宵待杜
薄暗い室内に、ぼんやりとした洋燈の明かりが点る。
故意に必要最小限の光量に落としてある部屋は、夜に相応しい闇を残している。
かちゃり、と、古びた木製のカウンターの上でカップが鳴った。続いて音がして、壁の半分を埋める棚から移動してきた、まったく種類も違えば統一感もないカップが四つ並ぶ。
彼女は椅子の上に乗って、空っぽのカップに、慎重な手つきで保温のためのお湯を注ぐ。
小さな少女の手には少し余るサイズのポットを、両手で抱えて。
「蜜月(みつげつ)、変わろうか?」
カウンターの奥から、柔らかな男性の声が助け船を出した。
彼は、この店の店主(マスター)ではあるが、至って留守が多い。開店時間の夜に出歩くのが趣味という彼のおかげで、いつのまにやら常連となり、常駐している蜜月が留守番をすることも多かったりする。
蜜月は、そのふわふわとした蜂蜜色の髪の毛を振って、にっこりと笑う。
「ううん、ありがと、マスター。大丈夫。私が淹れる」
「野暮なことは言わないの。ね、蜜月」
女性の声が鈴を鳴らすようにからかいを投げる。彼女も店主に厳しい言葉を投げつつも、外出の際は彼にいつも寄り添うように出て行くのではあるが。
「暁(あかつき)さん、相変わらず厳しいね」
くすくすと蜜月が笑った。彼女は、味方してあげたのよ、と、暁という名にふさわしく夜明けの朝日を映したような瞳を片方閉じた。
「僕が悪かったよ。じゃあ大人しく待っているから」
一刀両断された店主は、苦笑しながら、片眼鏡の奥の視線を、膝上の本へと落とす。めくるたびに、ぱらり、と、古びたページが乾いた音を立てた。
蜜月は、四つのカップにお湯を注いで、空っぽにしたポットの蓋を開ける。僅かに残った湯気がふわりと立ち上った。
ここにいる人数よりも多い、カップの数。
最後の一人のために、蜜月は薫り高い摘み立てのダージリンの茶葉を銀のティースプーンで掬って、しゃらりとポットに落とす。
ここは、宵待杜。そう言う名前の店だ。
喫茶店、だと店主は言う。実際は、美味しい茶も出せば不思議な雑貨も置いてある。この雑多さは彼をここに置いたオーナーの趣味だというのが店主の言い分だ。
しかし、現状、第三者から見てどう見えているのかは、なにぶん客が来るということも少ないので、あまり本当のところはわからない。
ここに来る客は、「迷い込んで」いる者ばかりなのだ。
――夢と現の狭間にあるこの店は、夜にだけ開いている。
どこにあるのか、どうやって来るのか、それは、この店にいる当人たちにもあずかり知らぬこと。一度来た客が二度と来られずとも、彼らにとっては家同然のこの店は、自由に行き来できるものなのだから。
故意に必要最小限の光量に落としてある部屋は、夜に相応しい闇を残している。
かちゃり、と、古びた木製のカウンターの上でカップが鳴った。続いて音がして、壁の半分を埋める棚から移動してきた、まったく種類も違えば統一感もないカップが四つ並ぶ。
彼女は椅子の上に乗って、空っぽのカップに、慎重な手つきで保温のためのお湯を注ぐ。
小さな少女の手には少し余るサイズのポットを、両手で抱えて。
「蜜月(みつげつ)、変わろうか?」
カウンターの奥から、柔らかな男性の声が助け船を出した。
彼は、この店の店主(マスター)ではあるが、至って留守が多い。開店時間の夜に出歩くのが趣味という彼のおかげで、いつのまにやら常連となり、常駐している蜜月が留守番をすることも多かったりする。
蜜月は、そのふわふわとした蜂蜜色の髪の毛を振って、にっこりと笑う。
「ううん、ありがと、マスター。大丈夫。私が淹れる」
「野暮なことは言わないの。ね、蜜月」
女性の声が鈴を鳴らすようにからかいを投げる。彼女も店主に厳しい言葉を投げつつも、外出の際は彼にいつも寄り添うように出て行くのではあるが。
「暁(あかつき)さん、相変わらず厳しいね」
くすくすと蜜月が笑った。彼女は、味方してあげたのよ、と、暁という名にふさわしく夜明けの朝日を映したような瞳を片方閉じた。
「僕が悪かったよ。じゃあ大人しく待っているから」
一刀両断された店主は、苦笑しながら、片眼鏡の奥の視線を、膝上の本へと落とす。めくるたびに、ぱらり、と、古びたページが乾いた音を立てた。
蜜月は、四つのカップにお湯を注いで、空っぽにしたポットの蓋を開ける。僅かに残った湯気がふわりと立ち上った。
ここにいる人数よりも多い、カップの数。
最後の一人のために、蜜月は薫り高い摘み立てのダージリンの茶葉を銀のティースプーンで掬って、しゃらりとポットに落とす。
ここは、宵待杜。そう言う名前の店だ。
喫茶店、だと店主は言う。実際は、美味しい茶も出せば不思議な雑貨も置いてある。この雑多さは彼をここに置いたオーナーの趣味だというのが店主の言い分だ。
しかし、現状、第三者から見てどう見えているのかは、なにぶん客が来るということも少ないので、あまり本当のところはわからない。
ここに来る客は、「迷い込んで」いる者ばかりなのだ。
――夢と現の狭間にあるこの店は、夜にだけ開いている。
どこにあるのか、どうやって来るのか、それは、この店にいる当人たちにもあずかり知らぬこと。一度来た客が二度と来られずとも、彼らにとっては家同然のこの店は、自由に行き来できるものなのだから。