天使は誰も救わない
ホクロなんて、体のそこら中にありそうなものだけど、いや待て。何で。
「天使の印、って言ったよね?」
「ああ、神様の印なわけねーな」
「何で」
「なかなかお忙しいお方ですから」
「どっちにしても……それがこのホクロ!?」
もうどこからツッコんでいいのか。あ、もしかして、このやりとりというか状況も夢なんじゃないだろうか。そうか夢か。
「イタタ」
「何してんだ、夢じゃねーよ」
ほっぺをつねっても痛かった。テンは呆れた様子で私の左手の中央部分にあるホクロに触れた。暖かい。人間の肌じゃなく、春風のような指の感触。こいつ、人間じゃないんだ。 変なところで現実を飲み込んでいると、テンがホクロをつついた。
「お前昔、天使助けたな?」
さらりと聞かれて数秒。
「イヤイヤイヤイヤそんな大それたこと」
ぶんぶん首を振る。
「その時の印なんだ、その天使様の。『助けてくれたお礼に、私が直々に天国へお送りしますよ』っていう」
「……でも何でホクロ?」
「その天使様に聞け」
天使の印がホクロなのは天界ルールじゃなく、天使個人の趣味らしい。そこまで飲み込んで私はぼやく。
「どうせホクロなら泣きボクロとかさ……」
「泣きボクロなんて活かせる性格か?」
それに顔だとレーザーで消される可能性があるんだろと、平々凡々な顔を見ながら言われた。レーザーで消される天使の印っていうのもどうなんだろう。何だかさっきから全然神秘的じゃない。単語的には格好良いのに。
「で、オレはその天使様をどこで助けたのか、お前の記憶を産まれた時代から粛々と辿っていたんだが」
「……」
「何だよ」
「粛々と?」
「粛々と」
「お風呂入ってるところ見てたっていうか、一緒に入ってたっていうか……」
「ウン、そこでお前が目覚めたというわけだ」
信じらんない、このスケベ天使。見るだけじゃ飽き足らず記憶に入り込むとかどんな料簡だ。私は天使の印なるホクロのついた左腕を数秒眺め、やれやれと袖を元に戻した。
「というわけで岡田沙矢子」
「沙矢子でいいよ」
「沙矢子。目が覚めたんならその天使様、お前が探せ」
当然のように言い切るテンに私は目を剥く。
「現場行って本人に会ったほうが物事早いだろ。時代と大体の場所はわかってるから」
「そんな、天使なんて助けた覚え……!」
「なくてもあるんだ」
有無を言わさずテンは私を見下ろす。テンのほうがちょっと背は高い。
「天使は誰も救わないが」
何か含んだような言い回しに眉根を寄せる。
「優しいからなオレは。ついていくから安心しろ」
袖のホックを留めた左腕を取る、春の風。
「行くぞ」
ばさりと翼が広がり、後光に私は目を閉じた。それは希望のない、死への旅の始まり。