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超短編小説  108物語集(継続中)

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「まだ見つからぬか?」
 光秀は溝尾茂朝(みぞおしげとも)にあらためて問うた。されども答えは否。
 その代わりに、中国攻めの羽柴秀吉が毛利と講和を結び、主君の仇討ちの旗を掲げ、すでに姫路城に入城したとか。それは、この謀反を予想し、段取りをしてきたかのような素早さの中国大返し。
 さらに堺で遊ぶ徳川家康は闇に紛れ、三河へと出奔したとか。
 これらの情報を得た光秀、「うーん」と一言唸り、局面は変わったと実感する。

 しかれども、この後の光秀にはゆめゆめ考えられぬ悲運な展開が待っていた。まず5日後の、雨が振りしきる6月13日の山崎の戦いで秀吉に破れる。そして坂本城へと退散中、小栗栖(おぐるす)で土民の竹槍により討たれてしまうのだ。

 なぜこんなことに?
 ここで少し時計の針を戻してみよう。

 信長の野望は七徳の武をもって、つまり天下布武による天下統一。そのためには朝廷を排除し、都を武力で抑え込み、信長自身が国王になること。しかし国家天下のため、光秀はこの信長の魂胆を受け容れることができなかった。
 そんな中、光秀は5月15日から3日間安土城を訪問する家康の世話役を仰せつかった。だがその2日目に、毛利を水攻め中の秀吉を援護せよと命を受けた。この不意な出陣、これは大層なことだ。勘ぐれば、これはまさに親方様からの虐め。

 それでも光秀は下知に従い、その準備のため5月17日に坂本城に入り、5月26日には亀山城へと移った。
 しかしだ、この17日から26日、ここに10日間の空白がある。光秀は一体どこで何をしていたのだろうか?
 答えは、天下布武を憂慮する正親町(おうぎまち)天皇と密会し、信長打倒を謀議していたのだ。

 そして5月28日、光秀は愛宕山(あたごやま)に登り、連歌会で反逆の決意表明をした。
「時は今 雨が下(した)しる 五月哉」と。
 この歌の解釈は「土岐氏出身の光秀が天下を治める五月かな」。

 こうして6月1日、旗印は水色桔梗、ついに明智光秀が動いた。表向きは秀吉援護のための出陣。しかし途中、「敵は本能寺にあり」と方向を変え、1万3千の兵を率いて老ノ坂を越え、桂川を渡った。