のいず
数年前に封印した気持ちが、どんどん溢れてくる。
溢れて、自分の中を満たしていく。
あの時、一番大好きだった人の声を奪われたあの時。
割り切るように、言い聞かせるように、声を聞かずに生きていくと決めたあの時。事務的に処理していたように見えて、あの時ちゃんと、ちゃんと悲しかったんだ。
私は思い返す、決意したあの後を。
家族みんなでの食事も楽しくなくなって、会話をする事はなくなった。食事が終わるとすぐに部屋に籠っていたし、休日はとにかく外に出かけ、家族と過ごすような日はなかった。
そんな私に対しても、両親は私のことを心配してくれた。
声は聞けずとも、顔を見ずとも、その動き、その仕草だけで何を考えているか、なんとなくわかるのだ。
十数年も一緒にいるんだから。
そして私は。
そんな両親が心から大好きだったんだ。
おっちょこちょいだけど、いつも優しいお母さん。
頑固で怖いけど、不器用でときどき素直なところもあるお父さん。
私は二人のことがあのとき世界で一番好きだったんだ。
こんなにも当たり前の気持ちまで、ずっと閉じ込めていたんだ。
大好きな二人の声が奪われて、不安で一人倒れそうになって、それでもそうしないために、大好きな気持ちまで閉じ込めて一人で抱えてきた。
好きだからこそ、そんな気持ちを無かった事にしなきゃならなかった。自分が一人で立つために。
あの親子の会話を聴いて、あの時の自分の素直な気持ちを思い出せたんだろうか。
気がつくと私は、大きな道の端のほうで蹲っていた。
いつからこうしていたのだろう。
時折、私を気にしたような視線が飛んでくるのがわかるが、すぐに無くなり、また新しい視線が飛んでくる、ということの繰り返し。
カバンの中からハンカチをだし、涙を吸い取るとハンカチが黒く染まってしまっていた。
きっと今私はひどい顔をしているのだろう。
それでも、何故かそれが可笑しくて、うふふ、と静かに笑った。きっと傍から見ると、気持ち悪いに違いないが、溢れだすような笑いは止められない。
少し落ち着いてから、近くのトイレに駆け込み、化粧を簡単にし直した。携帯の時計を見ると、どうやら待ち合わせには間に合いそうにない、それに何本かのメールと電話も入っていた。申し訳ない気持ちになるが、こんな状態じゃ、出かけるどころではない。仕方がなく、『今日はいけなくなった』と送り、バックにしまった。
この後の、予定が真っ白になったのはずいぶん久しぶりのような気がする。いつも何か予定を入れていないと、自然と孤独な気分になっていたから、無理にでも予定を入れていた。
しかし、今の私の心にあるのは孤独や不安でなく、自由でのびのびした気持ちだった。
私はいつもより心なしか軽快な足取りで、来た大通りを戻っていく。
多くの人と同じ方向へ向かい、多くの人とすれ違う大通り。
そうして駅のほうへ向かうと、定期券を持っているはずの私の足が自然と切符売り場を目指していた。
お金を入れ、目的地までの切符を買う。
この切符を買うのはここにきてから初めてのことだ。
そう、実家までの切符を。
きっと今の私なら、声がちゃんと聞こえるような気がした。
もしかすると聞こえないのかもしれない、それでもいい。
今は、どうしても二人の顔をちゃんと見たかった。
そして言いたい言葉があった。
それを言うにはまだ早いのかもしれないけど、何度でも、何度でも言ってあげたかった。
私をとても愛してくれた二人だから、その分までちゃんと返したいと思う。
きっと、今の私にできることはとても少ないけれど。
それでも、これだけはいつでも、何度でも伝えることができると思うんだ。
「ありがとう」って。