深海の熱帯魚
5 寿久
いつも通り俺ら三人の方が先に講義を終え、三人バラバラに好きな事をやっていると、カタンとドアが開く音がして、主は分かっていたのでゆっくり顔を上げた。
いつも通り、君枝ちゃんが入室してきた。が、その後ろには聞き慣れない靴音と見慣れない美女が......美女だ!俺が瞬時に立ち上がると同時に、座っていたパイプ椅子が派手にぶっ倒れた。皆の視線が痛いが気にしない。
俺は倒れたパイプ椅子の座面をパンパンと払うと「さあ、どうぞ」と勧めた。塁と智樹は冷ややかな視線を俺に送り続けた。そう、俺が美女に滅法弱い事をこいつらは知っているのだ。
俺も君枝ちゃんも新たなパイプ椅子を用意して、そこに腰掛けると、いつも通りに落書きをしていた塁が手を休めずに「勧誘成功?」と君枝ちゃんに尋ねた。
「心理応用学科の講義で一緒になった......あれ、名前はまだ聞いてないや」
君枝ちゃんは顔を真っ赤にして片方の髪を耳に掛けている。彼女は彼女で純粋な少女らしさがあって可愛らしいが、俺の目は彼女の隣のパイプ椅子に座る美女に釘付けだ。
「志田拓美です。文学部で、長野出身です」
俺は話を広げようと「長野」という言葉を拾った。
「へぇー、長野!じゃあリンゴ農園の娘さんとか?」
彼女は美しい眼を細めて「違います」と言うので俺は攻め続けた。
「分かった!野沢菜農家の娘さんとか?」
さっきより鋭い眼光で「違います。普通の家柄です」と答えると、俺から目線を外してしまった。
「至、くどいぞ」
低い声で智樹に言われ、彼女へぶつけたい百の質問は喉で通行禁止になった。俺に許されたのは自己紹介だけだったので、そこに総てをかけた。
「寿至、高等部卒、理学部。好きなタイプはロングヘアーでスラリとした......」
「もういいよ、至」
話の腰を塁に折られてしまった。拓美ちゃんが苦笑しているじゃないか!
先日したのと同じように自己紹介をし、拓美ちゃんは皆の顔を一応覚えてくれたようだった。
「思い出作りって聞きましたけど、どんな事をする予定なんですか?」
塁はさっきまでいたずら描きをしていた紙で紙飛行機を折り、それを智樹に目掛けて飛ばし見事に首に命中。
「いでっ!」と智樹が声を上げると塁は不敵な笑みを浮かべているし、智樹は仕返しをしようと先端がひしゃげたその紙飛行機を塁に向けて片目をつむっている。
「こんな事をするサークルじゃないんだよ。例えば季節の行事をやってみたり、誕生日を祝ってみたり、普通のサークルでやるような事を少人数で、一年生だけで、四年掛けて思い出にして行きたいなあと思って立ち上げたんだ」
俺にしては良い事言った。思いつきでもこういう事が言えるから、野球部の主将を務めていられたんだな。
「ふぅん」
拓美ちゃんは満足げな笑みを浮かべて、細い腕を胸の前で組み、膝の上にある鞄に乗せた。美しい鎖骨が顔を出す。
「面白そう。サークルって上下関係が面倒だと思ってたけど、ここなら、イイかな」
俺に向かって、俺に向かって、俺に向かって!顔を少し傾けて笑ったその顔は、女神だった。俺は大学に入って初めて、一目惚れをした。