天空詠みノ巫女/アガルタの記憶【零~一】
「どう、ただでは済まさないって?」
やや離れた場所から、二人のものではない声がした。振り向くと校舎と屋上を隔てる非常扉の前に、もう一人……女子生徒の姿があった。
「香津美っちー!」
織子にそう呼ばれた仁王立ちの少女、三神香津美(ミカミ カツミ 十七歳)は制服姿にも関わらず、頭には野球のヘルメットを被り、その右手には金属バットが握られている。
香津美は以前から織子の危機を感じ取ると、咄嗟にその辺りにある物で武装し駆けつけるといった『癖』があった。
大事なことなので二度述べるが……これは、彼女の『癖』である。
(やはりこの二人……ただならぬ関係ってやつなのかしら?)
そう思うと、サヲリは少しばかり意地悪をしてみたくなった。
「そうね……」
手にした織子のデジカメを、屋上から外に向かって投げ捨てる――
「えっ?うそ!」
――振りをして、へたり込んだままの織子の首へとストラップを掛けた……と、同時にあからさまに香津美を意識しながら、何かをそっと耳打ちする。
「なんか感じ悪くないか?あんた!」
香津美はサヲリへと歩み寄ると、その美麗な顔へ……彼女の鼻先へとバットを向けるのだった。
「生徒会長様だ、理事長の娘だっていったって、何でも好き勝手やっていい訳ないわよね?」
それを見て織子は、そそくさと香津美の陰へと隠れた。
「オリコはぜんぜん悪くないのよ」
「あんたは少し黙ってて!」
香津美は、語気を強めて織子の言い訳を遮った。彼女の言うことは全く当てにならないことを、長い付き合いの中で身に染みて承知している。
ただ……帰宅時にはいつも一緒にいるはずの織子の姿が、今日に限ってどこにも見当たらず、彼女の席にはカバンだけが残されていた。
それを見た瞬間、香津美の脳裏に危機的状況に陥っている織子の姿が、なんとはなしに伝わってくるのだった。
『屋上』――無意識のうちに場所は限定され、ほどなく陰湿なイメージが香津美を取り巻いていく。そうなると、もういたたまれなくなるのだった。
かなり単純(本人は『純粋』と言い張って認めない)で、物事を深く考え込まない性質(タチ)――閃き=即、行動の人種であった。
気がつくと、中学まで陸上部のスプリンターだった自慢の駆け足で、屋上へと向かっていた。途中、擦れ違った野球部員(同じクラスの武山)からヘルメットと金属バットを半ば強引に借り受けると、それを速やかに装着、最後の階段は二段ごと段差を飛ばして駆け上がり、織子の窮地を救いに来たのだった。
彼女の行動の根源には、『思いつき』と『思い込み』だけが存在する。それはどちらが『是』で、どちらが『否』であるかなんて事実は、全く関係のないことであった。
結果……なぜ、今、ここで、こうして生徒会長を相手にバットで威嚇しているのか、その意味を香津美自身、良く理解してはいない――斯くして……二人の間には、ひたすら長い沈黙が流れていた。
その重々しい空気を断つように、サヲリはフッと笑みを浮かべ口を開いた。
「何か誤解なさってない?三神さん。ずいぶんと物々しいお姿ですけど……」
(何も知らない愚かな娘……)
サヲリから零れた笑みは、どこか人を見下す態度に思えた。そしてその冷笑の持ち主は、今度は香津美へと近づきそっと囁くように耳打ちをするのだった。
「私はもう、理事長の娘じゃなくてよ……」
「な……?」
そうだった――前理事長は一ヶ月ほど前に西藏へ向かう途中、飛行機事故に巻き込まれこの世を去った……ということだった。
つい何週間か前の始業式で校長よりその訃報を告げられ、全校で黙祷を捧げたばかりであった。
無意味に振り上げた拳は、振り下ろす対象を失った途端彼女の手から滑り落ち、「カラン……」と空虚な音を立てて床に転がる。
香津美は目の前を通り過ぎていくサヲリに対し、何一つ返す言葉を持たなかった。
卑怯な女……。人の揚げ足を取り、身内の不幸をネタに嫌味を言う汚い女……香津美はそう思った。
馬鹿な女……。勢いだけで全く計画性もない、猪突猛進だけの単純女……サヲリはそう思った。
屋上からの去り際、サヲリは扉の前で二人の方に振り返り、携帯のカメラで彼女達を写していった。
それはさながら、勝利の記念写真のようであった。
「あなどれんな、生徒会長……」
Wピースを下ろしつつ織子が何か言ったが、香津美の耳には入らなかった……。
作品名:天空詠みノ巫女/アガルタの記憶【零~一】 作家名:竜☆児