Aufzeichnung einer Reise02
ラインスがいきり立つ気持ちは分かるが、ミカゲにしてみれば、何故こんな森に近いところにそんな海賊が居たのか、そして何故わざわざ〈王都の貴族サマ〉に対して忠告をしに来たのか、という事の方が重要だった。
視察―もとい調査に来た貴族が邪魔だったなら、シャドウの巣に行かせた方が都合が良いはずだ。ちゃんとシャドウが貴族サマを殺してくれるだろう。
巣がある場所、もしくはその近くに近づかせたくなかったのなら、自分の手で始末してしまえば良い。
そのどちらでも無いクラングの行動は、何に基づいていたのか。もしかすると本当に―本当に、忠告しに来ただけなのか。
ミカゲは思想を振り切りラインスを見た。
「…どうします?向かいますか?それとも…引き返しますか?」
ラインスじろりとミカゲを睨みつけた。心なしか馬鹿にされている気がする目で睨みつけられた。
「犯罪者の言う事に従って引き返すなど、考えられるわけがないだろう。……なにせこれは、王直々の命だからな。」
ミカゲは音を立てて動きを止めた。
「王直々って…何者だよ……。」
思わずもれた一人ごとに、ラインスは面倒臭そうに反応した。何でも無いような、当然のような顔をして。
「一応俺も、王族だからな。」
ミカゲのあいた口は大分長くふさがらなかった。
どうしよう俺王族の人相手に剣振るって拘束したり凄い失礼な口きいたりちゃったんですが。
「それは、えーと…すいません。色々と………。」
冷汗が止まらない。と同時にラインスの態度や言葉遣いにも納得がいった。王族ならばさもあらん。
ミカゲの思考が未だぐるぐると渦を巻いている内に、ラインスは次の行動を決定したらしく、ミカゲの謝罪など意にも介さず言葉を投げてきた。
「俺はこのまま調査を続けるが…貴下はどうする。」
へ、という間抜けな音がミカゲの口から洩れた。
「お供しますよ?仕事終わってませんし。」
ミカゲが答えるとラインスは驚いたように目をみはった。……そんなに驚くような事を言っただろうか。確かに面倒事は嫌いだが、流石にここまで足を突っ込んでおいてほっぽり出して帰るような性質でもない。それになによりまだ仕事は終わっていない。……身代わりだけど。
「…あの海賊の言葉が真実なら、命を賭ける事になるかもしれないのに、か?」
ラインスの探るような珍しい言い方にミカゲはからりと笑った。なんやかんや言って、ラインスもクラングの言葉を気にしているらしい。
死ぬのは嫌だ。ルーナやアークも困るだろうし、会ったばっかりの相手に付き合って死ぬなんてまっぴらだ。
「命なんて賭けませんよ。俺、危なくなったら全力で逃げきる自信はありますから。」
ミカゲが言うと、ラインスは笑いもせずそうか、とだけ頷いた。
「後悔しても知らんぞ。」
「しませんよ。多分ですけど。」
根拠のないミカゲの言葉にラインスの口端が少しだけ上がった気がした。
「…貴下は、俺と同じぐらいの年齢だろう?」
しばらく歩いてラインスの口から洩れた言葉に、ミカゲは驚いて声の主を見た。もしかして少しは打ち解けてくれているのだろうか。
「…えぇ。俺も21です。」
この機会を逃すとこの青年は一生打ち解けてくれない気がする。ミカゲは瞬時に判断して肯定した。人間、友好関係は多いに越した事は無い。特に、貴族と知りあう様な事は、この先、多分一生ない。
「なら、その鬱陶しい敬語は必要ない。」
再びミカゲの動きがフリーズする。知り合って短時間だが、敬語で当然という感じで、そんな事を言う性格には全く見えなかったのに。本当に全く。
「ぅえっと、はい…いや、じゃあえーっと、あー…あり難く、そうさせてもらいます、うん。」
煮え切らない返事を返すミカゲに、ラインスはさらに言葉を紡ぐ。
「それに、レイで構わない。ラインスは公務で呼ばれる名前だからな。」
「レイ?」
ミカゲが首をかしげるとラインスは指で空中に文字を書くそぶりをして見せた。L ines-Ray-Regret.
「ラインス=レイ=リグレット。現王の、甥の名前だ。」
一瞬、目線だけをミカゲの方に向けラインスはすたすたと歩いて行った。ミカゲは慌てて後を追う。
「ちょ、ま…俺、ミカゲ=フリューフリングだ。あんたみたいに、大した名前じゃないけど。」
ミカゲの言葉が聞こえているのかいいないのか、ラインスは足早に歩いていく。ミカゲは駆け足であとを追っていった。
☆ ☆ ☆
「ここのはずだ。」
ラインスの言葉でミカゲは顔を上げる。眼前にあるのは小さな、木でできた小屋。シャドウの巣に向かっていたはずなのに、何がどうなってここに着いたのだろうか。
「……小屋、だよな。」
ラインスは無言で頷いた。その視線は目の前の小屋と手に持った資料とを行き来している。もしかして、本当にこの小屋がシャドウの巣なのだろうか。
「シャドウが住んでるにしちゃ、人間臭いというか何というか……。」
「だが、資料では確かにここに、恐ろしい獣が居ると明記されている。」
ミカゲは首をひねりかけて、途中でラインスを振り返った。ラインスはシャドウ、ではなく恐ろしい〈獣〉と言った。
「獣って…シャドウじゃないのか?」
「資料には、人喰いのシャドウである可能性が大きいとあるだけだ。……お祖父さまはシャドウに違いないと、繰り返し言っておられたので、そうだろうと思っていたが…。」
ラインスの言葉は何処か頼りない。ラインスとしても、どうやら目の前の家を見て、自信がなくなったようだ。
「でも、クラングはシャドウだって言ってたしな……。」
小屋の真正面で二人して考え込んでしまう。
すると突然、重苦しくきしむ音と共に小屋の扉が開けられた。息をのみ、剣に手を掛け構えた二人の目の前で、扉はゆっくりと開いていく。そして遂に扉が全部あいたとき。そこに居たのはまだレティよりも幼く見える、いかにも人畜無害そうな茶髪の少年だった。目の前の二人を見てに少年は驚いた顔で動きを止める。
「……なあ。」
「……何だ。」
「誰が獣だって?」
「……さあな。」
ポカンとした様子で扉に手を掛けたままの少年を見て、二人の脳内に浮かんだ単語はたった一つ。
あり得ない。
だった。少年は相変わらず眼を見開いたまま固まっている。ミカゲは素早く剣から手を離し笑顔を作る。ラインスが構えたままでいるのを視界の端で視認し、警戒を任せ一人、少年に近づく。
「な、ここに住んでるのって、君一人?」
ミカゲの言葉に、少年はこくこくと頷く。怯えさせないように軽いノリを作って、両手をパタパタと振る。
危ない物は持ってないよ、の合図だ。
「じゃあさ、このあたりで獣とかシャドウとか出たって噂知らないか?俺たちそういうの調査してるんだよな。」
出来るだけ穏やかに、相手の警戒心を解くように話しかけると少年は一瞬だけ考え込んだ。そして、ミカゲを見上げて口を開く。
「その獣って…多分、僕。だと思う…。」
言葉と連動するように少年の髪がぴょこぴょこと―さながら動物の耳のように―動いた。
…今度は大人二人が、ピシッと音を立てて固まる番だった。
作品名:Aufzeichnung einer Reise02 作家名:虎猫。