超短編小説 108物語集(継続中)
茶碗を手に取ってみると、確かに漆黒の地にくすんだ斑文がある。決して美しいとは言えない。しかし見る角度を変えると、微かな輝きがある。
「祐輔、その茶碗で、一服の茶を点ててあげる」
母が涙ながらに言った。逆らう理由はなく、私は「うん」と答えた。
母は茶道の免状を持っている。喪服のままでも、姿勢も、茶筅で撹拌する手付きも父とは違う。茶を点て、私の前へと茶碗を置く。そして一礼し、凜然と。
「男の絶望を、飲み干してやってください」
いつも優しく微笑む母、これほどまでに毅然とした面持ちの母を見たことがない。息子である以上に、父と同じ一人の男として対峙しなければならない。私は深く一礼し、茶碗を持ち上げた。そして父が、お前にはこの茶碗での一気飲みが似合ってるようだと評した通り、ぐいっと呷った。
底を見ると、斑文が見て取れる。それらはまさしく宇宙のくすしき光のように輝いている。
人生という長い旅路、私も絶望の淵に落ちることがあるだろう。その時は、この茶碗で一服の茶をたしなめ! 父はそう伝えたかったのかも知れない。
作品名:超短編小説 108物語集(継続中) 作家名:鮎風 遊