……遅くなるの?」
「どうかな……夕方ちょっと撮影入っただけだけど、早く終わるならやっておきたい仕事もあるし、どうなるかわからないから」
「そっか。じゃあ遅くなりそうなら、差し入れしに行ってもいい?」
「ああ。たぶん明日は一日、地下スタにいるんじゃないかな……とにかく空いたら連絡するよ」
 二人はそんな会話をしながら、食事を楽しんでいた。



 次の日の夕方。地下スタジオで撮影のためのセッティングしている鷹緒のもとに、理恵が恵美と父親を連れてやってきた。
「こんばんは。よろしくお願いします」
 理恵の言葉に振り向いて、鷹緒はその父親にお辞儀をする。
「こんばんは。お久しぶりです」
 営業スマイルでそう言った鷹緒に、理恵の父親も軽く微笑む。
「久しぶりです……今日はよろしく」
「こちらこそ」
「パパ」
 すると、恵美が鷹緒に駆け寄った。家族だけという中で、恵美も気持ちが和らいでいる様子だ。
「おつかれ。バレンタインはチョコありがとう。初めて作ったんだって?」
「うん、頑張ったよ。美味しかった?」
「ああ、美味しかった。上手に出来たな」
「よかった。ホワイトデーには、パパが何か作ってね」
「手作りで?」
「うん!」
 そう言われて、鷹緒は苦い顔をする。
「……じゃあ一緒に作ろうよ」
「ええー?」
「俺一人じゃ無理」
「じゃあママと三人で作る?」
「それはそれで問題だな……やっぱり手作りは諦めて、食事にしない?」
「駄目ー」
 妥協しない恵美にがっくりと肩を落としながらも、鷹緒は頷いた。
「……わかった。じゃあ考えておく」
「絶対だよ。あと、沙織ちゃんが作っても駄目だからね」
「う……はい、わかりました」
 恵美に無茶な約束をさせられつつ、鷹緒は理恵に振り向く。
「奥の部屋暖めておいたから、着替えるならそっちでどうぞ」
 その言葉に頷き、理恵は恵美と父親を連れて、奥にある楽屋へと向かっていった。
 一人になった鷹緒は、機材の準備を続ける。しばらくすると、理恵の父親だけが出てきたので、鷹緒は会釈した。
「何年ぶりかな……」
 会話の糸口を探すように、理恵の父親がそう切り出す。鷹緒にとっては別れた妻の父親だが、面識はほとんどない。
「十年とは言いませんけど……七、八年ぶりくらいですかね。別れた直後でしたよね?」
「もうそんなに経つかね」
「ええ……でも、彼女は結婚の挨拶をしに行った一度きりだと思ってますから、そのままにしておいてください」
 苦笑する鷹緒に、理恵の父親も苦笑する。
「同じ職場なんだって? やりにくいだろう」
「ええ、とても。でもまあ……もう慣れましたよ」
 そう言いながら、鷹緒はお茶を入れて理恵の父親に差し出した。
 どこか打ち解けている様子の二人は、理恵が実家を出て以降では、理恵よりも会っているからである。それは勘当したといっても理恵が心配だった父親が、鷹緒を通して何度か様子をうかがいに来たことにあった。しかしそれを理恵は知らない。
「そうかい。まあ、うまくやってるならいいんだが」
作品名:FLASH BACK 作家名:あいる.華音