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深海の熱帯魚

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24 太田塁




 本当は部室でクリスマス会をやる予定だった。だけど考えてみたらお酒抜きだ。全然楽しくない。
 結局、休日夜間の部室使用許可を取り下げてもらって、智樹の家に集まる事にした。勿論智樹は「またかよ」とぼやいていた。今回は車がないので、男衆が飲み物を持ち込み、女の子は宅配の手配をした。
 各々が好きな酒を手に乾杯をした後、話は拓美ちゃんと森先生の話題になった。
「結局どうなったの」
 プレゼントを渡せとけしかけたのは俺だったから、俺から話を振った。
「どうなったと思う?」
 思わせぶりな笑顔で拓美ちゃんが言うので、至の血の気がさっと引くのが目に見えて分かった。
 智樹が「え、もしかして?付き合うの?」とフライングをし、「マジでかー」と至が顔を覆った。思いがけない展開だった。

 俺はあの先生が、左手の薬指に指輪をしているのを見た事があった。確か、俺だけ講義が長引いて、後から部室に向かう時、ちょうど森先生が帰るところだった。
 スーツに黒いコートを着て、左腕につけていた時計で時間を確認しているところを通りかかったので間違いない。
 まぁ、既婚だと決まった訳ではない。恋人との間で一緒に買ったプレゼントで、その恋人とは別れたのかも知れない。だけど、確か一週間位前の、ごく最近の事だ。

「俺に礼を言いなさい」
 俺はいつもの調子で言うと「じゃぁ私が拓美ちゃんに代わってお礼をする」と矢部君が会話を遮った。
「皆さんにプレゼントがありまーす」
 百貨店の紙袋から、三つの包みを取り出した。四角い同じ形状の二つは、至と智樹の手に渡り、一つだけ歪な形をした物を矢部君から渡された。
「開けて良いの?」
 涙目の至が拓美ちゃんから手渡された包みに手を掛けていた。
「どうぞどうぞ」
 俺も歪な包みを丁寧に開けた。「あ」
「塁はちょっとみんなと違うんだけど、授業で使える?」
 矢部君が首を傾げて俺に訊ねた。ステッドラーの鉛筆だ。
「使えねぇよ、バカ」
 俺は吐き捨てるように言った。彼女は驚いて目を見開いている。しかも涙ぐんでいる。言い過ぎた。
「勿体なくて使えねぇって言ってんの」
 その顔が一気に笑顔に変わった。眼鏡の奥の目がすっと細くなる。
 至と智樹はそれぞれ色違いのペンを貰ったようで、二人であれやこれやと喋っている。
「なぁ、この鉛筆、矢部君が選んだの?」
 俺は包みから一本を取り出し、矢部君に向けた。
「うん、テレビでやってたから。塁だったらこういうのの良さが分かるのかなって」
 テレビを見ていて俺の事を思い出してくれる、そんな気持ちが嬉しかった。俺はふんふんと頷いて鉛筆を仕舞い、彼女を手招きして呼び寄せた。
「何?」
 怪訝な顔で膝立ちのままで近づいて来た、俺より少し小さい彼女の頭を撫でた。数回。彼女は初めこそビクンとしたが、数回で慣れた。
 それをちらりと見ていた智樹の視線が痛かった。俺が彼女の頭を撫でる寸前にこちらに向けられたその視線は射すようだった。
 俺の事をこうやって大切に考えてくれる彼女が好きだ。だけど彼女の事を好きな智樹も好きだ。俺はどうしたらいい。苦しい。

「俺も拓美ちゃんにプレゼント買って来たのになぁ。先生とできちゃったんだもんなぁ」
 寂しそうに言う至に俺は「あげればいいじゃん」と無責任に言ったが、拓美ちゃんも「ちょうだいちょうだい」と楽しそうに言うので、至も「そう?」なんつって鞄から包みを取り出した。
「大きさから言って、それマフラーだろ」
 推測の域を出なかったが、俺は一応言ってみた。至の顔色が変わった。
「バッカ、何で言うんだよ!」
 楽しそうに拓美ちゃんは包みを開け「可愛いマフラーだねぇ、ありがとう」と言ってマフラーを首に巻いて見せた。
 至は自分があげたプレゼントを拓美ちゃんが身に着けてくれた事でかなり満足度が上がったようで、いつもの至に戻っていた。「拓美ちゃんは何をしたって似合うからね!」と持ち上げまくっていた。
 それでも拓美ちゃんは森先生の物になったのに。俺は冷静にそう考えていた。事実は覆らないのだ。森先生と拓美ちゃんの関係。森先生の薬指の指輪。

 酒も食べ物も進んできた。例の如く、拓美ちゃんと至は二人酒が始まった。皆、顔が赤くなってきたので、俺は勝手にリモコンを操作してエアコンの設定温度を下げた。が、一人だけ顔が赤くない奴がいた。智樹だ。
 貰ったペンをクルクル回しながら、発泡酒を呑んでいる。俺の隣には矢部君が座り、対面には智樹が座っている。
 先手必勝なのは分かっている。だが何故か今回だけは、なかなか先に進めなかった。俺がやっている事は、智樹を苦しめているだけなんじゃないか。そもそも俺は、智樹も矢部君も、なんて欲張った事をしているんじゃないだろうか。矢部君の為に買ったプレゼントを出すタイミングを逸っしそうだ。

「矢部君、ちょっと」
 俺は何かを振り払うように腹に力を込めて彼女を呼び、智樹に背を向けた。智樹はきっと、分かっている。俺が、矢部君にプレゼントをあげる事を。
 矢部君には「大きな声を出すな」と脅迫をし「お前さんの手袋のボロさ加減に辟易したので、これを進ぜよう」と言ってトリコロールカラーの紙袋から黄緑色の手袋を取り出して手渡した。彼女は「ありがとう」と驚きを含んだ声で目を見開き、それを手に嵌めて見せ、にっこり笑った。俺はどうかしている。これで智樹は何も持ってきていなかったらどうするんだ。
 振り向くと、智樹はさっと俺から目を逸らし、発泡酒を呑んでいた。
「クリスマスだねぇ」
「何だいきなり」
 俺の声掛けに怪訝な顔をした智樹は、ぐいぐい酒を呑んでいる。もともと口数が少ない智樹と、こうして二人、酒を呑んでも会話が続かない。
 手袋を鞄に仕舞いに行った矢部君が戻ってこない事には、沈黙だ。俺と智樹は、じゃれ合ってこその仲なんだ。何か、変な仲だな。
「へっくしゅん」
 俺はくしゃみをする振りをしてテーブルの下の智樹の長い脚に蹴りを入れた。智樹が持っていた缶から発泡酒が飛び出して、智樹の顔に掛かった。
「何してんだコンニャロー」
 俺はアハハと笑っていたが、すぐに矢部君が智樹の横に寄って行って、そばにあったタオルを渡すのを見て、しまったと思った。また俺は混乱する。俺の好きな智樹に、俺の好きな矢部君が優しくする。訳が分からない。
「中二病。病院に行きなさい」
 そう俺に言った矢部君は結局、智樹の隣にそのまま座った。智樹に寄り掛からん勢いで酒を呑んでいる。夏の合宿で矢部君は、酎ハイ一杯で真っ赤になっていた筈だ。今日は何杯呑んでるんだろうか。かなり目つきが怪しい。
 まぁいい。明日は休みだし、ここに泊まってしまえばいい。

作品名:深海の熱帯魚 作家名:はち