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深海の熱帯魚

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1 矢部君枝




 高校と比較して大学の良い点は、友達とつるむ必要が無いところ。何物にも属さずに済むところ。自分が自分でいられるところ。そんな風に感じながら、この大学の門をくぐった四月。
 街中では満開期を過ぎた桜が、青葉に乗っ取られようとしていた。
 大学の正門には、青銅に大学名が彫り込められていて、そこを抜けると、秋には黄色の葉を散らすのであろう銀杏並木が続いている。その先にある大きな建物が、講堂だ。入学式の会場となる講堂に、次から次へと人が飲み込まれて行く。
 今頃、女子大に進学している筈だったのに、何をとち狂ったか、マークシート問題の答えが一つずつずれている事に気づいたのは、試験終了三分前だったのだから、救いようがない。仕方なく、第二志望だった男女共学の大学に進学した。

 この大きな世界で一人ぼっちにされた気分になる。数多の人間が講堂という同じ空間に座っているのに、一人として見知る顔は無い訳で。
 少し暖房がきつく、身体が火照るので、私は羽織っていたグレーのカーディガンを脱ぐと、それを膝に掛けた。隣の誰かさんに肘がぶつかり「すみません」と謝罪をする。それでもその「誰かさん」とつながりを持つ事は恐らく、無い。ぶつかった肘をさする。誰かさんは男性だった。
 校長や理事長の話が長いのは、高校でも大学でも同じ事だ。暫く黙って考え事でもしていれば、時間は嫌でも過ぎ去っていく。
 高校時代は、とにかく誰にも嫌われないように、目立たないように、クラスの中堅レベルのグループに属して、その中のリーダー格の人間の言いなりになっていれば良かった。
 正直な所、彼女が正しい事ばかりを言っている訳ではなかったが、自分の事ばかりを喋る彼女の存在があったからこそ、私は自分をさらけ出さずに済んだ。「いかに目立たず、外されず」が目標だったのだから、彼女の言いなりになっていた私は、高校時代の目標を見事達成した訳だ。
 部活動をするわけでも、バイトに勤しむわけでもなく、ただただ淡々と、自宅と高校の行き来を続ける毎日。好きな事といったら、読書と映画鑑賞ぐらいじゃないか。
 今は映画鑑賞といったって、劇場公開が終われば、すぐDVD化されて店舗に出回り、そしてレンタル化されるので、もっぱらレンタルしかしていない。そうなると、映画館に行く頻度も減る。
 そんなしょうもない事を考えているうちに、禿げ散らかった校長や、いつの時代の教育ママかと突っ込みたくなるような眼鏡をかけた理事長の長ったらしい話は終わり、糊付けされた様に平らになっていたお尻を椅子からグイっと持ち上げ、立ち上がった。タイトスカートについた皺をさっと伸ばす。広く開けられた出口へ、人が流れて行くのを見つめていた。

 講堂を出ると、そこはお祭り騒ぎだった。
「テニスサークル、どうですか?」
「ベリーズサークル、楽しいですよ!」
「飲み会好きな人、見てって」
 目的があるサークルもあれば、特に目的がなさそうなサークル(ベリーズって何だろうってある意味興味が沸く様な物)もある。とにかく祭りの出店の様に、銀杏並木に沿ってテーブルが並べられている。
 それぞれのサークルが趣向を凝らして立て看板を立てたり、変装をしたり、ユニフォームを着たりして、一年生を勧誘している訳だ。
 私は取り立てて見た目が派手な訳ではないので、いや、言ってしまえば地味な眼鏡女なので、派手なサークルからは全くと言っていい程、声が掛からなかったし、目にも止まらなかったのかも知れない。
 飲み会主体のサークルはやはり人気が高く、人だかりができていた。自分には無縁だなと感じ、足早に通り過ぎた。

 並木の一番端っこに、立て看板もなく、三角形に折った段ボールに「読書同好会」と白い紙が貼ってある、謎のテーブルが目に入った。スーツを着た三人の男性が、椅子に腰かけてこちらを見ている。
 何となく、真ん中の一人と目が合ってしまい、パンプスの足を止めた。少し童顔で、地毛なのか髪の色素が薄い彼が、手招きをする。一瞬、別の人間を招いているのではないかと思い振り返ってみるが、そこには誰もいない。彼はずっと、私の方を見て、手招きをしている。カツカツと、ヒールを鳴らして近付いた。
「読書、好きでしょ」
 抑揚と言う言葉を宇宙の彼方に置き忘れてしまったような口調でそう断定する。
「は?」
 その言葉は耳に入って来ているのだが、断定された事に戸惑う。何を持って彼は断定したのだろう。
「だから、読書好きでしょ。顔に書いてある」
 私を見つめる茶色の瞳は強く真直ぐにこちらへ向けられ、あまりに強すぎるので私は顔を下に向けた。押しの強い男は苦手だ。
 右端に座っていた、体格の良い男性が、驚く程デカい声で補足する。
「俺達、高等部上がりの一年だから、同級生。だもんで部員はまだ三人なんだよ」
 はぁ、とため息にも似た返事をすると、真ん中の茶髪童顔が、クリアファイルから白い紙と、缶に立っていたボールペンを私に差し出した。
「ここに名前と、学籍番号、メールアドレスを書いて」
 机に置いた途端にその紙が春風に飛ばされそうになったので、咄嗟に手で押さえると、腕時計がシャラン
と音を立てて手首へ落ち、茶髪童顔が私の顔を見て、ニヤっとするのが分かった。しまった。
「あの、私まだ加入するって言ってませんけど」
 手を離すとこの紙はどこかに飛んで行ってしまうから、私は中途半端に腰をかがめた姿勢で物申すと、左端にいた黒髪の男前なお兄さん(と言っても同級生なのだろう)が俯いたまま少し掠れた声でこう言うのだった。
「思い出作りに、どうですか?サークル」
 一度も顔を上げずにそう言われ、戸惑った。私は無言で三人を順番に見た。
 右端の男は笑顔を絵に書いたような笑顔でこちらを見ているし、真ん中の男は人を小馬鹿にした様な笑みを浮かべ腕組みしているし、左の男前は俯いたままだし。
 三人三様の彼らを見て「ちょっと面白そう」と思ってしまったが運のつき。つるまない、と心に誓っていたのに、人間の心とは、いとも簡単に折れてしまう物だ。
 私に付きまとう、男性に対する苦手意識も、ここで解消できるかもしれない。リハビリだと思え。嫌になったら適当に理由をつけてやめれば良い。部員が増えてくれば、きっと私なんて存在が薄くて忘れられていく存在だ。
「読書は好きです」
 そう言いながら私は、名前と学籍番号とメールアドレス、携帯電話番号までを記入し、缶にボールペンを立てた。カランという音と共にボールペンがクルっと回った。
 私はその紙を童顔茶髪に渡すと「で、どうすればいいんですか」と訊いた。
「四人集まれば部室が貰える事になってるんだ。という訳で、これから部室の確保に行こう」
 笑顔の見本のような男の声を皮切りに、バタンバタンとパイプ椅子を折り畳み、テーブルも折りたたんだ。あっという間だった。
「椅子、一個持って」
 童顔茶髪に言われ、私は「あ、はい」とまるで助手の様に、彼らの後について行った。

 部室棟、と呼ばれるそこには、ありとあらゆるサークル、同好会、部活の部室が存在する。在席人数が多いサークルは、部室を使用しないので、空き部屋もある。
作品名:深海の熱帯魚 作家名:はち